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現地語を使おう!(旅の英語・その4)


さて最後に。現地の言語について。
英語圏以外の国を訪ねる場合、次に述べる3つの現地語だけは、必ず頭に叩き込んでから入国している。
真っ先に覚えるのは「ありがとう」。そして「こんにちは」。あと最後の1つは何でしょう? 
それは「おいしい!」という単語。あくまでも私の場合ですけどね。

何の身寄りもない旅人に現地の人が親切にしてくれたのだ。勝手にお邪魔して勝手に歩き回っているうえに、煙たがらずに優しくし接してくれた。そんな彼らに感謝の意を表すときとは、その文化を尊重したいと思う。
英語圏でもないのに「サンキュー」なんて異国の言葉で言われてもグッとこない、わけではないが、より心に響くのはきっとどんなにたどたどしくとも現地語であろう。
なので私はまず「ありがとう」から暗記することにしている。

「ありがとう」と同じぐらい大事だと思っているのは、「こんにちは」だ。英語だと " Hi! " 。まぁ、挨拶は基本中の基本でしょう? 
お世話になっている宿屋のスタッフとすれ違うとき、階段で誰かとすれ違うとき、あるいはお土産物屋や食堂などに入るとき。

ナゼだか日本のお店では、黙って店内に入って、目線も合わせずに黙って出て行くお客さんを多く見受けられる。でも海外の国々では、いや海外に限らず冷静に見ても、コレってとっても失礼なことだ。なかには定員さんが「いらっしゃいませ」と声をかけても、知らんぷりの人もいる。
確かに日本の「イラッシャイマセー」の多くは機械的で、ニワトリの雄叫びのように明後日の方向に向かって叫んでいることもある(一部の居酒屋なんて「おまえはトウテンコウか!」とツッコミたくなる)。でも既聴スルーもどうかと思うのだ。普通は挨拶されたら、最低でも会釈なり微笑みなりを返すのが人の道でないかい? 
日本人って、会話のキャッチボールをする気がない人が多すぎる。そうではない人ももちろんいるけれども、総じて、知り合い以外の人々へのコミュニケーションが不器用だなぁと思うのだ。かつてムラ社会時代の弊害でしょうね。よそ者に冷たいというか。

自分は「お客様」でお金を払うほうがエライという意識でもあるのだろうか。だが本来はビジネスというものは対等なもの。お客さんは大名でも姫でもない。支払う側が一方的に「上」だというわけではないのだ。黙ってヌッと相手の空間に入って店のものを物色し、スッと帰っていくって、なかなかに異様な光景だ。
たとえ買い物をした場合でも、コンビニやスーパーなどでよく見かけるが、無言で支払い無言で商品を受け取るシーンも見受けられる。目線すら合わせない人も。またサービスエリアや学食、社食などの食堂でも、注文の品が出来上がってカウンターに呼ばれると、無言で受け取る人が多くて、私は勝手に気持ち悪がっている。無言でタクシーに乗って、お金払って無言で去る人とかね。提供側は「おつり、はいどうぞ」とか「ありがとうございました」とか声をかけているのにさ。
繰り返すが上下関係などはない。おまえはいったい何様だ? 殿になっている場合じゃないよ、と思う。

好意的に思うに。もともとあまり声を発さない奥ゆかしい民族だとして。静かに会釈するという文化はあったのだが、多分、ぺこりと頭を下げる習慣がだんだん無くなって、そのうち無音になってしまったということだろうか。頭を下げるってことは目線を合わせる必要がないし、微笑む必要もないから、そのまま仏頂面だけが残ったのかもしれない。

じゃあ、せめて外国に行ったら「郷に入れては郷に従え」で切り替えていこうよ。
多くの国では、まったくの見ず知らず同士がエレベーターで乗り合わせたときや電車やバスで隣に腰掛けるとき、道や廊下ですれ違うだけで、軽く声をかけたり微笑んだりして挨拶を交わすのがマナーだ。
そりゃあ、都会の大通りや駅ですれ違うたびに挨拶していると、もうコメツキバッタのようになってしまうが、ある狭い空間に自分と他人しかいないとき、あるいはある一定の距離の中に他人が近づいてくるとき、軽く声を掛け合う。しかも微笑みながら。

日本でも登山中に細い山道で他人同士がすれ違うときに「こんにちは」と挨拶をする。あるいは、とても朝早くに散歩するときに知らない人と遭遇したら、または田舎の土地によそ者が侵入したときなどは、挨拶をする。
これは人気のない山道や早朝の路上で人と人が遭遇したとき、その緊張感を解いてもらうために発する挨拶なんだと思う。
そうそれ、基本はそれだ。
そこからすると我々観光客は、言ってみれば現地の人にとって不審人物だ。まず最初に挨拶をして、安心してもらうのが務めだと言ってもいい。挨拶をしないまでも、目があったらニコッと微笑んで入るべきだ。

そしでできれば、この日本でも人と目があったら微笑むことができる人が増えると素敵だと思う。
日本って、たとえば電車の中とかで、目があった瞬間にサッと目線をそらされることが多いけれども、なんか嫌なモヤモヤした気持ちしか残らないでしょう? 
すれ違うとき、偶然目が合ったとき、にっこり微笑む余裕のある大人。かっこいいと思うのは私だけでしょうか。そんな習慣が広がっていけばいいなぁと思う。あくまでも私の理想なので、強要ではないのだが。

さて、3つ目の「おいしい!」。
旅をしていると、レストランの店員さんって意外と接する機会が多い。だって、一日三回も食べるんだもの。
食べ物を出す、それを食べる、というのは毎日行う貴重なコミュニケーションだ。そして、この外国人はうちの料理、口にあったかな? そんな顔でこちらを覗き込んでくる店員さんもいる。
そこで美味しいと思ったなら、速攻伝えることにしている。あるいは精算や店を出る際、店員と顔を合わせるときに「おいしかった!」と伝えるだけでお互いぱあっと笑顔になるではないか。
「ありがとう」でもいいのだけれど、感想が入ると一歩コミュニケーションが深まるよね。おお、日本人でもうちの美味しさをわかってくれるかと、相手のテンションも上がるもの。いや、美味しくなかったら嘘つかなくてもいいけど。
でも、せっかくのご馳走だ。気持ちを添えて店を出てはどうだろうか。チップのある国はそれも添えて。

ベスト3には「さよなら」が来そうだけど、別れのときは「ありがとう」で代用できるので、私は入れていない。この3つが使いこなせてから、徐々に他の単語も覚えることにしているので、その際に覚えている感じ。

ちなみに私の場合、国によるのだが4番目には「ノー、サンキュー」の現地語版を覚えることがある。
客引きなどにすごくしつこくされた場合、最終的には日本語で怒りを伝えろと前述したが、それ以前の段階で、軽くあしらうとき。能面みたいな顔でサッと「ノー、サンキュー(現地語)」を言い放つと、たちまちとっぽい外国人感は払拭され、こいつはカモじゃないかも……と、比較的アッサリと引き下がってくれるのだ。
これは英語で " No, thank you . " と言うよりも効き目あり。必ずしも必要な言葉じゃないけれども、防御のためにオススメである。


そんなこんなで、英語編(語学編)の総括です。
今回はかなり乱暴な語学指南をしてきたが、本当のところはこちらの思うことをスムーズに話せれば話せるほど楽しい。というか、会話の内容も深まる。ストレスも減る。
この章でレクチャーしたやり方だと、最低限生きてはいけるかもしれないけれど、突っ込んだ会話はかなり手間取るかもしれない。相手の言ってることがたくさん理解できればできるほど、深まるものはあると思うのだ。
もっとコミュニケーションしてみたいなと思った人は、語学力を磨いたらいいのではないでしょうか。そうこう言う私も、毎回旅して帰るたびにもっと英語力を付けたいと、成田決意をする次第。だから昔よりは喋れるようになっている……はず……だし、今も日々コツコツと勉強しているのですよ。おほほ……。

まぁ、旅をしているうちになんだかんだ言って、よく使うフレーズというのは自然と身についていく。私も何ヶ月か旅行していたら英語が上達しただけでなく、その国の言葉、たとえば北京語やベトナム語など使って買い物などしていた。ふと気がつくとアラブの商人に「ラーラーラー!」と人差し指を左右に振りながら半額に値切っている自分がいたり、ヒンディー語で道を聞いて、ある程度ヒンディー語でその説明を理解している自分がいたりして、それはなかなか嬉しいものなのだ。
スペイン語、イタリア語、フランス語もちょびっと使えた時期もあった。が、今はもうほとんど忘れた!

語学はある程度日常的に使っていないとどんどんと忘れ去っていくもの。モノにするつもりだったら、日々こつこつとその言語に触れ続けるという努力が必要なのですよね。ふぅ……。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️