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なぜ日本はこんなに恵まれているのにドンヨリした感じが漂うのか?

前職で最後の2年弱、運よく海外関係の仕事をしていました。まぁ大した仕事ではなかったんですけど、コロナ明けに思いっきり海外の現状を知れたのは幸運なことでした。

改めて色々な国を見聞きして気付くのは、日本の社会インフラの圧倒的ハイレベルさです。色々と問題がないわけではないですけど、教育や医療など驚くほど充実しています。どこに行っても清潔だし、ご飯もおいしいくて、サービスも良い。

また例えば中国だけでなくタイなんかの経済発展も以前に比べると目覚ましいですが、1人当たりGDPが先進国水準にたどり着く前に人口減少がはじまってきています。これは人口ボーナス(内需拡大)という経済発展の起爆力を失うことであり、これらの国の将来への経済の舵取りは意外と難しいかもしれません。

そんななんだかんだ恵まれた日本にも拘わらず、羽田空港にたどり着くと、一気に両肩に”どんよりとした空気”がのしかかってきます。いったいこれは何なんでしょうか?


未だ成仏していない?軍国主義の亡霊たち

近代日本において人々が最も抑圧されていたのが軍国主義の全盛期であることは言うまでもありません。「欲しがりません勝つまでは」という人として当たり前の欲望を抑圧するキャッチフレーズはもとより、男性は戦場に強制的送られ、バンザイ突撃や特攻隊に使われたりもしていたのです。

あげく、女性や家族たちは「お国のために戦っているんだから」と大切なパートナーや子どもを引き留めることすら許されませんでした。その死すら英雄的行動であり、悲しみの対象として捉えられなかったのです。こんな強力な抑圧的文化が軍国主義のもとに作り上げられていったのです。

そして敗戦後に軍国主義は形式上解体されるのですが、その中心的担い手である職業軍人=将校=エリートたちは企業戦士へと転身することになります。(ここら辺を論証するのは難しいことですが、一つの参考に「職業軍人の退役後の職業経歴 - 国立情報学研究所」というレポートがありました。)

上意下達で個を抑圧する文化は、大量生産を前提とする当時の日本をけん引した産業構造とマッチしていたと考えられます。そこに経済成長の熱気も加わり、「24時間働けますか」という話になってくるんですね。配属や転勤もすべて企業が決めるのがアタリマエ。文句を言う前に置かれたところで咲いてみなさいというわけです。

やがて昭和どころか平成の失われた30年も終わり、その過程で団塊世代が引退すると、だいぶ社会的風土も変わってきたようにも感じられます。一方、軍国主義の核心的部分=個の徹底的な抑圧は未だ亡霊として私たちの周囲をさまよっていませんでしょうか?

「~であるべき」「~するべき」に縛られ個を失う大人たち

もはや10年以上前の話ですが、新人時代に当時の課長から、「お客様から見えるところに飲み物を置かないように」と注意されたことがあります。当時はそんなものかと思いましたが、よくよく考えれば本当に下らない接客ルールです。

要はある一定の立場に置かれた時点で規範が強制的に適用され、個の自由が制限されるということです。そして、実際はどうでもいいし誰も損しないし気にしていないのに!

熱中症の問題などもあって今はここまではないかもしれませんが、似たようなクソルールは探せばいくらでも発見できるかと思います。本当に息を吐くように個人の自由を制限しようとするし、自ら「~であるべき」の枠内に積極的に入り込もうとします。

典型的なのが忖度で、「上の人には意見をすべきでない」という規範を勝手に適用して、みんなで大損するという文化ですね。

日本文化はいったん「個」にしっかりフォーカスしないとアップデートできないのでは?

アメリカや欧州のような個人主義が強いエリアの状況を持ち出して、やっぱり個が行き過ぎるとよくないのではないか、といった議論もあるかと思います。ですが、そもそも日本では欧米的な個人主義は発生していません。延々とずっと集団の空気に左右され続けている文化です。

そしてしっかりと世代を超えて、親から子へと個を潰す抑圧の連鎖も広がっているように感じられます。

一度しっかりと軍国主義の亡霊をお祓いし、個を見つめなおしたうえで、本来の日本らしさや日本文化の強みを引き出せるようにしていきたいですね!


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