【Book Review:2】”音で世界を感じる"ということ。"想いは響きに乗る"ということ。

1. はじめに

目に留めてくださり、有難うございます。

このNOTEでは、私がある本と出会うことで「それまでの自分の思い込みがどのように壊れたのか」「何かと何かがどのようにつながったのか」について綴りたいと思います。

今回は「日本語の美しさ」に関する本を読んで感じたことを綴ります。

時に脱線しつつ、徒然なるままに。
お付き合い頂ければ幸いです。

2. 今回取り上げる本

【日本語はなぜ美しいのか(著:黒川伊保子)】

<目次>
第一章:母語と母国語
第二章:日本語の危機
第三章:母語形成と母語喪失
第四章:脳とことば
第五章:母語と世界観
第六章:ことばの本質とは何か
第七章:ことばの美しさとは何か
第八章:ことばと意識

「言葉の本質って何?」「ことばの美しさって何?」など、気になりませんか?

テンポ良く問いが投げかけられている本は、筆者と対話している感覚を得られるので気に入っています。

目次から本の内容を想像してみたり、思い浮かんできた何かについてほんの少しだけでも自分の心と時間を配ってみるのも、本の楽しみ方の1つだと思っています。

3. なぜこの本を手に取ったのか?

突然ですが、皆さんは自己紹介などで、ご自分の名前を口にすると、どのような気持ちになりますか?

「そう言われても何も感じないけど...」という方もいれば、「何だか元気が湧いてくる気がする」「不思議と気持ちが落ち着く」「う〜ん...なぜか分からないけれどあまり口にしたくない」など、何かしら感じる方もいらっしゃるかもしれません。

申し遅れました。
私、「しらす まこと」と申します。

小さい頃、両親から「Sで始まる音を口にすると、頭の中に爽やかな風が吹くんだよ」という話を聞いてから、自分の名前を口にする度に不思議と心地良さを感じるようになりました。

まず、「しらす」にはSの音が2つも含まれていますので、名字を口にすると、後ろから背中を押してくれるような勢いがあります。

そして、その勢いを「O」の音で終わる「まこと」という名前の響きが納めてくれます。

ですので、姓名を続けて口にすると、「スキージャンプのように、スッと勢いよく飛び出して、なめらかな放物線を描いてストッと着地する」ような、そんな感覚になります。

「日本語はなぜ美しいのか?」という筆者の問いかけが、とても自然に感じられ、手に取ってみようと思いました。

4. 感じたこと

①想いは響きに乗る(言葉の本質は発音体感にある、ということ)

著者は「言葉の本質は発音体感にある」と述べているのですが、「発音体感」とは何でしょうか。

私が「なるほど」という思った箇所を引用したいと思います。

『もしも可能なら、両手を挙げて背伸びする動作と、手を胸の前にクロスして身を縮める動作を、エアロビクス風にリズミカルに繰り返してみてほしい。この時、「Up, Down」と声を出して繰り返すと、非常に動きやすい。誰でも、ダンスのようにかっこよく動けるようになる。
同じ動作を、「ウエ、シタ」という掛け声で繰り返すと、ぜんぜんピンとこない。リズムがどんどんずれて、へっぴり腰になってくる。ところが、不思議なことに、意識の切り替え一つで、「ウエ、シタ」という掛け声でも、動きがさまになるのである。
自分の動作を意識するのではなく、「ウエ」と発音したときに天を、「シタ」と発音したときに床を意識してみるのだ。「ウエ」で天を仰ぎ、「シタ」で床を踏みしめる。そうすると、身体の動きが俄然伸びやかになって、舞のようにエレガントになる。』

実際に「ウエ、シタ」のパターンを試してみると、たしかに言葉と動作がぴったり一致するのです。

筆者によれば、ウエは「身を低くして、上を見上げるイメージ」を作り、シタは舌を叩きつけるように使う、舌打ちに近い発音体感で、下にある何かを踏みしめる感覚を生み出すのだそうです。

そして、これは西洋のダンスと、東洋の舞の違いでもあるとか。

自分が世界の中心にある踊り(=ダンス)と、宇宙の中にいる自分を表現する踊り(=舞)。
自己陶酔や観客へのアピールのために踊るのではなく、宇宙を祝福するために舞うからこそ、舞は神事とも結びつくのだそうです。

「言葉の本質は発音体感にある」という気がしてきませんか?

ここで、ふと実体験と重なったことがあります。

誰かから「ほら、肩の力を抜いて」とか「ほら、リラックスして」と言われても、なかなか思うように力みが取れない、リラックスできないという経験はないでしょうか。

私は7年ほどヨガを続けているのですが、ヨガは「呼吸」を大事にします。

インストラクターから「吸って〜吐いて〜」と声で導いてもらいながら、ゆっくり静かに呼吸をすると自然と気持ちが落ち着いて力が抜けるのです。

何でだろうと考えてみると、「吸う」という言葉の「Su」の響きが静かに息を吸う時の「スー」という音の響きと重なり、「吐く」という言葉の「Ha」の響きが息を静かに息を吐く時の「ハー」という音の響きと重なるのです。

しかも、その時は「吸って〜」の時に相手も一緒に息を吸っていて、「吐いて〜」の時には相手も一緒に息を吐いているのではないでしょうか。
不思議と自分と相手が声の響きを通じて重なっているような、そんな感覚すらあります。

みなさんにもし誰かに伝わってほしい言葉があるとしたら、その中身だけではなくて、言葉の響きにも意識を向けてみてはいかがでしょうか?

「想いは響きに乗る」のかもしれません。

②子音と母音の重なりによる情理と合理の調和にこそ、日本語の美しさがある。

「カラカラクルクルコロコロ
サラサラスルスルソロソロ
タラタラツルツルトロトロ」

みなさん、これらの言葉を順番に声に出してみてください。
何か感じましたか?

筆者による発音体感の解説を引用したいと思います。

「カラカラ、サラサラ、タラタラ。
カラカラは、硬く乾いた感じ。KaRaKaRaのたった二文字をSに変えただけなのに、サラサラは、木綿の表面を撫でたときのような、空気を孕んですべる感じになる。タラタラになると、濡れて、粘性を感じさせる。

クルクル、スルスル、ツルツル。
クルクルは、硬く丸いものが回転する感じ。スルスルは、紐が手のひらをすべっていく感じ。ツルツルは、まるでうどんをすする音のようで、汁を含んだ粘性のある物体を感じさせる。

コロコロ、ソロソロ、トロトロ。
コロコロは、硬く丸いものが転がる感じ。ソロソロは、廊下をすり足で行く感じ。トロトロは、粘性を感じさせる。

これらK、S、Tの擬音語・擬態語展開には、同じ法則を見い出すことができる。すなわち、Kには硬い固体感が、Sには空気を孕んですべる感じが、Tには粘性のある液体のイメージがあるのである。

Kは固体、Sは空気、Tは液体。もちろん、これらの法則は、発音体感によって生じたものである。」


さらに、母音である【アイウエオ】はそれぞれ、「開放するa=ア、尖るi=イ、内向するu=ウ、おもねるe=エ、包み込むo=オ」という発音体感を持つとのこと。

先ほど私の名前(しらすまこと)の響きが「スキージャンプのように、スッと勢いよく飛び出して、なめらかな放物線を描いてストッと着地する」ような感覚があると申し上げましたが、Sは空気、Oの音で包み込まれるという話とのつながりが見えました。

筆者によれば、日本語は、すべての子音と母音の組み合わせを五十音図という二次元の行列(表)で合理的に表されていて、私たちは知らないうちに母音と子音の重なりが作り出す感性構造に触れている、とのこと。

まさに「情理と合理の調和にこそ日本語の美しさがある」のですね。

みなさんもご自身の名前の響きをぜひ感じてみてください。

5. お礼、次回取り上げる本(漢字の字形)

最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

今回は「発音体感」を軸に、日本語の響き、美しさについて感じたことを綴りました。

じつは、日本語の美しさ・深みはその響きに加えて、文字、特に漢字のカタチ、成り立ちにもあるような気がします。

シンボルとしての文字。

次回はこの点について、「漢字の字形 - 甲骨文字から篆書、楷書へ - 」(著:落合淳思)を読んで感じたことを綴りたいと思います。

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