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大切なことすら気づけない自分の詩

詩を書くというのは別に何か大切なことをしているのではなく、大切なことすら見落としているのを見つける行為だとおもいます。
今日も、明日も、と惜しみつつまた次へいきます
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化石をつれて旅をする
 
 
 
妻のうたう子守唄に唱和していると
息子が妻にしがみついてねんねという

この歌を毎日歌っていたときに
こんな声を聞くとは思わなかったと感動しながら気づくのは
妻の子守唄を聞いたのは半年ぶりだと思いこんでいたこと

自分で眠りにつく息子のリズムを整えようと妻と話したとき
それからも歌われる歌を化石にしたとしたら
それからの僕の夜はどこに置いてきたのだろうか

子守唄すらも妻に歌ってもらうまで聞いた記憶がないと
自力で掘りおこすきっかけもつかめないらしく
いままでの僕の夜がどこの地層に取り残されたとしても
いまは一人でないと信じてまぶたをつむる

どこでもいいとなんども言い聞かせると見えてくるのは
行ったことのない湖でする三人のかげおくりで
つないだ手のひらに重なる爪の厚さまで
はっきり感じられるのが不思議だった

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✳いま書いている詩篇は、7月に開催されるポエケットにて本にしたいと思っています。

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