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忘れていた杖を、必要とするとき。

ぎっくり腰を何度も経験した自分にとって、最近「筋膜はがし」というパワーワードが気になっている。もしかしたら、何故ぎっくり腰になるのか、という大きな謎を、ついに人類は発見したのかもしれないから!(笑)

理論的には、骨と筋肉とそれを包む筋膜の相対的位置関係が、だんだんズレて、そのために、神経の座標軸が間違った信号を発する状態になり、痛みとして認識される。だから、筋膜をはがして正常なポジションに戻してあげれば、ぎっくり腰にならないという。。。ホントかよ?

なので、最近ハマってるのが「仙骨はがし」というやつ。。。椅子にまっすぐ座り、仙骨のあたりを手で押さえながら、前屈姿勢をとることで、仙骨まわりの筋膜をはがし、正常な位置に戻す。。。これがね、ストレッチみたいに、気持ちいい。実際、ぎっくり腰になりそうやなぁ、と思ったら、この「仙骨はがし」をスグやるので、なーんとなく回避できてる感がある。

「仙骨はがし」を知る前は、しょっちゅう、ぎっくり腰をやってた。。。ほんと、世界が崩壊するような痛みだ。。。でも、動かないと直らない、と脅されて、「杖」をつきつき、ヒーヒー言いながら、地下鉄の階段を上り下りして通勤してた。。。階段の途中、ピキーンと痛みが来た時は、息を止め、脂汗を流しながら、全力で「杖」にしがみつく。。。なんとも情けないけれど、「杖」があることの、ありがたさ。。。

今日の聖書の言葉。

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
詩編 23:4 新共同訳

「杖」つまりステッキは、持ち手のところがカギのように湾曲しているけれど、そのデザインって、実は、羊飼いの杖から来ているらしいんだ。

オーダーメイドのステッキ屋さんが、こう書いている。

なぜステッキは鉤型なのか? その由来や歴史は? 牧童と杖

羊飼いの初期は、自然の中に有る木(枯木)を含む、棒状の木を多く用いていました。モーゼの杖のような形です。太くて棒状の杖は、山野・荒地を羊と共に歩き、肉食動物(オオカミ・熊)等から自身と羊を守る為の必需品です。歴史と共に牧羊犬の発達と共に、羊飼いの今日的な職業として成立しました。

羊飼いが只、山野を移動する時の歩行の自然木の杖から、夏場・冬場の移動小屋に居る時の”手なぐさみ”の一つとして、熱湯に浸したり、湯気を使い木の曲げ加工を発展させて来ました。今日に見る大曲りステッキの鉤型の曲りは、羊飼いが、子羊など岩場に落下した時など、首・足首に曲がりを引っ掛け、引っ張りあげるステッキ杖に用いられました。

この鉤(かぎ付き)杖は、シェパート・クルークと言います。この杖が序々に短くなり、今日のウオーキングステッキに変化しました。ですからラカッポでは、ステッキの”王道”と大曲りステッキを呼びます。

オーダーステッキ専門店『ラカッポ』(La Cappo ステッキコンシェルジェ)

ぎっくり腰に耐えながら、全力で「杖」にしがみつく階段で、いぶかしげな通行人の目線を感じながら、「あなたの杖、それがわたしを力づける」という聖書の言葉を、しみじみ実感する。

「杖」の助けなしには、この人生、一歩だって進めない。いや、「杖」の助けなしには、ここに立っていることすら、できない。

でも、元気になれば、「杖」のありがたみを、簡単に忘れるんだよね。。。

神は羊飼いであり、自分は迷える羊だ。神の手のなかにある「杖」で、吠え猛るオオカミやライオン。。。悪の化身。。。を追い払ってもらえるから、だから、自分はこうして安らかに生きていられるんだけど。。。

いつのまにか、ぎっくり腰が直り、順風満帆、健康を謳歌する日々が戻れば、「杖」は傘立てに放り込まれ、ホコリをかぶり、忘れられ、それと共に、あれほど必死に助けを求めて神に祈った切実さが、だんだん薄らいで。。。神とは無関係に自分はどこでも好きなところにドシドシ歩いて行けるような、高慢な錯覚に陥ってしまう。

でも、羊飼いは、羊から目を離さない。羊飼いが手から「杖」を離すこともない。なぜなら、人生の藪のなかで、ぎっくり腰も悪魔も、いつでも機会を狙って飛び出す準備が出来ていることを、神は知っているから。

昔やってたテレビアニメ『ラムヂーちゃん』のお決まりの展開。。。羊飼いのおじさんの「杖」に、オオカミがみごとにひっかけられて退治されるシーンが、自分は大好きだった。オープニングソングを、いまでも歌える。

ラムヂーちゃんが助けを求めて叫ぶ「おじさーん!」というのが、子どもだった自分の祈りの原点だとしたら、それはいまも、ほとんど変わらないのかもしれない。


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