見出し画像

【エッセイ】クリスマスの水族館

かつて、深く私を愛してくれた女性がいた。彼女との別れを経て、初めて迎えたクリスマスは、孤独と哀しみに満ちていた。

東京という大都会で、私はまるで一人ぼっちで生きているかのような虚無感に包まれていた。悲しみと絶望が心を覆い尽くし、知人たちには「死にたい」と繰り返し口にしていたそうだ。

しかし、その記憶は私にはない。ただ、身の回りに満ちる悲壮感や苦しみから逃れたい一心で、自分でも気づかぬうちに、死を切望していたのだろう。

自殺するつもりは全くなかった。至極当然のように死を望むことが、私にとっては当たり前の感覚となっていた。それが、私が生きてる世界で、毎日のように感じてる感覚だった。


🎄


休日にはひとりで煌びやかなレストランで食事をしたり酒を飲む事だけが、持て余した時間と金の使い方だった。いつか新しい彼女ができたとき、彼女を連れて行ったら喜んでくれそうな場所を探しとこうと、有名なシェフのいるフレンチレストランやお洒落なクラブ、デートスポットや観光地を巡っては孤独感を紛らわせて居た。

しかし、その全てが虚しく感じられた。眉間に深い皺を刻みながら、心から溢れる苦しみに耐えていた。豪華な料理も、華やかな光も、一人でいるという事実を紛らわすことはできなかった。

空虚感は、ますます深くなるばかりだった。


🎄


クリスマスの夜、私は品川の水族館へ向かった。家から一番近く行きやすいことが理由だった。

しかし、そこはデートスポットとして有名で、遊園地と水族館が一体となったような場所だった。

周囲はカップルたちで溢れていた。彼らの中で、私は一人ぽつんと立ち、不幸を一身に背負ったような危うい雰囲気を漂わせていた。

周囲から見れば、私は場違いな存在で、まるで犯罪者が一人、この楽しい空間に紛れ込んだかのように映ったろう。カップルたちの幸せな様子とは対照的に、私は孤独と哀しみの中に沈んでいた。


それでも魚達が優雅に泳ぐ姿やイルカが飛び跳ねるショーを見て、多少は気が晴れた。水槽を見ながら観覧してると飼育員に犬のように紐を首にかけ連れ出された1匹のアザラシが私に妙に懐き近くに寄って来た。

アザラシは魚臭く、首を鳩のように激しく動かす様子が何とも奇妙だった。その姿に恐れを感じつつも、こんなにも身近に寄ってくるのがアザラシだけだという事実に、どこか寂しさを感じた。


🎄


そんな水族館で私と同じように1人で魚を見て回る青年と目が合った。彼も私と同じ様に不幸を背負い1人で悲しみながら魚を見て居た。

目と目が合った瞬間に私達はお互いを励まし合った。今にして思えば、これが念話だったのかも知れない。

全く見ず知らずの赤の他人が、誰かを殺そうと思うほど苦しんでる事や、1人で大量の薬を飲もうとしてる光景が頭によぎった。

私は彼の事を本当に凄いと思った。恨みを持つ1人を害するか、そうなる前に自ら命を絶とうか悩んでる彼はとても心優しい人だ。

私は社会を憎み、無関係の人々を大勢巻き込むテロを実行しようか悩んでたので、悪行の桁が違った。


彼は私の事を、自分よりもっとヤバイ奴が居ると感じ少し気が晴れたようだった。

一方で私も、こうやって愛されずに苦しんでるのは自分だけじゃ無いんだと励まされた気がした。


そして、その時に彼の未来が見えた。彼が彼女と一緒に食事をしながら温かく楽しい未来を迎えてる映像が頭によぎった。

それを見て、私も人生に悲観し諦めるべきじゃ無いと感じたのだった。


🎄


それから、数年後に私は再びこの場所に女性と訪れた。彼女と共に見たイルカは、前回よりもずっと大きく感じられた。

施設は少し老朽化していて、昼間だったため家族連れや老人も多く訪れていた。


彼女は私の腕に抱きつきながらイルカを眺めていた。彼女の温もりはとても心地よかった。

そんな暖かさを感じながら、彼女が他の男性について話すのを聞いていた。彼女はまだ元彼のことを愛しているが、現在は別の彼氏が居て、その彼は自分の事を真剣に愛してくれず不満を感じているらしい。

私が彼女の頭をそっと撫でると、彼女は涙を流しながらイルカを見ていた。

私は過去に一人でこの場所に来たことを彼女に話し、「今日は君がいるから楽しかった」と言った。それを聞いて、彼女は笑った。その笑顔に、寂しさが少し癒されたような気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?