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【第1回】吉村昭 著 「牛」

幕末・明治維新への誘い〜点と点を結んで世界を堪能する〜

19世紀中期から後半にかけて、約220年続いた鎖国の太平に風穴が開けられ、近代国家への転換を図るための革命的事件が各地で勃発した…それが日本の「幕末」「明治維新」です。ペリーの来航とか、尊王攘夷とか、新撰組とか…エピソードは聞いたことがあるけれど、全体として日本に何が起きていたかピンときていない、そんな人も少なくないのではないでしょうか?

私もその一人で、歴史小説を読んでいてもあまりにも事件やキャラクターが多く伏線も複雑で全体像を掴みきれない。一方で知的好奇心を刺激されながら、いわゆる「幕末沼」にハマってしまっています。

歴史的事実の正確さを求めるのは、歴史学を研究している先生方にお任せするとして、私はそんな先生方や作家先生の著作を通じて、幕末・明治維新期の空気を読み解き、体系的に整理していきたいと思いますのでどうぞお付き合いください。

早速第一回のご紹介です。

吉村昭著「牛」 (『幕府軍艦「回天」始末』収録)

「異国船打払令」発令のきっかけとなったイギリス捕鯨船の襲来の日を描いた、吉村昭氏による「牛」は、『幕府軍艦「回天」始末』(文春文庫)に収録されている短編です。

 時は文政7年(1824年)7月、薩摩藩領の宝島の遠見番が、北方の沖合に帆影を発見したところから始まります。

 どうやらこの異国船はイギリス人が乗った捕鯨船で、彼らは食糧として「牛」を要求している様子。しかし宝島の人々にとって牛は黒砂糖生産に不可欠の労働力であり、貴重な財産。安易に提供することはできません。

 しかも彼らの脳裏をかすめるのは文化5年(1808年)のフェートン号事件のこと。オランダ国旗を掲げてオランダ船を装ったイギリス軍艦「フェートン号」が長崎に入港し、オランダ商館員2名を捕らえて薪水と食糧を要求・威嚇してきた事件では、長崎奉行が「天下の御恥辱を異国へあらわし候段…」と切腹していました。

 言葉が通じない、赤い髪・青い目の男たちの要求に、村の人たちはどう対峙するか。

 幕末の始まりとされる嘉永6年(1853年)のペリー来航以前から、北は蝦夷、南は琉球・薩摩藩領では、たびたび異国船が立ち寄り通商を求められてきた経緯がありました。安政元年(1954年)の日米和親条約の締結をきっかけに日本は順次開国、そして長年の徳川体制に歪みが生まれ、尊王攘夷運動・倒幕へと時代が動いていくのですが、その前夜、鎖国体制の限界が小さな島に及んできたその恐怖をありありと描いた作品として、この「牛」を味わっていただきたいです。

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