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どうしようもないものは、もうどうしようもないんだよ

たぶんどんな人にも「あの人と出会っていなければ自分の人生はちょっと今とは違うものになっていただろうな」と思う誰かがいるだろう。

私にも数人いる。
実際の生活に一番影響を与えたのはもちろん夫だ。彼と出会わなければたぶん私は子をなしていなかっただろう。子がいる生活と夫婦2人の生活。それは各々いい部分があるだろうが、ずいぶんと違った種類のものになるはずだ。でもそれとは別に、今の私を作った一端を確実に担っている人がいる。

大学時代のT先生だ。


その先生はちっとも先生らしくなかった。見た目がまず先生に見えなかったし、授業中もまるでポスドクの先輩が後輩にちょっとした指導をしてるかのようだった。

そんな風だったので我々学生の方も気安く先生の部屋に遊びに行ったし、先生もそんな私たちを迎え入れて研究とは全く関係のないくだらない話に付き合ってくれた。

ある日、他の学生と同様に若さゆえの根拠のない自信に満ち溢れていた私は、これぐらいは受け止めてもらえるだろうと先生に愚痴を垂れ流していた。今思えば時間泥棒以外の何者でもない。そんな迷惑な学生に、先生は嗜める口調でもなんでもなく静かにこう言った。


「まき(私の名だ)、いいかい。どうしようもないものは、もうどうしようもないんだよ」


何を当たり前のことを、と当時の私は思ったし顔にも出ていたはずだが、先生は気にした様子もなかった。

「たとえば過去の事とか、他人の気持ちとか、この世界には自分ではどうにもできない事の方が圧倒的に多いんだ。自分の気持ちや感情でさえ、自分にはどうにもできなかったりするもんだよ」

と続けて、少しだけ寂しげに笑った先生は

「俺たちにできるのは、そういう色んなものに自分がどうやって関わっていくか、どのぐらい関わっていくか、その関わり方と度合いを決める事だけなんだよ」

そう言った後、私にコーヒーを一杯いれてくれた。


当時の私は「どうしようもない」という言葉の響きに引きずられ、ほんの少し苦い気持ちを抱えて先生の部屋を後にした。

過去に学会の見学で訪れた見知らぬ土地で、その場所が自分の生まれ育った所と国道一本でまっすぐに繋がっていると気づいた私が驚きの声をあげたら「ばかだなぁ、まき。道なんて、日本全国どこでも繋がってるんだぜ」と笑って、私をハッとさせた先生。

愚痴を言いながら、心のどこかで「先生がこのモヤモヤを吹き飛ばすようなスッキリする言葉を投げかけてくれる」と期待していた私は、正直なところちょっと失望したと言ってもいいと思う。


でもそれから色んな経験をして、あの時の先生の言葉は決してネガティブな気持ちで発せられたものではないと思うようになった。

「この世界は自分ではどうにもならないもので溢れているけど、自分を取り巻く様々なものに、どう関わるか(あるいは関わらないか)は少なくとも自分が選べる。その結果を自分が受け止めればいいんだよ」

先生はきっと、そう私に伝えたかったのだろう。
あの時の先生の微笑みは、決して諦観などではなく、まだ人として幼い目の前の学生も、いつか自分なりの世界への向き合い方を身につけて行くのだ、という思いから出たものなのだろう。


それに気づいてから私は、数少ない「自分にどうにかできる事」にはちゃんと努力できるようになったし、「自分にはどうにもできない事」をどうにかしようともがかず、時には見ないふりをしながら、それでもずっと関わり続ける。そんなやり方も悪くないと思えるようになったのだ。

いつか、この事を自分の子供たちに伝えられたらいいなと思う。私が先生からもらった、明るくて、少し寂しくて、優しい香りの空気とともに。



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