見出し画像

# 花水木

 国道沿いの海岸通り。夏になれば海水浴客が溢れるその場所に、特に季節は関係なく佇んでいる小さなcafeがある。営んでいるのは長身の髭面の店主。その飼い猫は窓辺でいつも眠っているようだ。窓から西へ東へと忙しなく流れる車を引っ切り無しに見送りながらもその空間だけは時が止まったような錯覚さえ思える。駐車場は2台しかないが、常に店主の車が幅をきかせているため、1台分しかない。遠方からの来店客には少しばかり不親切な造りとなっているのは言うまでもない。ただ、主な常連客は近所の老夫婦や、この国道を通勤通学路としている人間がほとんどであるため、それほど駐車場問題は大きなものではないようだ、今のところは…


「マスター、あの駐車場の脇のところに咲いている花って花水木ですよね?」

この店の常連客である金井あゆみが尋ねる。今日はどうやら恋人との待ち合わせのようだ。

「あぁ、今がちょうど見頃ですよね。『ハナミズキ』…さすが金井さん、よくご存知ですね」

「10日くらい前に今年の桜も散ったねぇ、なんて話していたんですけどね」

「ちょうど桜が散り終わる頃に、ハナミズキはキレイに咲き誇りますからね…。桜も好きですけど、実は私ハナミズキが好きなんですよ。この店をオープンするにあたって、何か植物を植えたいなぁ、と思っていて即決でしたね」

「花水木……かぁ…」

その花の名前をポツリと呟きながら金井は、これから会う恋人ではなく別の人物の事を思い出していた。それはまだ金井が10代の頃の話…何となくマスターに聞いてほしくなり、おもむろに話し始めた。



金井あゆみは、地元高校卒業後は進学はせずに現在の職場でもある大手食品メーカーに就職をした。ただ、地元には支店はなく関東圏内が最初の赴任先となった。そこで出会ったのが小木だ。金井の新人教育担当で5歳年上の小木に恋心を抱くのにあまり時間は必要なかった。程なくして二人は交際を始めることとなる。金井にとっては初めての恋人であり、何もかもが新鮮でドキドキの連続だった。ただそんな毎日は一年と続かず…大好きだった、全力で恋をしていた自分がまた誇らしくも思えた…でも、結局それは彼には届かなかった。届けられなかった…小木の前ではいつも笑っていたい自分でありたかった。そんな自分に大人な小木も気付き、その日はやってきたのだ…

「最後にその人に会ったのが、有名な花水木の通りがある公園だったんですよね。そこで別れ話を切り出され、そのまま"さよなら"しちゃいました。だから、毎年花水木を見るとちょっと思い出しちゃうんですよね…あの頃の自分を…もう8年も経っているんですけどね…初めての恋人っていう特別感もあったからかもしれませんけどね……あ、すみません、なんかしんみりしちゃって…」


「いえ…金井さん、話してくれてありがとうございます」

その見た目からはあまり想像のつかないやや高めの声のマスターが優しく相槌を打つ。

「何年かかっても、そしてこれから先も花水木の花を見るたびに思い出しちゃうのかなぁ~?って思っちゃって…」

「ふふ。つまり、金井さんはこの店に来る度、思い出してしまうってわけですね?」

「あ!違いますよ!!マスター!決してそれが嫌とか、だからもうここには来たくないとか、そんなんじゃないですからね!!」

慌てたように弁解するが、髭面の店主には全てお見通し、といったところなのかもしれない。

「金井さんにとって、この場所が悲しい思い出を想起する場所、ではないことは分かっているので大丈夫ですよ。ふふっ、その大事そうに包まれたプレゼントを見れば一目瞭然です」

「うーーーーん、、、やっぱりマスターには一生敵わない気がします」

真っ赤になった顔面を右手でパタパタと手うちわしながら金井は待ち人を待つのである。そう…今日は金井の恋人である国仲の誕生日なのだ。

「話を蒸し返すようで申し訳ないですが、その金井さんの元カレさんって新人教育担当だったということは、今もまだ同じ会社にいるっていうことですよね?」

「あー…そう…ですね…
でも今はもう日本にはいないんですよね…海外進出組でご栄転、って感じで別れた後はすぐに海外へ飛んでっちゃったんです」

「なるほど…なんとなくその元カレさんが金井さんを手放した理由も分かる気もしますね…」

「お互い若かった…、ってことです。あの頃はこんな達観なんか出来なかったですけどね。今ならあの時の彼の気持ちもちょっと分かるかなぁ、なんて思うんですよね」

「相手の幸せを願うって、これから別れる人間に対して思えたら一番ですけど、そんなにみんながみんなできることじゃないですからね…

まぁ、でもその別れがあっての今があると考えたらそれは意味のあるものになりますからね…」

「…… ありがとう。マスター……私、話せて良かった。

あ!この話は国仲さんには内緒でお願いしますね!!」

「ふふっ、はい、分かりました…
そろそろ時間ですか?それにしても、国仲さん自分の誕生日だっていうのに残業なんですね…」

「そうなんですよ、新店舗で新年度っていうタイミングで人が足りないみたいです」

「あいかわらず忙しいですね。この店はこんなに穏やかだというのに…」

「それがこのお店のいい所じゃないですか?!あとはマスターのお人柄と」

と、その時店のドアが開いて、恐らく走って来たであろう国仲が顔を出した。
昔の話を切なそうに話す表情とは異なる慈しみに満ちた表情で国仲を迎え入れる金井のそれは思わずマスターの思い出の扉をノックしたようだった。

「とりあえず、マスターのコーヒーを1杯いただいてから行こう」

と、国仲から注文が入る。

あいかわらずこの店のドリンクメニューは少ない…マーケティングに長けている国仲にはいつも新メニューの相談をしているマスターであった。

「金井さん…その昔、花水木の花の名前を教えてくれたのは私の想い人だったんですよ…やっぱり私は花の中で一番好きですね。どうか金井さんはお幸せに…」

コーヒーを1杯飲んだ国仲が席を立とうとした瞬間、マスターが言った。

「……え…、マスター。それって……」

狐につままれたような表情の金井と、一体何の話だ?とキョトン顔の国仲の二人を見ながら

「Happybirthday!!!良い夜を…!
またお2人でいらしてくださいね!!」

後ろ髪を引かれるように二人は夜の街へと帰って行った。もうすっかり暗くなった窓の外の景色を飼い猫は小さなあくびをしながら眺めている。

「まったく私も未練がましいよな……」
マスターが呟きながら、花水木の花を見上げていた。


最後のデートも同じ場所で待ち合わせよう
花水木の通りの終わり
線路沿いの空き地でハザード出してるよ

【花水木】槇原敬之/1994年「PHARMACY」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?