見出し画像

スピリチュアルな疲れを癒すもの。

疲れには三種類あって、身体的な疲れ・精神的な疲れ・スピリチュアルな疲れ、というのがあるよね。

身体的な疲れの場合、対処方法は割合簡単だ。熱いお風呂に入る。睡眠を十分に取る。栄養のある食事を取る。気晴らしの散歩をする。どうしても、ってときは、栄養ドリンクを飲む。指圧や整体を受ける。病院で点滴を受ける、っていうのも、あるよね。

精神的な疲れの場合は、少し難易度が上がる。ストレッチする。呼吸を整える。スマホやPCを遠ざける。ひとりきりになる。ハーブティーを飲む。ペットと触れ合う。音楽を聴く。メディテーションする。ロウソクを見つめる。アロマを焚く。などなど。

スピリチュアルな疲れとなると、難易度最高だ。なにしろ「意味を問う」疲れだからねー。生きるとは・死ぬとは・神はいるのか・霊魂はあるのか。こういう問いはメディテーションを1000年してもわかるものではないと思う。だって、お釈迦さまは前世合計で1000億年の1000億倍ぐらい瞑想して、その結果、確たる答えは無いという確たる答えを得たぐらいなわけだし。。。

今日の聖書の言葉。

疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
イザヤ書 40:29 新共同訳

聖書の場合、人間の疲れを癒すことができる唯一の存在は「神」だ、ということになる。じゃあ、神はどうやって、われわれの疲れを癒すのか? 

今日の聖書の言葉の続きにその方法が示されている。

主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
イザヤ書 40:31 新共同訳

「鷲のように翼を張って上る」という方法。これだ!

われわれは、いま、三次元の時空の連続体の内部に置かれている。で、そのなかで、生き・考え・感じ・喜び・泣き・笑い・怒り・恐れ・悩み・行き詰まり・疲れ果てているわけなんだ。

そして、われわれは、過去を簡単に忘却するし、未来のことは絶対に知ることができない。物事を確実に把握できるのは、せいぜい前後3秒ぐらいだ。その狭い範囲に縛られているものだから、「意味を問う」にしても限度というものが、ある。

しかし、神はそんなわれわれを垂直方向に、上の次元に引き上げてくれる、と言うんだよねー。

鷲(ワシ)は垂直に高く空を舞うことによって、眼下にすべてを見晴るかす。穴ウサギは、穴のなかしか見ることが出来ないけれど、鷲はその穴の外、数十キロ、数百キロ先を一望できる。

それに似ていて、神は時空の連続体の制約に縛られないから、4次元どころか5次元でも12次元でもそれ以上でも自由に飛翔できる。そして、眼下のすべてを把握しているのだ。

神は、そういう神の視点に、われわれを引き上げることができる。そして、神の視点から物事を見ることを、われわれに可能にしてくれるのだ。

そういう神視点から人生を叙述するとするならば。。。それは新約聖書に頻出する表現ではあるんだけれど。。。こういうことになる。

愛は決して滅びない

天地創造の前に、神はわたしたちを愛して
御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと
キリストにおいてお選びになりました

時が満ちるに及んで
救いの業が完成され
あらゆるものが
頭であるキリストのもとに
一つにまとめられます
天にあるものも地にあるものも
キリストのもとに一つにまとめられるのです

あなたがたは死んだのであって
あなたがたの命は
キリストと共に
神の内に隠されているのです
あなたがたの命である
キリストが現れるとき
あなたがたも
キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう
*⁴

小さな者から大きな者に至るまで
彼らはすべて、わたし(神)を知るようになり
わたしは、彼らの不義を赦し
もはや彼らの罪を思い出しはしないからである
*⁵

ぬるーいお風呂につかり、浴室の電気を消し、ロウソクの火をみつめ、静かな音楽を聴きながら、こういう聖句を何度も何度も反芻したら、癒されるだろうねー。

註)
*1.  Cf. コリント一 13:8
*2.  Cf. エフェソ 1:4
*3.  Cf. エフェソ 1:10
*4.  Cf. コロサイ 3:3-4
*5.  Cf. ヘブライ 8:11-12

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?