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ドレスを日常に。

furutaは「ドレスを日常に。」というテーマで女性性と服との関わり方を研究しています。

ドレスを日常に。はそのままに全ての女性性(肉体は男女問わず心)に向けてプリンセスであって欲しいという意味も含みますが
簡単に言えばドレスは日常には着れなので、着れるようにすればいい。
という発想から始まっています。

現代の生活様式に逸脱しないドレスを日常に着るというあり方。
ポケットの重要性。足さばきによる1日の疲れ具合の違い。などなど
リアルユーザーとして視点でファッションを捉えること。
女性デザイナーである私が女性(女性性)の為に作る意味。
そんなことを意識して作っています。

(ドレス鑑賞中の愛猫)

そうして制作を続けていく上で、一つ気がついたことがありました。

「ドレスを日常に。」と言ってすぐに腑に落ちてくださる方と
??? という反応を示される方が対極に存在するということです。

そこで「ドレスを日常に。」とは一体どうゆうことなのか。
をドレスを通して表現することにしました。


(ドレス鑑賞中の愛猫2)

「ドレスを日常に。」 とは。
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現在の日本においてドレスを着る場面に遭遇した女性は何人いるのでしょうか?
そもそもクチュールドレス自体が皆無に近づき、ドレスのような一点もの=衣装(非現実的なもの)として、日常からかけ離れた位置に移行しているようにも感じます。
ブランドと並行し衣装やドレスの製作を通して、「一点ものとは何か?」と長らく考察を続けてきました。

TPOやジェンダーの境界線が薄らいだ現代、アイデンティティを自由にファッションに落とし込みやすくなった中でfurutaは、どんな場面や肉体にも纏うことができる〝女性性〟に、響く服を作っていきたいと思っています。

女性デザイナーの使命として、またクチュリエへの敬意を持って。

今回、「ドレスを日常に」というfurutaのルーツに立ち返るため、マダム・グレのドレスをオマージュした一点ものを製作しました。

(マダム・グレとfurutaのドレスを並べると。)


シャネル、ランバン、スキャパレリ等、数多くの女性クチュリエールを生み出した1920~30年代。
サン・クチュール(仕立てなしに近い服)を得意とした〝布の彫刻家〟マダム・グレ(ジェルメーヌ・エミリ・クレブ)は、 同じ時期に「エレガンスとは何か」を確立しました。
当時のコルセットからの解放でもわかるように、彼女たちが活躍した時代はまさに〝女性の自由〟の始まりです。

私がブランドをはじめてずっと掲げている「ドレスを日常に」というコンセプトは、一見コルセットからの解放とは逆説的のようにみえます。
しかし、よりフランクでカジュアルな手法で多種多様な体型にも合うように作り上げることで、ドレスの歴史的な堅苦しさの破壊と再生を目指しています。
本来、グレのプリーツのドレスのシリーズは、薄い土台に細かく手縫いを施して形が崩れないように製作します。
これは、ある特定の体型にフィットさせるために現代のブライダルでも基本の手法として使われているのですが、それとは対照的に、今回私が作成したドレスは“紐で絞って身体に合わせてギャザーにする”というドロストという手法を使っています。

(ドロストによって成形されたドレス。)
(ギャザー(ドロスト)を緩めるとほぼ平面の一枚の布。)
(ウエスト紐がないとまた違った雰囲気になります。)
(胸幅もドロストでサイズを合わせれます。)


“不特定の”身体に合わせることを目的に、土台はリボンテープが10cm程度、ボーンももちろん入っておらず、新しい視点での作り方をしました。

一点ものではない量産の既製服にも通づる「どんな体型にも合う」という視点と、グレの「究極のエレガンス」をオマージュすることで、その“エレガンス(ドレス)”は日常にも存在できるということを表現しています。

スタイリングも1着で完成ということではなくボトムと合わせたりなど、カジュアルな〝今どき〟な洋装と同じく、自由な発想で好きに着る。
furutaが掲げる現代の女性性のネオ解放として「ドレスを日常に」をお楽しみいただければと思います。

(パンツとスタイリングしたドレス。)
(ブラウスとスタイリングしたドレス。)

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