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多くを求めず、少数に意識を向ける

昨日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「「ばらつき」を好むもの」を読みました。

「オプション性」は反脆さの仲介役。リスクが低いものとリスクが高いものを組み合わせることで、ダウンサイドを限定的にしつつ将来のアップサイドを享受する。状況が良くない場合は行使しなくてもよく、状況が良い場合に行使すればよい権利。

前回は家賃を例にオプション性について学びました。家賃相場が上がった時は支払う家賃を上げる必要はない一方、家賃相場が下がった時には引越しをすることで利益を得る(支出を抑える)ことができる。細かな手続きの話はあるものの、環境の変動(家賃相場の上下)がもたらす利益・損失の非対称性がオプションの特徴です。

自分がどのような「オプション性」に囲まれているのかを見つけていくと、脆い状態にあるのか、反脆い状態にあるのかが見えてくるかもしれません。

オプションにはひとつの性質がある。意味があるのは平均的な結果ではなく、よい結果だけなのだ(悪い結果は一定以上の影響を及ぼさないからだ)。作家、芸術家、哲学者は、大勢の人に仕事を認められるよりも、一部の熱狂的なファンがいるほうがずっといい。批判する人の数は関係ない。「本を買う」の正反対の行為というものはないし、サッカーの試合の失点のようなものがあるわけでもない。本の売上には負の領域がないので、作家には一定のオプション性があることになる。

「オプションで意味があるのは平均的な結果ではなく、よい結果だけ」

ダウンサイドが抑えられているからこそ、将来のアップサイドだけに目を向ければよい。たとえば、「小さく始めて大きく育てる」ような取り組みは、失うものが少ない意味でオプション性があり、反脆いのかもしれません。

そして、平均的な結果に意味はないとは「大事な少数に目を向ける」と言い換えることができるのかもしれない。著者の言葉にふれて思ったことです。

反脆くあるための「バーベル戦略(二峰性戦略)」のポイントは「混ぜるな危険」ということ。中程度のリスク(不確実性)のものに多くを投じると、時にリスク評価に含まれる誤差が拡大して多くを失うことになりかねない。

多くに意識を向ける・相手にすることは「様々なリスクが混ざりあう」ことを意味するならば、気づかない内に脆さを抱えているのかもしれません。

本以外にも、こんなシンプルなヒューリスティックを考えてみよう。100パーセントの人があなたの仕事を「まあまあ」とか「可もなく不可もない」と考えているより、あなたの性格や仕事がほとんどの人に(激しく)嫌われていても、ほんの一部の人が忠実で熱狂的なファンになってくれるほうが、よっぽどよい。そうすれば、政治であれ、芸術であれ、その他の分野であれ、あなたの仕事や考えは反脆いということになる。

ヒューリスティックとは「経験則」のことですが、私自身ほんの一部の人に意識を向けると、どこか安心感を覚えます。顔が見えない多くの人よりも、少なくてもよいから顔が見える関係性を。

「顔が見える」というのは実際にお会いしたことがなくてもよく、「ああ、この方はこのような価値観を大切にされているんだな」と、何かしらその人の根っこを感じられるようなことです。

その方の言葉であったり、あるいは表情や佇まいなどかもしれない。多くを求めないことで反脆くなってゆく。そんなことなのかもしれません。

誰も当たり前の事実を言おうとしないが、社会を成長させるには、アジア方式のように平均を押し上げるのではなく、"テール"に属する人数を増やす必要があるのかもしれない。クレイジーなアイデアを想像し、想像力という希有な能力、そして勇気というもっと希有な能力を持ち、アイデアを行動に移すほんの一握りのリスク・テイカーがいるからこそ、社会は成長するのかもしれない。

「社会が成長する」とは、どのようなことなのか。社会の成長がどのように定義されるのか判然としませんが、私たちの生活に浸透している事物の多くは元をたどれば少数の人が種を蒔き、育んできたもの。

電気、ガラス、宗教、燃焼機関などなど。もはや水や空気と同じぐらいに、あたり前のものに感じられてしまう。何かが広がっていく過程は得てして、連鎖的。初期で独創的なアイデアに共感、共鳴する人(フォロワー)は少数で次第に共有、広がってゆく。

アイデアを行動に移すほんの一握りのリスク・テイカー。「ロングテール」という言葉がありますが、テールとは分布の裾のこと。まれな存在や現象の表現として用いられています。

将来成功するか分からないけれど取り組んでみる。いたずらにリスクを取るのではなく、そのリスクの取り方に「オプション性」が内包されていることで短期的には上手くいかなくとも、長期的にアップサイドを享受していく。

テールに属する人を増やすというのは「平均から外れる」ということ。同質化しないということ。多くに目を向けると脆くなるとすれば、一人ひとりが有している個性に意識を向けて伸ばしていくことが、ゆくゆくは社会全体の反脆さにつながるのかもしれない。そのようなことを思ったのでした。

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