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世界で一番気前のよいひとは、だれ? っていう話です。

自分は他人に対してできるだけ気前よくありたいと思っているけれど。。。

じゃあ、実際、どれぐらい気前よくふるまえるかっていうと、それは、自分の手元で自由に使えるリゾースの量で制限されるよね。

だって、250円のソフトクリームをおごってあげたい、と思っても、財布の中身が200円だったら、できないじゃん?

今日の聖書の言葉。

気前のよい人は自分も太り 他を潤す人は自分も潤う。
箴言 11:25 新共同訳

いったい世界で一番気前のよいひとって、だれだろう、ってことを考えた時、あのひとかなあ、このひとかなあ、って、まあ、いろんな顔が思い浮かぶ。。。

でも、最強に気前のよいひとって言ったら、やっぱり「神」だろうなあ、って思う。

なぜなら、神はこの宇宙というリゾースを無償で万人に提供してくれているわけだから。

自分は今朝も目覚めて胸いっぱい朝の空気を吸って生きているわけだけど、空気代の請求書とか、生命活動のサブスク更新料とか、聖書の著作物使用料とか、一度も請求されたことないし。。。

さすが、神。めっちゃ気前がよい。

神の気前のよさについて、何よりも、誰よりも、どこよりも、飛びぬけていると思うのは、神は神が一番大事に思う神自身さえ無償で提供している、ということだ。

その証拠聖句が、これ。

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 
ヨハネによる福音書 3:16 新共同訳

この「独り子」とはイエスを指しているんだけど、イエスはただ神の子であるというだけでなく、イエスも神だと新約聖書は言っている。

その証拠聖句は、これ。

いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。
ヨハネによる福音書 1:18 新共同訳

だから、理論的に考えると、神は神自身をわれわれに提供している、ということになる。

永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知である「神」は、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に赤ん坊となって降り立ってくれた。それがイエスだ。

イエスは十字架と復活をとおし、聖霊をとおして、神のすべてをわれわれに差し出している。

これって、すさまじく、すごいよね。

神が、神の創造した宇宙を提供する、というのは、まあ、そういうこともあるかもしれないね、って思えるけど。。。

でも、神が神自身である神を無償提供する、ってなると、えっ、って思っちゃう。あまりにも気前がよすぎるからだ。

いったい、こういう思想は、どこから生まれて来たんだろう、って時々考える。。。

われわれ人間は、いくら気前がよい、って言っても、そりゃ限度があるよね。だって、人間だもの。。。

だったら、そういう限界がある人間から、こんな「神」みたいに無限に気前のよい発想が、自然に生まれるものだろうか?

なので、やっぱり、これは超自然的なものなんじゃないか、と自分は思うんだ。

それはつまり、ほんとうにそういう神がいて、そういう神が宇宙を無償で提供していて、それだけじゃなく、神は本気で神自身をわれわれに提供しているんじゃないか、と考えることになる。

神は気前がよいので、与えたくて、与えたくて、しょうがないのだ。

わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 
ヨハネによる福音書 1:16 新共同訳

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