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ボケるのもギフト


そう。「神様からのギフト」だと思っている。

「おばあちゃんが最近ボケてきたの。どうしよう。嫌だわぁ」
と、母からたびたび電話が入る。
祖母の話題になると、必ずこのセリフをオウムのように繰り返すので、こちらこそ母が心配になるが、私もその度にオウム返す。
「私だったら、ボケたいよ。死の恐怖なんて考えなくていいのだもの。きっと『認知症』は、頑張って生きてきたっていう神さまからのギフトだと思うよ」と。
だいたいもうオーバー90なんだからさ。そろそろボケたっていいでしょう。ボケさしたってつかぁさいよ。

さっきも言ったけれども、私なら、ボケたい。死を目前にしていろいろと不安になりたくないもの。余計なことを考えたくない。死の恐怖なしでスッっとあの世に行けるのならば、いいに越したことない。無痛分娩みたいなものだ(ちょっと違う?)。

もちろん、介護するほうは大変だ。その大変さはわかっているつもりだ。
私もアルツハイマーや老人性痴呆症になった祖父母を看取った。祖父は徘徊したし、祖母は寝たきり状態が続いた。旦那さんのおばあちゃんとの、介護に疲れ果てている義父も目にしてきた。
でもここは、ちょっと周囲の大変さは脇に置いて、ご老人ご本人のことを考えたい。だって、神さまはきっとそのご老人たちにギフトを与えたのであって、私たち周囲の都合までは考慮していないからだ。
そして物忘れしている自分を悔しく思うお年寄りの方々もいると思うが、そんなことないんだよ、自然なことなんだよ、時には忘れてもいいじゃない、と言ってやりたい。


父方の祖父が痴呆に入ったとき。私はなんだか祖父に近づけたような気がしたのだ。
私の祖父は小学校の教師で超がつく真面目人間だったし、長らくシベリアで捕虜生活をしていたせいで無口になり、私が小さい頃はいつも威厳と厳格さをもって佇んでいた。
でも、老人性痴呆症でいろんなことがわからなくなり、私すらもわからなくなり、途端、すべてがまろやかになった。祖父が大事にしている意外なものがわかったり(たとえば物の並び順が大事なのだとか、もちろん妻の存在だとか)、私は祖父の「核」に近づけたような気がした。
普段は一緒にいると緊張して5分もいられなかったものだが、ずっと一緒にコタツに入れたのは、お互いにやさしい時間だったと思う。
一方、またもやこちらも教師だった祖母は、やはり同じように凛とした空気がいつも流れていた。しかし彼女が痴呆症になってからは、面と向かっては言えなかったような感謝の気持ちを彼女にたくさん言えたりした。いろいろなことがわからなくなってもなお、気品を保とうとしている姿、優しさに溢れる姿にその人の本質を見た思いだった。
一概に悪いことばかりではないと思うのだ。

もちろん、暴れるだとか、暴言を吐くだとか、疑われるだとかして、介護する側がほとほと疲れ果てることもある。でも、それもその人の本質なんだろうなぁ、仕方がないのだなぁと思う。

「おじいちゃんに忘れられた『私』は、どこに行っちゃったんだろう」と思うときもあった。でも、私は私だった。おじいちゃんもいなくなってはいない。そして、私の中に「おじいちゃん」がしっかりといるからいいではないか、と思った。
人が死んだときも、そう思う。一方的に去られてしまって、二人の「思い出」はどこに行ってしまったんだろうと。でも二人の思い出は、「私の中」にある。私が死んだら思い出は宇宙の藻屑となる。それでいいではないか。


人はいつも同じではいられない。
赤ちゃんのとき、イヤイヤ期、思春期、働き盛りと続いて、今度はなだらかにこの世の執着を手放していく段階になる。美しい自然のサイクルなのだ。
ボケないでというのは、秋に色づいた葉を地面に落とさないでと叫んでいるようなものだと思うのだ。はらはらと記憶を手放すのは、自然の摂理なのだ。
子どもを育て上げつつある私も、これから先は次第にどんどんと執着や記憶や物、いろんなものを手放していくのだと思う。それは自然なことで、嘆くことではないのだ。痴呆も病気も死も、ネガティブなことではない。

記憶が曖昧になっていく身内を見ると、こちらもいよいよお別れが近づいていると腹をくくれる。今度は残された時間を、ますます大事に過ごそうと決意する。
せつなくも優しい、甘美な時間が持てるのだ。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️