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たいくつだから、フコウをもとめてる。


「毎日いそがしい」
「今日も仕事か、行きたくないな」

そう思っているのに、わたしたちはやめることを選ばず、つづけている。

学校は行くべきだから?
将来のため?
働くのはお金がほしいから?

最悪、すべてを投げ出してしまったら、死んでしまうのでしょうか?

そんなことありませんよね?

ホームレスやニート、他にも色々な制度や生き方で生きている方はいると思うんです。

では、

やめてもすぐは死なないのに、
それでも辛いことをやめられない、
一番の原因はなんなのでしょうか?


わたしは

退屈だから

という答えにたどりつきました。


わたしたちは退屈なんです。

生きている限り、わたしたちには時間が与えられます。人生80年だとしたら、24時間×365日×80年=70万800時間。まったくピンとこない時間。

でも、できれば、この時間を有効に、充実して使いたい。

最もラクに、ヒマをつぶせる方法、それは、

みんなと同じ道を選ぶこと。

考えず、努力せず、とりあえずみんながやっていることを自分もやってみること。

それが、学校へ行くことであったり、就職することであったり、家庭に入ることであったりするのだと思います。

そこに

自分の考え

自分の想い

自分軸での選択

が含まれていなかったら、ただの不幸になってしまう。

退屈したくないから、時間をつぶすために、ただなんとなく選び続けた結果が不幸になってしまう。

あなたの70万時間が、不幸になってしまう。


そして、不幸な状況からは、なかなか抜け出すことができません。

ダメ男と別れなれなかった過去のわたしは、「不幸だけど、充実感があった」からなかなか別れられなかったのでしょう。この「充実感」が厄介で、「不幸なのに充実している」現象が起きてしまうんですよね。「誰かの役に立てている」とか「わたしがいないとダメだ」とか。「毎日辛いワケじゃない、楽しいこともあるんだよ!」とか。はたからみたら「いやいや、他の生き方でも人の役には立てるよ」「なんであえて自分を追い詰めてるの?」と謎なのですが、本人は充実していたんです。お酒に酔って、右も左もわからない状態と同じだったのかもしれません。不幸は、人を酔わせます。


今現在わたしも満足した時間の使い方はできていません。noteにであったり、妊娠してはじめて「満足した時間の使い方をしていないな」「今までラクな方、安易な道を選んできてしまった」と思うようになりました。

わたしの場合、人生80年だとしたら残り50年。40万時間になってしまいました。

長いようで、短い。
短いようで、長い。

焦らず、でも危機感を忘れずに、

自分と、自分の大切な人を幸せにできる時間の使い方をしていきたいです。


あなたは、退屈だから不幸を求めていませんか?



牧 真姫子🍙えっせいすと(@makicome1986

数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。