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「おはよう!」の声が聞こえて来る、永遠の朝。

死の問題について初めて深刻に考えたのは小学校高学年から中学にかけてのことだった。

飼っていた老犬が死んだのに続いて、祖父も認知症の末に死んで、生まれてはじめて葬儀に連なる経験をした。

家が浄土真宗だったものだから、蓮如上人が書いた「白骨の章」が葬儀のなかで読み上げられた。

されば朝(あした)は紅顔ありて
夕(ゆうべ)には白骨となる身なり

朝には血気盛んな顔色であっても、夕方には白骨となってしまう。人間の命って、はかないものだよ。そういうものだと、あきらめるしかない。あきらめて、死を受け容れなさい、ということ。

そっから、自分はすごい勢いで原始仏典と大乗仏典の現代語訳を読み漁って、こころの平安を追求した。

その過程で、世界というのは、じつは「まぼろし」に過ぎないことがわかり、それはなぜかと言うと、そもそも、自分という存在が「まぼろし」に過ぎないからだ、ということに気づき、その結果、だんだん精神衰弱になって行って。。。

そんなとき、イエス・キリストに出会ったわけなんだけどさ。。。

今日の聖書の言葉。

死を永久に滅ぼしてくださる。 主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい 御自分の民の恥を 地上からぬぐい去ってくださる。 これは主が語られたことである。
イザヤ書 25:8 新共同訳

死は避けられない、死は当然、死ぬしかない、という観念でいたところに、イエスは十字架につけられ、墓に葬られ、復活した! イエスは今も生きている! というメッセージを受け取ったものだから、すっごい衝撃的だった。

衝撃的過ぎて、よくわからないうちに信じてしまったところは、まあ、ある。溺れる者はワラをもつかむ、と言うじゃない?

旧約聖書の預言者イザヤは、イスラエル・ユダヤ人の悲惨な運命について前もって語ったわけだけど、それは、悲惨な預言、と言うどころぢゃない、恐怖の預言、と言ったほうがいいかも知れない。

あまりにたくさん恐怖の預言を語り過ぎたから、精神のバランスがおかしくなって、だから、神は「死を永久に滅ぼしてくださる」なんてトンデモナイ言葉が出たんじゃないだろうか。。。懐疑心でいっぱいの中学時代の自分なら、そう思うかもしれない。

毎日、毎日、たくさんの死を目にする。それだけじゃない。これから来る恐怖の時代、もっと、もっと、たくさんの人が死んでいくことになる。。。そういう状況に置かれたイザヤが、いったいどうして、神は「死を永久に滅ぼしてくださる」なんて言えたのか。

ところがね、その言葉が、ほんとうになる日が来た。

イザヤの預言に支えられるようにして、イエスは復活し、空の墓をあとにして、弟子たちの前に立ったのだ。

それは、あまりに信じられない出来事だったので、復活のイエスに出会った当の弟子たちが、疑ったんだ。目の前で見てるのに、疑ったんだ!

十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた
マタイによる福音書 28:16-17 新共同訳

正直に書いてるよね、聖書って。「この目で見たら、信じる」と言う人がいるけど、ほんとうは、自分の目で見たって信じられないんだよ。

きわめつけは、見ても信じない弟子たちを納得させるため、焼き魚を食べて見せたイエスをめぐる、弟子たちの反応。

イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。 そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
ルカによる福音書 24:36-42 新共同訳

イエスが復活した朝、世界は大きく変わってしまった。そこは、永遠の朝のひかりで照らされた、希望の場所になってしまったんだ。それは、すべてが逆転した場所だ。

蓮如上人に叱られないように、こっそり「復活の章」に書き換えてしまうとするならば。。。

されば夕(ゆうべ)には白骨となる身も
朝(あした)は紅顔となるなり

ということになるのかな。

その希望の朝の空気を感じさせるシーンが聖書に出て来る。

イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
マタイによる福音書 28:9 新共同訳

イエスの「おはよう」が今日も世界に響いている。

そんな風に、自分は感じるんだ。

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