見出し画像

言語化

言語化とは物事の状態や考え、思いを言葉で相手にわかりやすく伝えること。単に頭で考えたことをそのまま言葉にするだけではありません。

 「言語化は難しい」ということを最初に書いておきます。人と対面してコミュニケーションをとることは誰でも行なっていることだとは思います。
 ただ、普段は言語化しないものを「言葉にする」ことは難しい。

 一つの例を出しておきます。

 僕が載せた見出し画像をどのように他人に説明するだろうか。

 色、形、配置、大きさで説明するが、正しく相手に伝えることはできるだろうか?

 △をどこに配置するのか
    △は正三角形なんだろうか
 △の大きさはどうやって伝えるのか
 色はきちんと伝えられるだろうか(「水色」で伝わるだろうか など)

自分の言葉で伝える

 やっぱり個性を出すのが一番でしょ、と自分らしく伝えてみる。そうすると、自分だけが分かる言葉になってしまい、相手は困るかもしれない。
 「同じ仕事で、同じ年齢で」となっていれば、相手には伝わるはずだと思ってしまう。
 これは、違います。
 自分の魅力を伝えるためにはそれでいいが、聞いていると「楽しい」けれど、内容が伝わるかは分からない。

    自分は分かるけれど、相手は何を言われているか分からない、ということがないようにしないといけないですね。

相手に分かるように伝える

 話す相手のことを考えてみる。
 例えば、6歳の子供に対して話すときは、語彙力の違いや想像力の違いが現れてくるし、認知症の高齢者に対して説明するときにも伝え方の工夫は変わってくる。

 ただ、うまく伝わらない。
 これまでの生活や価値観、環境が違うから、どこを基準にするのかで伝わり方が変わってくる。
    そもそも相手がどれくらいの知識や理解力があるかを、分かっていないと説明が二度手間になってしまう。

 僕としては「伝える方が立場が上」という雰囲気で話してしまっているようだと、聞き手はすねてしまうし、「分かるように伝えないといけない」と気負い過ぎてしまうと、相手にとってはちょっとプレッシャーというか責任が大きくなってしまうような気がしています。

専門用語で伝える

 同じ職業の人と話をするときには、相手に合わせて専門用語で話をした方が伝わることがある。ただ、注意すべきは、同じ職業だからと言っても、自分と同じ知識があるとは限らない、ということである。専門用語は、自分の知識をひけらかすが、同時に、専門用語を話すことで「知ったかぶり」になる可能性もある。

 それと、専門用語は常に「新しい言葉」が出てきているので、今知っている専門用語が使えなくなっている可能性もあるから、情報をこまめに収集しないといけない。
 専門用語を使いたいのであれば、きちんと専門用語を理解して、分かりやすく説明できる(言い換える 等)ようにしないとね。

「話す」か、「書く」か

 僕は、noteで「書くこと」で伝えようとしている。
 それと「話すこと」で相手に伝える場合では、どちらがいいのだろうか?

 相手にとって「伝わりやすい」方を考えて使い分けていますが、僕は「書く」方を大事にしています。自分にとって分かりやすく説明しやすい文章にしてから、相手に話して伝える。すぐに思い付きで話してしまうと「口は禍の元」とになりかねないし、考えながら書く動作を入れることで、自然と推敲(修正)されていく。

 伝わりづらい言葉もあるから、どう説明しようかと悩む。
 例えば「ケントウする」「ひけらかす」というと、漢字によって意味が違うし、普段使われていないと余計に考える。

相手の人数

 ここまでは「1対1」を想定して書いてしまったが、相手が大人数になると、だれでも伝わるようにしないといけない。人それぞれのレベルが色々だから、話すときに全体を考える。
 そこで、出てくるのは「共通言語」ということです。

共通言語

「共通言語」とは、「関係者が誤解なく、相互理解できる「言語」表現を持ちましょう」という提唱です。チームや関係者で共通の言語を持つことで、問題に対して最短距離、最小のコストで対応できるようになると思っています。

 ここでは「関係者間で」となっていますが、そうでなくても「前提条件を確認する」「誰でもわかる言葉に言い換える」ことで、スムーズに伝わりやすくなると思います。

 伝える時には「相手を思いやる」ことで、共通言語を考えることができると思います。そして、聞く方も共通言語があることで、話す方だったり、聞いている人たちと同じ条件で聞くことができるから、安心できる。
 また、分からないままにしないように、話す方聞く方のお互いに確認し合える雰囲気も必要ですね。

 少し気にしてしまうのは、共通言語に頼りすぎてしまうと、固定観念(思い込み)から、細かなニュアンスが分かりにくくなること。
 そうならないように、と思っているはずなのに、目の前のことに引きずられて、同じ風景にいくつかの「言語化」ができてしまうこともあるのかな。

 「言語化」できないことがあるとしたら、人にきちんと伝えようと考えすぎているような気がします。もちろん言語化が難しいこともあります。感情、夢、初めての出来事 など。

 でも、そんなに気を張らなくてもいい。
 noteを見ていると、色んなことが言語化されている。
 自分の知っていること、知らないこと、も。
 どれが正しいとか正しくない、ではない。
 色んな言語化を知る中で、自分の言語化の幅も広がっていく。

 

 さて、ここで改めて聞きます。

 あなたは見出し画像を相手にきちんと伝えられますか?

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?