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種、芽吹き、そして余韻。

いつどこで、どのようなきっかけで何が自分の内側から芽吹くのか。自分で意識的にコントロールして発芽させるというよりも、自分のまわりとの共鳴の中で偶発的に芽吹くものであるような気がします。

自分の内側に芽吹く可能性のある「種」はどれほど眠っているのだろうと考えてみると、それはそれはきっと数え切れないほどだと思います。自分でも気づかないうちに、意識という地面の奥深くの無意識で眠っている。

人は本来的に一人ひとりが「多様」な種を宿していて、その種一つひとつが固有の振動数でたえまなく揺れ動いている。ある種の固有の振動数と、自分が受け取ったこと、感じ取ったことに含まれる「何か」が共鳴して、その種が芽吹いた瞬間を「心に響いた」というのかもしれません。

「心に響いた」と感じたとき、自分にどのような種が芽吹いたのか、急いで言葉にしようとする気持ちを抑えて、その響きが消えないようにゆっくりと時間をかけて。響きが自然に消え入るのを待つのが大切なように思います。

「種の芽吹き」は余韻の中に。

高木正勝さん(映像作家・音楽家)のエッセイ集『こといづ』に書かれていた「種」に関する言葉、「多様性」を意味する「雑」を体現する雑草の戦略が私の中で共鳴して芽吹いたので、思うままに綴ってみました。

人の中にある力。種みたいなもの。魂と呼ばれるもの。何がきっかけで、何と何が交わった時に弾け出るのか、未だにわからないけれど、そういうことがある。それも自然と同じく絶妙なバランスでやってくる。なにか、たす、なにかということではなくて、それぞれの日々の暮らしから、もうはじまっているんだろう。

高木正勝『こといづ』 たね

日々、探り探り。試し試し。お互いに、探り探り。試し試し。僕も自分の中にある種を、あるがままに育てよう。ぐんぐん育つ大根の、その横にぽつり、植えた覚えのないじゃがいもの芽が、これまたぐんぐん育っている。

高木正勝『こといづ』 たね

たくましい雑草の戦略が、「休む」「眠る」というのは、情けないような気もするが、そうではない。「休眠」は雑草にとって、もっとも重要な戦略の一つなのである。休眠は、すぐには芽を出さないという戦略である。(中略)雑草の種子が熟して地面に落ちたとしても、それが発芽に適しているタイミングとは限らない。たとえば、秋に落ちた種子が、そのまま芽を出してしまうと、やがてやってくる厳しい冬の寒さで枯れてしまう。また、まわりの植物がうっそうと茂っていれば、芽を出しても光が当たらずに枯れてしまう。いつ芽を出すかという発芽の時期は、雑草にとっては死活問題なのである。

稲垣栄洋『雑草はなぜそこに生えているのか - 弱さからの戦略』休んで眠る戦略


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