不思議なバーの物語①雨の夜に月を恋う

「・・・また、別れたのかい・・・」
馴染みのマスターが呆れている。

「そんなこと言われたってさ・・・」
そろそろ、キツめのマティーニもキツさを感じない。
7杯ぐらいまでは、感じていたけれど・・・

「月は満月じゃなくてもいいとか」
「雨の夜に、月の姿を恋い思うことが風情だとか」
「男女の情もただ、逢い愛し合うだけが 恋愛じゃないとか」
「そんな馬鹿なことを女に言ったのかい」
どうやら、3杯目ぐらいの時に、ブツブツ言っていたことを、マスターはしっかり聞いていたらしい。

「ああ、言ったさ」
「逢えない憂い、長い夜を1人であかし、遠い雲に愛する人を思うことが風情というもの」
マスターについつい、反発してしまう。

「全く頑固だねえ・・・徒然草じゃないんだから」
「あんた、世捨て人でもなんでもないだろうに」
マスターは、ますます呆れた。

「へえ・・・マスター、徒然草読んでいるんだ」
「たいしたもんだ」
「その通りさ、今は徒然草の心境さ」
「・・・それで十分、こんな俺には・・・」
そこまで言ってすでに頭はフラフラ
さすがマティーニ10杯はキツい。

「・・・しょうがねえなあ・・・」
「そんな程度で酔っているようじゃあ・・・世捨て人なんか、あきらめな」
「お前さんには、世捨て人のワビもサビもないな」
マスターはそこまで言って、少し間を置いた。
もう、マスターに何か言う気力も体力もない。
これでは、カウンターに突っ伏すしかない。
何もできやしない。

少しして、ガタンと扉か何かの音がした。

「もう、甘やかすな」
「それから離すな」
「くだらねえこと言ったら縄で縛っておけ」

マスターの声はそこまでは覚えている。

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