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011能登半島地震

こんばんは。
1月1日から北陸での能登半島地震、2日には飛行機の接触事故と不穏な始まりとなり、心が落ち着きません。

私自身も、ちょうど北陸の実家に帰省しており、用事のため1日のお昼に新幹線に乗り、自宅に戻っていたところでした。少し遅ければ、新幹線内で閉じ込められていたかもしれませんし、落下物や何かの下敷きになって怪我をしていたかもしれません。

最近読んだ本に、「死は必然で、生は偶然の連続」と書かれておりました。年明けから、そんな当たり前のことを思い知らされることになりました。幸いに、実家は倉庫の物が落下し少し破損しただけで、怪我等はなく一安心でした。

さて、今回の地震で江戸時代の僧 良寛の言葉を思い出しました。

「地震は信(まこと)に大変に候。
 野僧草庵は何事もなく、親類中死人もなくめでたく存じ候。
 うちつけに、死なば死なずに永らえて、かかる憂きめを見るがわびしさ
 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
 死ぬ時節には死ぬがよく候。
 是ハ災難をのがるる妙法にて候。」

これは、三条地震の際に、良寛さんの仲の良い友達である山田杜皐からの無事を案じた手紙へのお返事で書かれたものです。杜皐さんは、この地震で子供を亡くしたそうで、悲嘆に暮れた中で良寛さんの身を案じていたのではないかと思います。

「死ぬ時節には死ぬがよく候」の部分だけが一人歩きして、「悟りを開いた」や「人の心がない冷たい人」といった色々な評価があるようですが、私には、一人の心優しいおじいちゃんが、本当は自分が変わってあげたかったと涙しながら、それでも残されたものは、仏様にお任せして精一杯に生きるしかないことを伝えたかったのではないかと思います。

ニュースを見ていると、地震で亡くなった方、怪我をした方が大勢いらっしゃるようです。また、怪我はなくとも家が壊れたり、船や車が壊れたりして悲嘆に暮れている方もいらっしゃるかと思います。

良寛さんの言葉は、杜皐との今までの関係と仏教の知識があって活きる言葉であり、現在、被災して困っている方にかける言葉ではありません。また、良寛さんが言われたように、あるがままの現実を受け止めることは、私自身を含めて非常に難しいことです。

しかし、どうか一人でも多くの方が、今生きていることに感謝して、互いに手を差し伸べて助け合っていきたいものです。

合掌。南無阿弥陀仏。

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