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マジカルクラス

今日は、とある独特な語学勉強法と

不思議な仲間たちとの思い出。



2006年くらいから


国立音楽学院、地方音楽院共に、


芸術面だけで優遇されることはなく、

学業の成績も音楽院の成績に反映するシステムとなり、


提携している高校へ通う前に短期間、集中的に語学学校でフランス語を勉強していました。


その中では、やはり、異国の地で同じ出身国の人や、


同じ言語を使う人と出逢えると安心するもので、

困ったときに助けを求めやすくなるので、皆で固まってしまいがち。


でも、そんなことをしていては話せるようにはならない。




現地の語学学校では、なるべく皆の国籍が重ならないようにクラス分けされています。


そして、学校内では


母国語を話すことは禁止されていた。



自身が移住したフランスで言えば、


じゃあ、どのようにフランス語でフランス語を勉強するのだろうか。


フランス語での単語や文章を理解するのに、


先生は表情や絵、例文を使って、様々な角度から説明してくれる。


そうすると、こういう事を言っているのかも、と勘が出てくる。


言わんとしている事を掴もうとする。


それを繰り返していると、今度は先生が今まで見せてきてくれた説明の仕方も覚えてくる。


そうすると、いざ外で、物の名前が分からなかったとしても、


どういう物なのか説明出来るようになってくる。


授業でもトライアンドエラーを繰り返しながら、


正しい文法、発音を覚えていく。



荒手の学習法かもしれないですが、実に実践的。



そして、小テストが頻繁にあって、


理解が追い付いてきていると先生に判断された場合は、


すぐに次のステップのクラスに移動。


常にクラス内はシャッフルされていく状態。




語学留学されている方は、半年に一度は成績が上がっている証拠、


進級している証明などが、ビザ申請時に必須となり、


皆それぞれに、のんびりしていられない重圧があります。




最初の頃は、


クラスメイト皆が話せない状況なので


少ない語彙だけで理解し合うという不思議な現象も起きました。


もはや、お互いにシンパシーで喋る術まで身についてくる…


感覚的に、人類の成長の道筋を遡って行く感じ。




15歳で渡仏したときは、


音楽院でのクラス内でも日本人は自分一人、


その上、寮ではなく一人暮らしを選択して


母国語を話す環境は一気に皆無となりました。



それまでは日本で生活して


日本語しか使わない生活。


周りの言っていることが分からず、


自分の伝えたいことが伝わらない。



当時、差別もあからさまな状態で

街ですれ違う人々から、毎日、「日本人だ。」と、言われているように聴こえた時期もありました。



でも自分自身の体内で、何かが崩れてきているいると自覚し、


この状況では無理もないと受け入れる様にしていくうちに


時間と共に、自然にその症状はなくなっていきました。


荒治療。


ものすごい根性論になってしまって、今考えると恐ろしいですが、


でも、根性なくして学ぶことも出来ないのではないかと思うのです。



語学学校では同年代は殆どおらず、


20代〜50代、60代くらいの


様々な国からフランスに来た方が授業を受けていました。



私が入ったクラスには、


・ワイン好きな活気のあるフランス人の女性の先生。



・温厚で、いつもみんなに話しかけてくれるスペイン人の大学教授。


・雨の日は欠席で、家にエレベーターがない故に、忘れ物をした日は取りに戻れず、手ぶらで学校に来るという独自の理由とスタイルを貫くイタリア人とブラジル人のハーフの旅人。

(担任の先生、クラスメイト全員も諸々の事情は了承済み)


・可愛らしい声が特徴の、パリのファッションブランド店勤務のアメリカ人の女性。


・真面目で、几帳面で、日本人に似ている気質を持った背の高いドイツ人の建築専攻の学生。


・甘い物には目がなく、日本も大好きな韓国人の語学留学生の女の子。


・これからフランスで職を持つ為に渡仏した台湾人の男性。


そして日本から来た15歳の私。


そんなクラス。



情報が大渋滞。




他のクラスにいる日本人の先輩方は


パティシエ、デザイナー、


ソムリエを目指す方や、フライトアテンダントの方なども多く、


年齢関係なく、好きなことをやってみよう。という人ばかりでした。




時には、担任の先生の考えによって、


チーズ係、ジュース係、ワイン係、お菓子係など皆様々な役割を言い渡され、


何の課題なのか、ハテナでいっぱい…


翌日は朝からピクニックをすることになったり、


学校によっては、生徒専用の一回限りのクラブ無料券なども渡される。


ピクニック…


クラブ…


そんなこと日本の学校では有り得ないシステムかもしれない。


勉強は勉強、遊びは遊びという区切りがしっかりしているから。



でも、遊びを混ぜ込むことが、学びになることもたくさんある気がした。


クラスメイトと先生方も一緒なので、


きちんと全員が帰宅するまでチェックが行き届く状況の中、


様々な人と会話するきっかけがたくさんあった。


特に私自身は歳が一番下、完全に子供だったので


担任の女性の先生や、クラスメイトの大人の方々がぴったり側にいてくれて


みんなで帰り、各自家に着いたら全員に連絡するという形だった。



当時は目まぐるしく日々が過ぎ去っていたけれど、


今思うと、同世代と学ぶ専門的な音楽院とはまた違い、


全ての垣根を越えた素晴らしい出会いが多かった。



その頃、SNSで人とすぐに繋がるというようなツールも使わず、


取り敢えず写真を撮るというような習慣もない。


でも、何よりも強い記憶が、心に残っています。


一期一会と、遊び、苦しさも


その瞬間にしか訪れないものを


目一杯満喫していた。



そんな気持ちを大切にしながら


今を生きていきたいな。


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