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サイレンの鳴らない8月6日

広島に原爆が落とされてから78年。

8月6日の8時15分はサイレンの音と共に黙祷する日だった。そんな幼少期から30年。

地元九州を離れて、東京、名古屋、京都と移り住んでいるけれど、8月6日のサイレンを聴くことはなかった。


鳴っていたのだろうか。

今でも地元ではどうなのだろう。
いや、いつからかなってないのだろうか。


学校にいても、学校に到着する前の道端でも聞こえたら黙祷するもの。習慣がなくなってしまうのは早い。



戦争を直に体験した人たちが減り
言い伝えやドラマや映画だけになっていく。
風化してはいけないのに、風化していくものがある事実。

テレビをつけても、ニュースを見ても、とりわけ普段と変わらぬ内容。


世界が平和であってほしい。
純粋な願いだけど、ずっと口に出せなかったこと。


ここ2年は書いている。
意志をもって、変えたから

サイレンは聴こえなくなった分、
自分で思い起こして、言葉にする。

何にもならないと諦観するのではなく
何かにつなげるんだと意志をこめて。

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