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【執筆記録】機関誌「みんなのねがい」(全国障害者問題研究会、2019年12月号)生きる①

全国障害者問題研究会の機関誌「みんなのねがい」2019年12月号内の「生きる」に掲載していただいた文章です。

1.私の生い立ち

 「私には、筋肉の力がだんだん弱くなる病気があります。大根はかたくて切れないし、ペットボトルのキャップも開けられません。歩けないから車いすに乗っています。でもね、介助者がいて、街がバリアフリーになれば、私の『障害』はなくなります。」大学時代から続けている小中学校における福祉実践教室で、私の生活を子どもたちに伝えるときの言葉です。私にはウルリッヒ型先天性筋ジストロフィーという障害があります。
 山口県岩国市出身で、中学校までは地域の学校に通い、高校は特別支援学校に進学し、地元を離れ学校に隣接する病院に入院する形で3年間過ごしました。通常学校で学んだ9年間、そして高等部で過ごした3年間は、私にとって間違った選択ではなく、大切な宝物だと感じています。高校3年間一緒に過ごした子どもたちから、大学に行きたい、特別支援学校の教員になりたいという夢を持つきっかけをもらいました。大学進学を機に愛知県美浜町で下宿生活を始めました。大学では夢に向かって、大学内外でたくさんのことを学んできました。大学4年間を通して「初めて記念日」や人とのつながりがたくさんできました。

2.「発達」との出会い

 高校生の時に近藤直子先生の「発達の芽をみつめて」を読み、「できる/できない」で人の価値を判断するのではなく、どんなに障害が重くても「発達」し続けるという考え方に出会いました。特別支援学校に進学したことで、周りには様々な障害のある子どもたちがいました。私も含め、障害のある子どもはどのように心を動かし育っていくのか興味を持つようになりました。発達保障の考え方は、私を形づくる大切なものになっています。

3.障害と向きあうこと

 同じころ、体調が優れない日が続き、検査の結果「人工呼吸器を使った方がいいね」という主治医の言葉に「機械に頼らなければいけないのか」と思い知らされたことを覚えています。それまでは深く自分の障害について考えたり、聞くことは「いけないこと」だと思って親に聞いたりすることもなかったのです。初めて親から障害について話をしてもらい、自分の障害と向きあうようになったと思います。
 発達の考え方、全障研との出会いもあり、障害のある私も、これからの人生について可能性が広がると思えるようになりました。もちろん、社会とのかかわりが増えるほど「障害がなかったらよかったのに」と思うこともあります。しかし、今の自分が在るのは、障害のある私が得た経験、学び、たくさんの人との出会い、つながりがあるからこそなのです。「障害なんてなくなればいい」「障害があってよかった」と浮き沈む「そんな自分もなんかいいじゃん」と思えることが、私らしさなのだと思います。

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