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【第16回】特集 司馬遼太郎の幕末維新期の短編を読む② 『酔って候』

司馬遼太郎氏の幕末維新期について描かれた短編を読む特集、今回は『酔って候』収録作品を中心に読み進めたいと思います。

殿様たちの物語

本書に収録されている短編は、ずばり藩主、すなわち「殿様たちの物語」です。
「酔って候」 土佐の山内容堂
「きつね馬」 薩摩の島津久光
「伊達の黒船」伊予宇和島の伊達宗城
「肥前の妖怪」肥前佐賀の鍋島閑叟

厳密にいうと「きつね馬」の島津久光は藩主の父(前藩主の弟)であり、国元では国父としての地位を確立しましたが、藩主としての資格は持たなかった人です。
「伊達の黒船」は、物語は蒸気船製造を命じられた最下層の町人・嘉蔵が主人公で、伊達宗城はあくまでも嘉蔵にとっては雲の上の人のように切り離された存在に描かれています。

「酔って候」

最初の「酔って候」は高知は土佐のお話。嗣子がなかった前藩主の急死により改易の危機に立たされた土佐藩で、転がり込むようにして舞い込んだ養嗣子と新藩主の座を手にしたのは山内豊信、号を容堂。
この相続の背景には、島津斉彬、伊達宗城、黒田藩主黒田斉溥らの殿中工作があったといういわく付きの15代土佐藩主です。

できれば戦国の世に生まれたかったという公は自らを「鯨海水候」と呼び、常に酒気を帯びているため発言が一致せず掴み所のない時も。
将軍継嗣問題に敗れると「慎み」を言い渡され、前藩主の弟・豊範に藩主の座を渡しました。
しかし井伊政権の崩壊後、隠居の身ながら藩政を握り、中央に対して意見を求められるようになります。
文久三年には参与会議のメンバーに連なりますが、結局この体制は成果虚しく崩壊しました。

容堂自身は発言や態度こそ奇抜であれ、徳川家の関ヶ原での恩義---佐幕と、土佐藩内に蔓延る勤皇思想---討幕の矛盾する要素を調和させ、自藩を位置付けようと策を巡らせた人でした。

「酔って候」に続く物語

ここで本作に関連する物語を司馬作品から選んでみたいと思います。
まずは戦国時代まで遡って、『夏草の賦』。長宗我部元親の物語です。

土佐藩に脈々と続く山内家方上士と長宗我部方下士の断絶、そして容堂のいう「徳川家への恩」のルーツがここにあります。上下巻の長編ですが、この作品を読むことで土佐藩内の対立意識がイメージしやすくなったように思います。

次は短編「人斬り以蔵」。土佐の勤皇志士・武市半平太に飼い慣らされ、汚れ仕事を一手に引き受けた岡田以蔵の物語です。偉大夫と呼ばれた武市の黒い部分を知ることができる作品で、容堂が彼を煙たがりついには処刑したその理由を、この「酔って候」と一緒に読むことで紐解くことができます。

続いては何と言っても『竜馬がゆく』。坂本龍馬の生涯を描いた長編を読むにあたっては、この「酔って候」は格好の予習になることでしょう。

「きつね馬」

続いて紹介するのは「きつね馬」の島津久光。
賢公と呼ばれた兄・斉彬の死を受け、自身の息子を藩主に相続させ、国政を支えることとなった久光は、薩摩の「国父」として存在感を発揮します。

しかし彼の母は先先代藩主・斉興の側室であったお由羅の方。久光を藩主にしようとする母の陰謀で斉彬の実子は次々に殺されるなか、斉彬・久光の藩主襲封をめぐる藩内の御家騒動(お由羅騒動)が起こった経緯を持つ薩摩藩において、実権を握った久光ですが、気負いはあっても、混迷する時勢を読み新しい未来を開くために画策する力は兄には到底及びません。
結果的には大久保一蔵や西郷隆盛の描く新しい国づくりのための傀儡となってしまいます。

しかしながら彼の影響力は大きなもので、上洛の際の京都における尊皇攘夷派の公家たちにとっての期待は大きなものでした。

「きつね馬」に続く物語

この薩摩が関わる幕末維新での出来事は枚挙にいとまがありません。
司馬作品の短編でいうと、『幕末』の冒頭作品「桜田門外の変」からして薩摩藩士有村治左衛門が主人公です。有村は斉彬公が目をかけていた有村家の三兄弟の末っ子でした。

薩長同盟が成立するまで長州藩と対をなすような動きをしていた薩摩ですから、どの物語をとっても薩摩・長州のどちらかの力が及んでいるのが感じられます。

薩摩藩の幕末維新といえば忘れてはならないのが大久保一蔵(利通)と西郷隆盛。
彼らの物語『翔ぶが如く』は、特に明治維新がなってから西南戦争終結までの明治政府の黎明期を描いたもの。「きつね馬」はこの長編作品を読む前に、幕末期、特に大久保がどれだけ久光に巧妙に近づいたかを垣間見れる作品でもあります。


「伊達の黒船」

「伊達の黒船」は殿様を描いた作品集でもちょっと毛色の違う作品です。
今日の日本から見たら想像に耐えない厳しい身分制度、ほとんど差別と言っていいほどの低い境遇に甘んじながらも技術革新に勤しんだ嘉蔵のお話ですが、同じくらい異色を放つのが藩主伊達宗城の「新しい物好き」加減です。

「新しい物好き」のお殿様だったからこそ、村田蔵六(大村益次郎)を蘭学者として取り立てたのでしょう。その功績は(私にとっても)大であります!
改めて、関連作品として『花神』をお勧めします。

「肥前の妖怪」

幕末の雄藩・薩長土肥の一つに数えられた肥前佐賀藩ですが、実は肥前が中央に躍り出たのは明治維新がなってから。江戸時代は幕末まで、藩主鍋島閑叟(直正)は、藩論を表に出さず、穏やかに、控えめな存在であり続けようとしました。

そうして中央の視線をかわしながら、長崎を通じた交易により力を蓄え、独自の殖産興業路線を辿っていたのがこの肥前、閑叟が「妖怪」と訝しがられる所以です。

長州や薩摩が大金を政治工作のために費やしているとしたら、肥前では日本史上最大の洋式要塞を構築。軍艦や最新の兵器を充足させた閑叟は、文久2年に一度だけ近衛関白に自らを京都守護職に任ずるよう運動します。
しかし会津藩がすでにその任を負っているとしてにべもなく振られると、亀が手足を引っ込めるように京を退き、その後再び姿を表すまでには鳥羽・伏見の戦いまで待つのでした。

「肥前の妖怪」に続く物語は、江藤新平を主人公にした『歳月』でしょうか。
もっとも、この人は幕末に脱藩の罪を得て、動乱の時代はずっと謹慎しています。
明治が明けてから卓抜した論理と事務能力をもって中央に躍進した江藤でしたが、そのルーツは、「葉隠」「二重鎖国」という肥前佐賀藩独特の風土にあったように思います。


今回は駆け足で『酔って候』収録作品をご紹介しました。
ページ数こそ多くないものの、世界の広がり方たるや改めてその大きさに感じ入っている次第であります。
本当は先にラインナップした短編をもっと関連づけることができるかもしれません。引き続き、整理作業を進めたいと思います。

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