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お金を喜んで手放す……はずが。


「そんな今、他人に寄付なんかしている場合?」と、昔、家族に言われたことがある。
確かに当時はド貧乏で、毎日必死にやりくりしていた時代。自分たちのことで精一杯だった。でも、そのとき強く思ったのだ。
何を言うか。生きるのに必死だからこそ、この自分の手元にあるお金にしがみついてはいけないのではないか。この少ないお金でも生きていることに感謝して、ほんの少しでも天下に回さなけばバチが当たる。寄付するのに手元にあるお金が多い少ないは、関係ないのだ。あるうちのいくらかは手放して、気持ちを軽くすべきだ、と。
当時はもっと生きるに必死で、感謝というよりかは、このままお金に執着してはいけないという気持ちのほうが強かったようにも思える。

今でもその考えは変わっていないし、手放しても苦しくない額を世の中に寄付として返している。財布の紐をしっかりと閉めるのは大事なことだけれども、自分たちのことだけを考えているのも、お金がギュッと頑なになり、巡りめぐって自分のお金回りも悪くなるような気がする。


そして少なくとも、そうした考えの延長上にあるものだと思っているのだ、「税金」は。いや、思おうとしている。……思うと少し気がラクかもしれない……。
国に納めたお金が、働けない人、お年寄り、子どもたちに使われるのなら本望である。治安維持、救急救命に使われるのなら、私もありがたい。どうぞどうぞ、持って行ってくれ。
このようにして納めれば、世の中はもっとよく回るはずだ。


……しかし。
自営業の方々はよくよく承知してくれると思うのだが、確定申告のときに思うのだ。なぜもこうも日本の税金のシステムは複雑になっているのだ。日本の税金の複雑さは、2018年世界ランク97位。先進国の中では相当に低い。
そして算出方法は簡単にはわからないようになっている。まるでリーマン・ブラザースの債権のよう。世界を焦げ付かせたリーマンショックのあの債権は、相当のインテリでも説明できない複雑な計算式でできているのだ。
なぜか? 
それは、あれこれ細かく追求されたくないからである。
日本の税金にそこまで悪意があるかはわからないが、この複雑さ。そして気を許すと知らない新しい細かい税がこっそり追加されていたりするので驚く(もちろん、国会でひっそりと通過しているのでしょうが)。
取れるところから取れるだけ取る! という強い意思を感じてしまい、協力しようという気になかなかさせてくれないのだ。

私がサラリーマンだった時代はペロッと給与明細が渡されて、必要最低限のことしか書かれていなかった。そもそも給料も天引きされて渡されていたので、ここまで腹立たしい気持ちにはならなかった。
しかし自営業になると、バンバンといろんな種類の納税通知書が送られてきて、その毎月払う額のえげつなさに吐き気さえする。殺す気か。いや、ギリギリ生かして回させる気だな……と。

デンマークのように消費税25%、所得税55%でも、医療費も介護費も死ぬまでタダ、学費も学生の生活費も保証、失業しても2年間は面倒を見てくれる、といった社会なら喜んで払うよ。だって老後の蓄えも、まるで博打のような医療保険もいらないのだから。
インタビューでもデンマークの人たちが「ええ。納税には満足している」と答え、喜んで支払っているのだ。


何が「桜を見る会」だよ、何がフィジーにGW外遊だよ。オリンピック? 
世界一の給料をもらっている、日本の国会議員たちにイマイチ託す気持ちが起きない。要するに愛がないんだよな、愛が。

ちなみにデンマークの国会議員の給料は少なく(日本の4分の1)、地方議員に至っては、ほぼほぼボランティア。副業をしながらそちらの収入で家計を支えながら、政治活動をしている(学校のPTA活動みたいだね)。
お金の透明性は高く、不正が起きにくいシステム。何よりも愛国心が強いので、国民も政治家も、自分の国は自分たちがよくするという気持ちがとても高いそうだ。……なんだか、いいなぁ。

はっ。いかん。
こんなことを書きたいんじゃないんだ。
ああ、本当はもっと感謝と愛で喜んで手放したいのだ、お金をね。本当だよ。お金は一種のエネルギーだ。どうせなら、世の中がもっとポジティブな力に溢れるように送り出したいものなのだ。


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