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イチローとルーティンと、私の達成感


イチローのドキュメントを、引退直後にNHK特集で観た。彼の最後の選手生活を密着取材したものだった。
私の場合、何より心打たれたのは愛犬、一弓(いっきゅう)。もう歩くのもやっとな感じだ。あんなにやんちゃに走り回っていた彼も、もう人生……もとい、犬生が残り少なくなっているのを感じる。
もしかするとイチローは、彼の野球人生があまり長くはないという実感を、一弓のそれと重ねたのではあるまいか……と、思わずにはいられないほど、イチローがその老犬を見つめる目は、憂いと優しさと寂しさに満ちていたのだった。
彼のドキュメントから感じたのは、ひたすら「孤高」だった。いや、「孤独」か。そうだろう。限界への挑戦。同じ大リーガーにも愚痴れないほどの位置にいたイチロー(愚痴るイチローなんて想像できないが)。

でもそれは。「孤独な戦い」というのものは、誰もが同じではないかとも思う。


なぜ今さらイチローをかというと。
天下のイチローと自分を比べるのは、全くもっておこがましすぎる以前に、大炎上の気配すら感じるが。私は今、ルーティン作りに躍起になっているからだ。
何しろ子どもが中学生になったので、朝と夜、今までの生活習慣が大きく変わった。私は小学生がいた7年間の行動パターンから抜け切らなけらばならず、中学校バージョンに完全移行しなければならない。
そして私の場合、朝の組み立て方で、その後の1日が決まるといっても過言ではないのだ。だから一番自分の生活に適したルーティンを探し出そうとしているところ。


イチローが完璧なルーティンをこなしているのは「結果に波を作らない」ためだと、元マリナーズのアスレチック・トレーナーだった森本貴義さんの記事を読んだことがある。
ほぼ毎日のように試合があるメジャーリーグ。複数の時差がある地域で、毎日バットを振り続けなければならない。どの地域にいてもシアトル時間に合わせてルーティンをこなすのがイチローだ。それはなぜか。
勝った負けた、うまくいったいかなかったで動揺せず、冷静に自分を分析するためなのだそう。なんとイチローは、昨日の自分と今日の自分の微小な違いを見極めているのだ。昨日と今日の違いから、明日は何が必要なのかを手探りする。
この違いを生み出すためには、毎日同じ作業が必要らしい。


かなり高度に日々調整をしているイチローと、のんべんだらりのフリーランスな私に何の関係があるのかというと、私は「達成感」が欲しいのだ。
すでに今さら誰に褒められるわけでも評価されるわけでもない家事や仕事。バタバタヒーヒーと追い詰められてすごい集中力でそれらをやり遂げた日より、「今日、決めたことをきちんとやり通した。そしてやることをやった」というほうが、断然達成感があるのだ。
そのためにはきちんとルーティンを作り上げなければならないと思っている。

さらにフリーランスは読んでのとおり「自由」だというが、案外そうではない。
基本的にはかなり自分自身で毎日の生活を律しなければならない。むしろキリキリに自分で縛りあげる必要がある。だって気を抜けば、毎日がバケーションになってしまうのだ。
会社員時代だと、嫌でも決められた時間に会社に行って、なんだか喋ったり動いているうちにどうにか仕事を終えられたこともあった。しかしフリーランスはたとえ絶不調でも自分で自分を奮い立たせなければならない。仕事を溜めに溜めて最後にバタバタヒーヒーとやっても、若いときはどうにかなったが、いつまでも続かない。そしてそれはいつも後味が悪い。
しかも具合が悪くても代わりにやってくれる人はいない。もし代打をお願いするときは、その会社との取引は終わる可能性も十分にある。要するに、不調は食い扶持に直結する。だからこそきっちりルーティンを作らないと、身が持たないのだ。


私にも生活でも仕事でも生き様でも、目指す高みというのは自分なりにある。そこに到達するには、毎日の「積み重ね」とその「振り返り」だと思うのだ。
とは言っても、判で押したようにイチローのごとく同じルーティンには持ち込めない。そうする気もない。
子どもたちはいるし、仕事も学校行事もあるし、何もかもが不定期だ。でも今、私なりの何パターンかの基本路線を作ろうと探っている。そして、それが無理そうな日は柔軟に、せめて「これはやろうと決めたことをだけでもやる」。
100点満点じゃなくていい。75点採れれば上出来ぐらいな感じで(イチローと違うのは、すでにここで甘いところなんですけどね……)。

かのイチローは、引退の席でこう言った。
「あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思う」と。



ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️