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多文化ファミリー生活で感じること

ここ数ヶ月で感じたふわっとしたあれこれ。


フランスで私が常に関わるのはもちろん夫🇫🇷の家族がメイン。
日本では体験できなかった環境に身を置く今、日々いろんな文化の違いや自分の無意識な固定観念に気付かされることが多くて、自分の軸は残しつつも意識を変えていくことの大切さ、それには時間が必要ということを感じる。

家族たちの遺伝子的ルーツには
フランス、スイス(義祖父)、イギリス(義母)、中国(義妹)、日本(私)がある。

義母は20代の頃にフランスへ来て、言葉や文化に大変苦労したと言っていた。当時はインターネットもないし国際電話も頻繁にはできない環境で、かなりストレスフルだったのは簡単に想像できる。
仕事、結婚、子育てを経て40年以上過ごした今でも、まだ慣れない部分はあるという。大先輩の言葉に安心と不安を同時に覚える私。

現在私たち夫婦は義母宅で暮らしているので、テレビではフランス語の番組を流しつつ、義母がイギリスの家族と英語で電話していて、私たちは日本語で会話する、みたいな状況がよくある。
3人とも、とっさに何かを話しかけられるとそれがフランス語・英語・日本語のどの音声か瞬時に判断できず会話のすれ違いが起きる瞬間もあって、笑い合っている。耳と脳と口のリンク(言語の切り替え)って地味に難しいよね。

義妹は遺伝子的にはアジア人だが、フランスで生まれ育って仕事もしているので言語文化的習慣はフランスの割合が多めかな、と話してて思う。でも彼女の家族たちはもちろん中国語で会話するし、冠婚葬祭や季節の行事などでは中国の文化も取り入れている。

大陸・移民文化のヨーロッパで様々な遺伝子的ルーツが混在するのはいたって普通のことで、小さい頃から多様性(違い)を当たり前として成長してける環境は個人的に羨ましい。その時点で見える世界や視点はかなり広くなるし、相手の気持ちに寄り添うことを身をもって自然に覚えられると思う。

見た目や考えは同じである必要なし。人と違っていいし、違うからこその個性だし、その大前提の認識を後から学ぶのって意外と時間がかかる。(日本のように地理的・文化的に特殊な国では更に?)
否定せずお互いを尊重すれば、良い関係性を築くためのコミュニケーション力が身につくと思う。

遺伝子以外にも宗教観によって成り立つアイデンティティは重要で、身近にいるキリスト教、イスラム教信者の人たちと会話をすると根本的な部分で仏教との違いを発見できることがあって、興味深い。このへんはまた実体験が増えてきたら書いてみたい。



国内外問わず、自分に馴染みのない土地で暮らす時、そこでの常識と自分のこれまで培ってきた価値観との衝突に苦しむ人は少なくないと思う。それが地理的にも離れていると余計に振り幅が大きくなるので、カルチャーショックの連続に気力・体力ともに消耗する。

やはりある程度 人格や慣習が出来上がった後に違う環境へ飛び込むと、最初のうちは自分という人間が侵略されないよう、気を張ってしまうものなんだと思う。拒絶まではいかないにしても。

最近になって、ようやく色々な違いを「そういうもの」として自然に受け止めることに慣れてきた気がする。



先日、夫の30年来の幼馴染(アルジェリア系)と話していた時のこと。

「私が将来フランスで子育てをするとしたら、価値観の違いで悩むことがたくさんあると思う」となんとも先走った心配を口にしてみた。

そうすると彼は、「マキの価値観は、マキだけのもの。それを周りと比べる必要ないし、善悪は状況次第なのでそれだけでは判断できない。ただひとつだけ言えるのは、日本のモラルは世界の中でも素晴らしい、絶対にフランスより良いことがたくさんある。だから自分の子供ができた時、その子にそれを伝えるのは正しいと思う。今からそんなに心配しなくても大丈夫。」と言ってくれた。

なんだか、自分自身を肯定されたようで嬉しかった。
そしてしっかりと私の目を見て、笑い事にせず、私の心を大切にしながら伝えてくれる彼の慈悲深い姿勢に感動した。

これ。これだよ。
相手を否定せず、尊重しつつも、自分の考えを届ける。

私も人に対してこんなふうに接する人間でありたい!と強く思った。



自分の殻を破って、世界を知って、価値観が広がるって、つらいこともあるけど、やっぱりどんどん楽しくなってくるなーと感じる、今日この頃でした。


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