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続・「子連れ様」バッシングは妥当である ~コメントを受けての補考~

世の親子連れを「子連れ様」と故障しバッシングしている界隈がある、という話題について、「『子連れ様』バッシングは妥当である」という旨の記事を投稿したところ、「子連れ様」バッシングに否定的な意見の方と議論をする機会を得た。

その方が「子連れ様」当事者なのかそうでないのか、はたまた釣りの類なのかは不明だが、「子連れ様」サイドの意見として典型的で、釣りにしてもエミュレート精度がなかなかだと感じた。そこで、いただいたコメントから「子連れ様」バッシングの妥当性について補考していく。

「『子連れ様』バッシングは自分の首を絞めるだけ」はくだらない脅しにすぎない

「次世代がいなければ年金や医療が保たなくなる。よって、『子連れ様』バッシングで子作りの活動を委縮させるのは、バッシングする側にとって自分の首を絞めるだけの行為だ」との反論がある。

バッシングする者にとってダメージが無いとはいわないが、この論は特に独身子無しに対してはあまり刺さらない反論である。
なぜなら、独身子無しは将来的に独りで壁の染みになることが確定しているからである。独身子無しの老後は、身体能力が多かれ少なかれ低下した自分の身を自分で世話する必要があるため、「子連れ様」よりも苦難が多いものとなる。仮に自分の生存中に年金が保たなくなったとして、それは将来当然に想定される苦難に金銭面のデバフが加わるだけだ。なぜなら、子供がいないから。存在しない子供には、年金や医療が損なわれた際のデメリットが降りかかることは無い。
つまり、自分自身で完結する問題であると覚悟して「子連れ様」バッシングをしている以上は、「お前のためにならない」という脅しは今更のことなのである。

むしろ、年金や医療が損なわれた場合に最も困るのは、血の繋がった子孫も連綿と被害を受ける「子無し様」側である。よって、「子連れ様」バッシングを止めることには、「子連れ様」側に圧倒的なインセンティブがある。
つまり、「子作りはお前のためでもある」論は、これまでに散々独身子無しを蔑んできた「子無し様」が、独身子無しを懐柔して、自分たちに刃を向けさせないようにするためのくだらない脅しにすぎない。

そもそも子を作る営みは、社会貢献の意識から実施されるものではない、というのは、元の記事で述べたとおりである。結果論をもって上から目線で恩を着せようとするな、という話だ。

そんな「高尚」な目的を意識して子作りをした親は、全体の何割なのだろうか?ほとんどは「勢いで、性欲に任せてセックスしたら子供ができた」から産み育てているだけだろう。既婚カップルのうち4組に1組がデキ婚であるという統計データもある。

「『子連れ様』バッシングは妥当である」より引用

「皆婚社会」が解体された現代においては、自由恋愛に成功した恋愛強者が結婚や子作りの権利を得る。裏を返せば、独身子無し(特に男)は、恋愛弱者が「子持ち様」をはじめとする恋愛強者に疎外されたことで行きつく結果である。
分かりやすくいいかえよう。子作りとは、恋愛強者が恋愛弱者を疎外しながら行う営為である。それを「疎外対象である君のためにもやってあげている。むしろ『子持ち様』は社会=共同体の犠牲者なのだ」とは、上記の指摘と総合して、あまりにも傲慢で恩着せがましい欺瞞であろう。普段は個人主義を振りかざして弱者を疎外する癖に、自己弁護に都合よく共同体主義を持ち出す卑怯な言論だ。

「独身子無しは『次世代育成』の負担を負わなくて済む特権を持っている」論は傲慢な詭弁

「独身子無しは『次世代育成』をしなくて済むので、負担の少ない特権保持者ですらある」という旨の言葉が、出会い頭に飛び出してきた。

「皆婚社会」を解体して尚も、「いい年して独身未婚の奴は人間性に問題がある」という価値観を社会に浸透させておいて?独身子無しから扶養控除や児童手当などを一方的に搾取しておいて?独身子無しが特権保持者?ふざけた傲慢も大概にしてはいかがだろうか。

それは、男の自殺者数が女よりも多いことに対して「男はすぐに自殺して逃げたがるから」とほざく女の傲慢と何も変わらない、傲慢な詭弁である。

「少子化は『子連れ様』のせいではけっしてない。独身子無しのせいだ」という真っ赤な嘘

「年金医療が破綻するといわれる(ほどの少子化が進んでいる)のは『結婚したり子育てしたいという思いがない』人が増えたせいで、けっして『子連れ様』のせいではない。独身子無しが悪いのだ。(だから独身子無しが『子連れ様』をバッシングするのは不当だ)」という意見も出てきた。

会話当時はそもそも「年金医療の破綻は『子連れ様』のせいだ」などと一言も述べていないのに、なぜか唐突な「子連れ様」弁護が出てきて戸惑ったのだが、これは端的に嘘である。その理由は元の記事で既に示してある。
コメント主には(元記事の長い文章を)全文読んだ、と最初のコメントで伺ったのだが……まあ長い文章を読んで枝葉末節を忘却することは誰にでもあることだ。

少子化を回避するためには、世帯あたり平均2人以上の子供を産む必要がある。単純な算数の話である。
これに対し、児童のいる世帯の平均児童数はどうなっているかというと、近年では1.7人程度。つまり少子化を回避するために必要な人数を満たさない。

「2021年 国民生活基礎調査の概況 I 世帯数と世帯人員の状況」より抜粋

不妊に困っている夫婦もあることなので、あまり責めるようなことは適切ではないが、現代日本人は結婚したところで少子化を食い止められるほどの数の子供を(平均的には)産まないのである。
したがって、現在の独身者が結婚したところで、少子化は解決しない。

なぜなら、自由恋愛社会において、現在の既婚者は容姿、身体能力、経済力といった恋愛資本が独身者より恵まれた強者であるからだ。仮に恋愛弱者が結婚できたとして、そんな弱者が恋愛資本に恵まれた強者の作る子供の数を超えるほどの子供を作ってくれるだろう、などという虚ろな空想に、どういう思考をしたら行きつくのだろうか?

「子育ては大変な負担なんだから、何も負担していない、少子化の原因である独身子無しが『子連れ様』にあれこれ言うな」という暴論

先述の通り、「子連れ様」が子供を十分な数産んでいないことも、少子化の原因のひとつである。これを踏まえて、「『子連れ様』がより多くの子供を産むことで、少子化を回避する、という別解もあるが、それは無視するのか?」と問いかけた。その解答は下記である。

子育てというのは大変な負担です。すでにその負担をしている「子連れ様」に対して何ら負担しない人が「お前がもっと産まないから少子化するんだ」というのは、なんだか、すごい理屈だなと。

元記事でいただいたコメントより抜粋

なるほど。独身子無しは次世代育成について「何ら負担しない人」であるらしい。扶養控除や児童手当の財源を何だと思っているのか、甚だ不思議である。扶養控除や児童手当の問題については元記事本文でも言及していて、コメント主は先述の通り「全文読んだ」と仰ってくださっていたのだが(以下略)

自分の欲求に従った行為である子作りを「結果的にお前のためにもなっている」と恩を着せる論を展開した人物が、恋愛弱者からの金銭提供を無として扱うとは、随分と都合のよろしい言論である。

三度目の言及だが、現在児童のいる世帯の平均児童数は、2人未満である。したがって、コメント主の主張通りに少子化を独身子無しに全て帰責して、独身子無し達だけの手で少子化を食い止めさせようとした場合、現在児童のいる世帯よりも多くの平均児童数を現在の独身子無しに賄わせる必要がある。

今回は年金や医療の維持の話になっているので、目的を達成するためにはもちろん子供を産むだけではなく、子供が自立して年金や保険料を納付できるまでの養育をする必要がある。つまり、コメント主がいうところの「大変な負担」を必要とする。
すなわち、コメント主の言によると、現在の独身子無しは「子連れ様」よりも多く子供を作り、「大変な負担」を子供の人数差の分多く負う責があるらしい。少子化は「子連れ様」のせいではけっしてなく、独身子無しだけのせいというから、そういうことになるだろう。要は、「必達目標に達していない「子連れ様」の尻拭いをするのが、独身子無しにとっての自明な責務だ」といっているに等しい。

……え?おかしくないか、それ?

そもそも元記事は、「この時代において『結婚していること』『子どもを連れていること』といったステータスは、それ自体が価値中立的なものではなくなり、ある種の『強者性/特権性』のシグナリングとしての性質を強めるようになっているとする白饅頭氏の言論に立脚して書いたものである。

「皆婚社会」解体後の社会においては、子作りのためには自由恋愛市場で勝利する必要がある。恋愛強者はもともと恋愛資本を多く持つので勝利しやすいが、恋愛弱者は恋愛資本の所持量が少ない。よって、恋愛市場で勝利をえるためには、恋愛資本獲得のための苦難が強者より多くなる。

その「強者」が、「弱者」に社会問題の責を先述の通り不当に負わせ、より多くの「大変な負担」、そしてそれ以前の、「子作りまでに、恋愛強者よりも多く必要な『恋愛資本』獲得のための苦難」を課そうとする?

それって、差別ですよねえ?

さらにいえば、そもそも生涯未婚率が30%を切っている日本では、一応は結婚経験のある者の世帯の割合の方が多い。すなわち、既に結婚した者がより多く子供を産んだ方が、数の論理でいえば少子化解決に向けては効率的なのだ。
だからこそ、「子連れ様」がより多くの子供を産むことで、少子化を回避する」という別解を筆者は提示した。それを、「『子連れ様』に更に大きな負担を負わせるな(独身子無しどもが丸々負えば良いのだ)」とは……

それって、差別ですよねえ?

「老後に年金医療を享受したいなら、『僅かばかりの次世代育成の負担』を独身子無しも負え」とおっしゃいますけども……

いずれ死ぬから次世代の世話にはならない。年金も医療も放棄するというなら筋の通る話ではありますが、そうではないのでしょう?
であれば自分自身の老後の生活のために僅かばかりの次世代育成の負担を求められたとしても差別でも搾取でもないでしょう。

元記事でいただいたコメントより抜粋

年金や医療を受け取る法的な条件は、年金や保険料を納付していることなのだが……

制度として廃止されるなら、年金や医療を受け取れなくても仕方ないだろう。が、条件分の納付を行った人間が、子無しだからといって年金や医療を受け取ることをフリーライダーかのように同世代に謗られるのは、不当だろう。謗っていいのは、百歩譲ってより多くの負担を強いられる次世代当人たちだけだ。
少なくとも世帯あたりの児童数が平均2人未満という同世代の「子連れ様」に謗られるのは筋が通らない。少子化の原因は「子連れ様」のせいでもあるからだ。どんぐりの背比べである。

さて、ここで気になる文言があることにお気づきだろうか?
年金や医療維持のために、コメント主が暗に独身子無しへ要求する「次世代育成」の負担は、「僅かばかりの負担」である、らしい。

……おや???????

先述の通り、「『子連れ様』がより多くの子供を産むことで、少子化を回避する、という別解もあるが、それは無視するのか?」と筆者が問いかけた際、コメント主は「子育ては大変な負担なのに、すごい理屈だ」と非難した。

年金や医療の維持のために必要な「次世代育成」とは、子育ても含むと考えるのが自然であることは、先述の通りである。

あれれ~?おっかしいぞぉ~?(某名探偵の口調で)

コメント主曰く、「子連れ様」にとっての子育ては「大変な負担」で、独身子無しにとっての子育て(+結婚までに「子連れ様」よりも多く必要な負担)は、「僅かばかりの負担」であるらしい。「独身子無しは『子連れ様』よりも多くの子供を作れ」というに等しい言論を展開している、ということを前提として、だ。

……あれか?独身子無しには「子育ての負担をめちゃくちゃ軽減する特殊技能」がある、という仮説か?残念ながらそんなものは現実には存在しないが……?

やっぱりそれって、差別ですよねえ?

「皆婚社会」を解体したのはフェミニストのせいで、社会=共同体に責はないという嘘

「少子化で社会が崩壊しても良いのか?」という問いに、筆者は「構わない」と答えた。
恋愛弱者である筆者には血の繋がった子供は現在過去未来において存在しないし、少子化はせいぜい自分が壁の染みになるまでの過程がより過酷になるかどうかくらいの影響しかないからだ。むしろ、より困るのは我々独身子無しを差別し、尊厳、財産を搾取し、血の繋がった子供のいる「子無し様」だからだ。自分への影響は気にせずともよく、自分を差別者してきた「敵」が困る問題ならば、解決するインセンティブが無い。

これに対し、「『皆婚社会』を解体したのはフェミニストであって、『子連れ様』のせいではない」との反論があった。

なぜいきなりフェミニストが出てくるのか、という感想を持ったが、それはともかくこれも嘘である。

フェミニストが囀ったのが「皆婚社会」解体の発端であるのが事実と仮定して、実際に解体に進んだのは、フェミニスト以外の社会構成員が同意したからだろう。「皆婚社会」の解体は、「望まない相手と結婚しなくて済む」という恋愛強者にとってのインセンティブがある。恋愛資本は社会資本と多く符合するので、恋愛強者はすなわち社会的強者である。だから、恋愛強者の同意のもと、「皆婚社会」は解体された。恋愛強者は、現在の「子持ち様」だ。どの面を下げて関係ないなどといえるのか。

まとめ

「子連れ様」およびその擁護者は、少子化解決によって最も利益を得るのが子孫のいる「子連れ様」自身であることを無視し、「お前も困るだろう?」「お前のためにも子供を産んでやっているのに、お前は何もしないのか」と、独身子無しを叩く。普段から「いい年して結婚もできない奴は人間性に問題がある」という差別を浴びせ、福祉制度の名目で独身子無しから金銭を搾取していることに上乗せして、である。

しかも、自分たちが産んだ子供の数が少子化解決に明らかに十分でない数であることを棚に上げ、「少子化は独身子無しのせい。『子無し様』は悪くない、むしろ社会に貢献している」とする。独身子無しを「悪しき者」、自分たちを「社会に貢献する善の者」と規定し、独身子無しを罵倒する。自分たちが子供を作ったのは、自分の性欲の結果にすぎず、社会のためとして行動したものではないというのに。

更には、自分たちの子育ては、自分たちが子供を作る選択をしたにも関わらず「大変な負担だ」と被害者面をするのに、少子化の責を独身子無しに丸被せしようとする際は「次世代育成のための『僅かな負担』がなぜできないのか」と、独身子無しに被せようとしている負担を著しく軽視する。

コメント主は、「なぜ『子連れ様』をそれほどに敵視するのか?」と問うてきたが、上記のような言論をぶつけてくる輩が、どうやったら独身子無しにとって「敵」ではないと思えるのか?

コメント主の言論は、コメント主自身がどういう属性かはしらないが、筆者の想定した「子連れ様」の反論の域を全く出ないものであった。つまり、「子連れ様」およびその擁護者というのは、そういう生き物、「敵」だと筆者は認識している。
コメントをいただいたことで、その答え合わせを仮完了できたことを、コメント主に感謝して、本記事の締めとしたい。

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