やさしさの搾取

友人とFacebookメッセンジャーでコーヒーの話をした数日後、会おうよという話になった。待ち合わせは渋谷の路地裏にある、アイラモルトがたくさんあるバー。ドアを開けると、やあと片手を上げる彼が見えた。4年前ぶりの再会は交わすことばが止まらない。ひとしきりおしゃべりに花を咲かせたところで、友人は「これ」と白い紙袋を手渡した。中身は彼が焙煎したというコーヒー豆。20年以上、自分で豆を焼いているというだけあってジップロック越しの豆は見事な色艶だった。「挽き方は?」と聞くと「話し始めると長くなるからいいよ」と笑いつつ、「明日が一番美味しいと思う」と言い添えてくれた。

翌日、私は彼の言葉どおりコーヒーを淹れた。ていねいに挽き、月兎印のポットでお湯を沸かしてドリップする。焙煎したての豆らしく粉は驚くほど膨らみ、香ばしい香りがあたりに漂った。口に含むと、酸味が少なく香ばしさが際立つコーヒーの味わいが体中に広がる。そして、私は不覚にも泣いてしまったのだった。

友人の彼はあずかり知らぬところだけれど、私はこのところずっと嘘をつかれたり、約束を破られたり、何かしてあげてもそれが当たり前になっていたりと、やさしさを全部持っていかれるような日々が続いていた。無力感で起き上がれないような日も少なくなかった。はっきり言って心がスカスカになっていたと思う。そんな中、私のために時間を割いて、労力を尽くしてくれる人がいたということ。そのやさしさがただただ、嬉しかった。私はまだ大丈夫だ、と思えた。

やさしさには総量があるのだろう。でも、それをどう使うかは自分しだいなのだよね。他人のやさしさに付け入る人というのは一定数いるけれど、そこでやさしさを搾取され続けるかどうかは自分が決めること。自分を損ないたくなければ嫌だと言えばいい。情がわいたり、いい人だと思われたいという虚栄心でタイミングを見失うことがあるけれど、本当はいつでも言えるのだ。そして、ほんとうにやさしくすべき人たちのためにやさしさを使うとき、どんなに使ってもきちんと補充されるのだと思う。結ばれる信頼関係を実感することや、「ありがとう」の言葉によって。

コーヒーは大切に包み直して冷凍した。少しずつ大切に飲もうと思う。人にやさしくあろうとして、自分で自分にやさしくない行動をとらないように。そのことを、繰り返し思い出すことができるように。

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