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過去の記憶と記録がつながる時、そこには届け主がいた。

昔のことってどれくらい覚えてますか?

正直、私はあまり覚えてないんですが、記憶してなくても『記録』があると、記憶を呼び起こしてくれる。そう実感している。

ただ『記録』を見ないことには始まらない。
記録や記憶の届け主は母だった。

たとえば『結婚は34歳!』と執念のように信じていたのは母↓↓

占いを受けた本人も忘れているのに、母は5年間ずっと忘れてなかった。占い師さんに言われた「34歳で結婚しますよ」がぴたりと当たって、すごい!と熱気冷めやらぬ状態。


昨日noteに書いた、新卒入社したリクルートとの出会いを発見したのも母。家庭科の宿題冊子を残してくれてた上に、見直して持ってきてくれるという。記録として残していたことが20年以上時を経た。


そしてもう一つ。
母が最初に「書いたことって現実になるのね!」と言い出したのは、中学校の卒業文集を読み直してから。卒業文集は実家に置いてあるので手元にはない。

とはいえ、卒業文集の内容は記憶していた。
「叶えられなかった夢」として。

中学3年生。10年後をイメージして書くというもの。なりたい職業もどんな風に生きていたいかも全く想像ができなかった。正直、中学生時代というのは思い出したくない暗い過去。未来を明るく想像するなんて、夢のまた夢。

でも文集だし書かなきゃいけない。

で、「通訳になって海外を飛び回っている」と書いた。冷静に考えて、20代半ばで海外を飛び回るほど活躍してるイメージは持てなくて「海外を飛び回っていることを夢みながら、今はまだ東京にいる。」

と最後に記したの。自信がなかったからね。

通訳になるどころか、高校生になって英語は苦手領域になったし、いまだろくにしゃべれもしない。大風呂敷を広げても、心の奥底では「無理」って思ってるから、最後に一言付け足しちゃうようなところも、自分らしいなぁって思う。

だから私にとって文集の内容は「叶えられなかった、未達成の夢」として残っていた。

なのに、また母よ。

「ねぇー(テンション高めの声)、中学校の文集覚えてる?東京にいるって書いてたのよ。すごいよね、ホント東京行っちゃったもんね。」

母は『書いたことは当たる・叶う』という意味で伝えてくれてテンションが高かった。

はぁ、叶えられなかったのにな。

娘とは対照的な反応。捉え方ひとつで叶った、叶わなかった、どちらにでもなり得るんだもね。


母が教えてくれてから、すでに10年近く経つだろうか。今だったら母の気持ちが分かるし、今は強く「書いたことは叶う」と信じている私。その源は母だったんじゃないかと。

東京なんてすぐ行けると思うが、九州の田舎から上京した高校の同級生は1割にも満たなかった。そもそも私自身、東京にいく選択肢なんてなかった。費用が高くても東京の私大に行ってイイよと両親の了承をもらえなかったら、絶対行けてないだろう。

東京に出て、たくさん良き友と出会えて充実した日々を送る娘を見て、母からしたら「東京に行ったことが転機!」だったわけだ。そうそう、結婚式前夜にもらった手紙にもそんなこと書いてくれてたなぁ。


記憶は、良し悪し・喜怒哀楽、どこかに分別してしまわれる。一度固定すると変わらない。何かきっかけがない限り変化しない。

記録は残してないと、見る記録自体がない。見直さないと忘れたりもする。

記憶と記録。
記録の届け主はいつも母。
自分の中にあった悲しい記憶や苦しい記憶が緩やかにほどけて、新しい記憶に架け替えられる。

届けてくれた記録で、記憶が架け変わる。



届け主はいつも母。過去の記憶と記録がつながる時。

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