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ケセラセラの歌詞から(ミセスグリーンアップル)永劫回帰の話

『ケセラセラ』Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル)のお話です。
最近、見てたドラマの主題歌になっていて、なんとなくピンときてて、何度か繰り返して聴いていた曲。

「ケセラセラ」って、どんな語感がありますか?

https://youtu.be/Jy-QS27q7lA

ケセラセラの軽やかさ

意味は「なるようになるさっ」で、僕にとってはスペイン人らしい軽い語感がありました。

なんとかなるよー、ポジティブシンキング☆

でもね、この歌詞を調べてみたら、ですね。

「ツァラトゥストラ」の一語が……

きっと、これは『ツァラトゥストラはかく語りき』(ニーチェの著作)の

ツァラトゥストラ なのでしょう。

スペインのケセラセラと、ドイツのニーチェ……だいぶ世界観がちがいます。

これは永劫回帰の歌?

ツァラトゥストラ

この言葉を見た瞬間に僕は、そうか。
これはニーチェの「永劫回帰」の歌なんだ、と、やっと理解しました。

その瞬間、この「ケセラセラ」という軽い語感が、ずどーんっ、と地に足のついた重量感のある語感に。
アーティストってホントすごいですね。

永劫回帰は、このつらい人生が続くこと。
しかも、延々と無限にずーーっと、永遠に繰り返されること。
無限地獄ですよ。

そうなったら、多くの人は
「えええーーやだやだやだぁぁぁ
 誰かたすけてぇぇぇぇぇ!!!」

そんなふうに取り乱したり、絶望してしまうかもしれません。

そのうち延々と続く辛い状況に
もういいやって、投げやりにもなるでしょう。

そして、グチグチいいながら、それでも無限から抜け出すこともできず、恨み節をいいながら、永遠に生きるのでしょう。

人生の全肯定 ケセラセラ

一方ですね、ニーチェさんの考える人間のあるべき姿

「超人」は

「自ら望んで、自分原点で、そんな絶望すら何度でも再演するぜ」

というのです。つまり、こういうことです。

なに? 人生?

確かに、それはつらいものかもしれないね。

思い返せば、失敗と後悔ばかり、ホント絶望ばかりさ。

こんな人生、お世辞にも「最高だ!」なんていえないよ。

この歌詞にあるように、私の人生は「悲劇の図鑑」なのかもしれない。

けれどもね、
けれどもだよ。

それが、他でもない、私の人生であるならば。

愛すべき絶望の我が人生、さぁ永劫回帰せよ。

ケセラセラ!

……これが超人の生き方「自分原点」だというのです(マッキー勝手解釈)

ニーチェはこの自分原点に、人間という存在が持つ可能的極限を見ました。

ここに薄っぺらいポジティブシンキングではない、真実の全肯定があると思うのです。

私を愛せるのは 私だけ

だから、歌詞はこうしめています。

「私を愛せるのは、私だけ」

「生まれ変わるなら?」

「また私だね」

そんなふうに歌った彼らの2023年の東京ドームライブのタイトル

「アトランティス」ですからね。

泣けますね。


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