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正解がほしいとき

今回は迷い人の話。

ここ数年、自己啓発や自分を変える!系の書籍やコラムをよく見かける。

みんな、何かに迷っているのかな。

かく言う私も、人生迷い検定2級だ。
(1級まで昇格しないのは、全てを投げ出し迷い抜く勇気もないため。)

考えが確立された人の文章を読むと、一瞬自分もその気になり、ついつい目が行き読んでしまう。

お金と愛は当たり前
これで迷わない私
これからの生き方…

ざっと簡単にまとめたタイトルだけで、何が自分の中で足りないのかが丸わかりになり、苦笑してしまう。

様々なコラムを読む中で、両極端なライフスタイルを見つける時もある。

相手の気持ちを知るには
相手の気持ちはあえて理解しない
貯金はするな!全額使え!
貯金のコツ

など…

迷い検定レベルが高くなるほど、自分に確固たる軸が無い もしくは弱いため、両極端な考えを知る度に迷い分からなくなる。

これが俗に言う 迷いの森へようこそ 状態だ。

ひとつ、気づいたのはどのコラムも最終的には自分を大切にするためがベースに書かれていること。

方法も経路もちがう。
だけど、ゴールは「大切な自分が幸せだと思えること」だったりする。

迷いやすい人は、失敗したくない という気持ちが強い気がする。
そして失敗してしまった自分を好きになれない傾向にある。

大人になって様々なパーソナリティを知るなかで、失敗を気にせず明日へ繋げる人と、失敗を引きずり過去○年前まで遡り悲しくなってしまう人たちと出会った。

私は後者だけど、何がこんなに明暗を分けるのか。

きちんとしていたい、ぶつかりたくない、表面上でもいいから穏やかでいたい、傷つきたくない、本音が言えない、分かってもらいたい。

こういった気持ちが日々積み重ねることで、自分を好きになれず失敗を恐れ、書物やセミナーに正解を求める迷い人になるのかもしれない。

書いていると、自分にほぼ当てはまることとはいえ、なんとも情けなくいじらしく愛らしいな とさえ思ってしまう。

一歩が踏み出せないから、自分の円の中で堂々巡りをしている。
共感し、正解をくれそうなモノを延々と目で追いかけている。

モジモジと木陰に隠れ、見つけられることを待っているこどもみたいだ。

大人になった私達は、手を引く誰かは常に側にいない。
そのかわり、いつでも自分が自分に手を引くことができる。

突き放すことも、抱きしめることもできる。

誰かのことばに感銘を受けるのは大いに結構、でもそれは所詮自分ではない他人のことばでしかない。
ピッタリ当てはまらないのは当たり前だ。

なぜ迷ったのか、そんな気持ちになったのか
今の自分は好き?キライ?

日々自分と向き合うこと、気持ちに目を逸らさないこと、気持ちと行動をすり合わせること。

こういった作業を繰り返していたら、案外「迷い?なにそれ美味しいの?」なんて首を傾げているかもしれない。

ちょっと良い風にまとめてみたけど、いきなり実践したら結構疲れるよな。

余所見をしながらでもいいから、時々目を向けてみよう。
いちばん身近な理解者は自分だと言うことを思い出そう。

迷っても足並揃わなくてもいい。
もし本当に結果が欲しければ、失敗しても傷ついても、一歩飛び出して思考と身体を動かすしかないのだ。

自分に向けてささやかな喝とエールを。

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