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やばい、まじやばい! コンビニで困っていた人を助けたら神様だった

やばい、まじやばい!
何がやばいって、コンビニで困っていた人を助けたらそれが神様だった。 
ゾーイーったらもう大興奮!


ねえ、もしもし、レーン、聞いてる?

それでね、ゾーイーが言った”太っちょのおばさま”は、実のところあまりピンと来てなかった。
っていうか、全然わけわかんねーって状態だったの。 
でも、くどくど、くどくどゾーイーが電話で言うもんだから、こっちも具合が悪いでしょ、もう、うざくて仕方ないから、適当に「わかった♡、ありがとう♡ 太っちょのおばさまはずっと私達を見てくれたのね♡」って言ったよ。
あれ以上、聞いてたら、また私失神するところだったわ。

「いいかい君、太っちょのおばさまがキリストなのだよ。」 何それ? 
ありえねーっつうの。
ていうか、他の部屋から電話してくるぐらいなら、顔を出せっつうの。

だいたい「太っちょのおばさま(Fat Lady)」とか、超ありえない表現でしょ。引いたよ。私は。
神様にも、女性にも、どんだけ無神経なのよ。まったく。
せめて、ぽっちゃりなおばさま(Curvy Lady) じゃないの? あえて言うとしたら。

まったくグラース家の男達ってダメなのよね。 
理屈っぽいうえに、宗教哲学、東洋思想かぶれ。
訳のわからない比喩好きで、いったい何言ってんだかさっぱりわかんない。 
あれじゃ、女の子にもてるはずないって。

ゾーイーの長話しで、めちゃくちゃまた気分が重くなったので、あの「巡礼の道」持参で、近所のコンビニに行ったのよ。
そう、インド人がやってる3rdアベニューと33番ストリートの角にあるコンビニ。マックの横にあるやつ。
インド人(インディアン)って言っても、ネイティブ・アメリカンじゃない方ね。

それにしても、どうしてアメリカって、モーテルとコンビニはインド人がやってるところがこんなに多いんだろう。謎だわ。

彼らって、シーモアがかぶれてた釈迦やラーマクリシュナ、インドの賢者ね、に近い人たちのはずなんだけど、宗教哲学的な話なんか絶対しないじゃない。 話すそぶりさえない。 
その代わり、釣り銭なんかめちゃ簡単に暗算でするけど。

え? なんでコンビニに行ったのかって? 
いつもなら気分が重いと、トランキライザー飲むじゃない、私って。
自己嫌悪に陥ったら、それが一番なのよ。特に今回みたいなひどい時は。
でも、ベシーが、私のママね、ベシーが大の薬嫌いってやつでさ。麗しき我が実家には一切置いてないわけ。その手のドラッグは。どうかしてるわ。

だから、インド人のコンビニに行って、ソーダ・ファウンテンでカフェインのばっちり入ったやつを死ぬほど飲んで、ハイになるつもりだったのよ。
あそこソーダ・ファウンテンにエナジードリンクがあるのよ。信じられる?

ソーダが家にないのかって?

そもそも、うちってべシーもゾーイーもオーガニックに超こだわってるから、なんでもかんでも最近はホールフーズ。
飲み物系はホールフーズのなんちゃら生ジュースだけ。
冷蔵庫にソーダが入ってることなんかありえない家なわけ。 
ましてやカフェインがばっちり入ってる系のやつなんかは、ゾーイーに言わせれば「猛毒の一種」だから、天地がひっくり返っても絶対ありえない。 
だから、私の選択肢が近所のコンビニの一択しか無いことは、神の啓示なんていらないぐらい明白なことなわけ。

で、聞いて。 

インド人のコンビニで会ったのよ。太っちょのおばさまに! 信じられる?  
お腹が破裂するんじゃないかくらいエナジードリンク飲んで、カフェインが身体に染み渡っていくのを堪能して、会計しようとしたら、レジでもめてるのよ。
もう体型が、それこそ太っちょの・・・いや、ぽっちゃりしたおばさまねが、たっぷりチーズをかけたナチョスを片手に、チーズぼたぼた落としながら、”私は小銭なんか持ってないの”とか言って、100ドル札出してるの。 それもピン札。
コンビニでナチョス買うのに、100ドル札とか使う? 
ありえないでしょ? 
私、ニッポン人以外で100ドル札出す人なんて見たことないわ。
さすがにインド人の店員受け取らないわけ。そんなの。
で、押し問答。

いくら待ってもおばさまとインド人の戦いは終わらないのよ。
もう卒倒しそうになりながら、「主イエス・キリスト様、私に憐れみを」って、少なくとも30回はつぶやいちゃってたわよ。
でも.それが限界。

「これで、このおばさまの分も払いますから」って、私がアップルペイで払ったわよ。 
太っちょのおばさまのナチョスの2ドル99セント込みで。
そしたら、おばさまは満面の笑顔!
「あらー、なんて親切な人なの。今日はバナナフィッシュにはうってつけの日ね!」

で、私の持ってた若草色の「巡礼の道」を見つけて言うのよ。
「あなたの探しているぴったりの答えをあげるわ!」
で、ナチョスのチーズがついた手から渡されたのがマッチ箱ぐらいの紙製の小さなスイッチ。
ちっちゃなボタンが4つ着いてて、手書きで、

あなたは人類の救済をしますか?
 ① する  ②しない  ③どちらとも言えない 

って書いてあるの。3択なのにボタンが4つもあるのよ。 
いかれてるでしょ。完全に。

「これはね、人類を救済するかどうかを選択する”運命のスイッチ。 自ずと答えが出るはずよ。」
スイッチにもチーズがべっとり着いてて触りたくもなかったけど、この街では頭がおかしな.人には関わらないのが一番だからね。
「どうもありがとう。これこそ私が探していたものに違いないわ。おばさま。素敵!」って受け取ったわ。

で、スイッチが私の手に触れた瞬間、私わかったの! 
私が求めていたものが何かを。
天啓とはこのことだと思ったわ。

私が求めていたのは、まさにおばさまがくれたマッチ箱で作ったちゃちで粗末な”運命のスイッチ”だったのよ。 

レーン、わかる? 私の言ってること。

私は”運命のスイッチ”を勝手に作り上げて、ひたすら祈り続ければ、神様がきっと正解ボタンを見事に押すもんだと思ってたのね。
しかも、救いの対象を当然のように人類だけに限定して。
なんて思いあがった尊大なエゴなのかしら。
自分の承認欲求をあれだけ心底嫌悪したくせに、スイッチこそ博愛の外見を装った私の承認欲求そのものなのよ。

でも、そのスイッチって、神様にしてみれば、食べかけのナチョスのチーズがついたって全然気にならない程度の価値のものなの。
人類の救済なんて、ましてや私の心の救済なんて、どうでもいいことなのよ。
当の本人に自分で勝手に決めなさいってぽんと渡せるぐらい軽いものだったのよ。

わかる? 

どんなにマントラや祈りを唱えても、神は救いを何も与えないのよ。
選択の決断は私達、人がするものなのよ。
人生の選択は常に、やるか、やらないか、どっちとも決めないか の三択しかないの。
なのに人生の選択肢は”運命のスイッチ”みたく余分にいくつもある。
しかも、どれが正解なのかは押してみるまでわからない。
でも、正解がわからなくても、人は自分の信じるボタンを選択していくしかないのよ。
それが多分、救済の本質なのよ。
神様は私達が何を選ぶかも、その結果どうなるかも、ニコニコしながら見守っているだけなの。

おばさまは別れ際に私に言ったわ。
「翼を持たずに生まれてきたのなら、翼を生やすために、どんな障害も乗り越えなさい。」 (ココ・シャネル)
もう泣きたくなったわ。それ聞いて。

家に帰って、ゾーイーに話したら、
「君、さっそく太っちょのおばさまに会ったなんて、すごいじゃないか!」って感激してたわ。
で、チーズのついたマッチ箱スイッチを見てまた大感激。
「君、これはすごいぞ。 古今東西のありとあらゆる宗教家、哲学者が求めていた救済の本質と矛盾を見事に突いているじゃないか! あー、なんてこった。 それをたった4つのボタンだけで表現してるんだ! これぞ神業だよ!」
ゾーイーは大興奮よ。 
さっそく上の兄貴のバディに電話してたわ。 
ニューハンプシャーですっかり隠遁作家を決め込んでるあのバディが、今度の週末にはマンハッタンまでマッチ箱のスイッチ見に来るらしいわ。
どうかしてるわね。兄弟そろって。

ぽっちゃりのおばさまは、今日も朝から、お気に入りのでっかいカウチにどっかり座って、小脇に抱えた好物のチーズナチョスをほうばりながら、Amazon Primeなんかを見ているのよ。きっと。
で、いろんな人の祈りの声を聞いても、"Take it easy (気楽にやりなさい)"って、いつもニコニコしてるだけ。 

ゾーイーに聞いたら、
「それって多分ニッポンの神様の”えべっさん”のイメージに近いな」って言ってた。
えべっさんって、商売繁盛のニッポンの神様らしいけど、何か特別なことをするでもなく、釣り竿と鯛を抱えてニコニコ笑って座ってるだけの太っちょの神様なんだって。
ニッポンの神様は、人類の救済とかそんなことにはまったく関心がないらしくて、商売繁盛とか家内安全とか現世でのご利益の願いをニコニコ聞くだけで、そのために何をどう選択するかは人間が決めることになってるらしいの。

恐るべしニッポンの神様だわ。

私、女子大やめて、ニッポンに留学することにしたわ。

ごめんね。レーン。


(サリンジャーのファンのみなさん、ごめんなさい。🙇‍♀)

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