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好奇心より

空を厚く垂れ篭めた雲が覆う朝。
アトリエにいたボダイを放っておいて私はキッチンで朝食を摂った。トーストに野菜とチーズを挟んだだけの簡単な物だ。今日の仕事をすませたら、買い出しにでも行くか。今日はあの客たちが依頼の品を受け取りにくる筈だ…と、仕事の事を考えていると、ボダイの足音が聞こえた。美術館とその帰りに聞いたあの独特の足音をたてながらこちらに向かってくる。私は気にせず朝食を口に運び続けた。キッチンの入り口手前で音がぴたりと止まった。私は音が止まった入り口の方に目を向けると、ドアのない入り口から大きすぎる花弁がひらりと見えた。ボダイはキッチンへは入って来ず、入り口から目だけを覗かせ、こちらをじっと見ているようだ。
「どうかされましたか」
朝食を口に運ぶ手を止めて、声をかけてみた。禍々しい花びら達が少しだけ揺らいだ。
「ドウ?どうもしない。何も起きていない。お前は…ナニ…何をしている?」
「私は朝食を摂っています。…食べます?」
興味があるのだろうか、と思い、なんとなく誘ってみた。まだ口を付けていないトーストを差し出す。
「食べる…?飲食?我はそのような行為を必要としない。飲食物、エネルギーを外から摂取する必要がない、のだ。」
「…ほう」
ほうほう。便利そうな体だ。訳が分からん。ボダイの体はどうなっているのだろうか。そうしたら、栄養等はどうしているのだ?まさかひなたぼっこをして、光合成をしているわけでは…。いや、案外そうなのかもしれない。いずれにせよ聞いた所で恐らく理解できないであろう。
「異物を体に取り込むのはいったいどういう感覚がする?」
今まで聞かれた事がないような質問が飛んできた。なんて面倒くさそうな…。しかし、私も私でボダイには質問をしてばかりだったので、なんとかその質問に応えようとした。
「悪くない、ですよ。まず、空腹感が無くなって…体の中が満たされますね。すると活力が生まれる気がします。美味しい物だとなおさら…」
なるべく率直な意見を述べたつもりだった。
「ワルクナイ。クーフク。オイシイ。カツリョク。ミタサレル。…クーフク?オイシイ?」
しかし、それがボダイに新たな疑問を与えてしまったようだ。そうか。飲食を必要としないのだ。「空腹」「美味しい」という感覚などわかるはずがあるまい。さすがにそれらの感覚は言葉では説明し辛い。体験してもらったほうが一番解りやすいだろう。しかし、それをしようがないのだ。便利な体とはいったが、美味しい物が食べられないのは不幸であるのかもしれない。
「解らない」
そういうとボダイは来た道を戻っていった。どうやらアトリエに戻っていくようだ。………。アトリエ!
ふと思い出して、朝食を食べ終えると私は急ぎ足でアトリエに向かい、目の前の窓から外を見た。ボダイは急ぎ足でアトリエに入ってきた私を興味津々と言わんばかりの目でこちらを見ているが放置。昨日の問題が一つ残っていたのだ。外、いや、正確には窓の下だ。昨日の晩に私が窓から放り出した泥棒はまだいた。ぐっすりと眠っている。呑気な奴だ。
…まずは通報か。と、思ったところで、ふとある考えが頭をよぎった。
「あの泥棒、貴方の事を話しますかね」
そんな事をされると私は大変面倒くさくて嫌なのだが。放っておいたら刑務所の中等で嫌な噂を流されて、店の経営に響くかもしれない。そういう噂というのは何故か流布するのが速いものだ。それは大変困る。
まぁ、化け物を見たと言っても狂言だといわれて笑われるのが落ち、というのもあるかもしれないが、いずれにせよ何か対処しないとならない。どうしようかと考えていると、ボダイから意外な案を差し出された。
「この男が我を目撃した部分の記憶を消すか?」
「できるんですか」
「できる」
「是非ともお願いします」
即答した。
ボダイは窓から男を睨みつけ、足を一本だけのばし、男の耳に刺した。…大丈夫なのだろうか。数分後、ボダイは終わったぞといってこっちを見た。記憶はこれで消えてくれたらしい。
なんて便利な奴なのだろうか。
ボダイが消したのはあくまでボダイと接触したときの記憶だけ…と言っていたので間違いないだろう。そう思いたい。いやきっとそうだ。
とすれば、–どうもこの男はこの盗みが初めてではないようだし–悩む必要もないだろう。私は速やかに店の壁にかけられた電話で通報した。じきに警察が訪れてこの呑気な不埒者を連れて行くだろう。これで一安心だな。
そういえば、大切な事を思い出した。
「ボダイさん。この家に住み着くなら、これからは私以外の人間に姿を見られないように努めてほしいのですが。よろしいですか。私が大変困った事になるかもしれないので」
私はアトリエの窓とカーテンを閉めると、ボダイに向き直ってそう言った。
もしもこの家にボダイのような怪物がいると周りに知られると、店の経営が危うくなるかもしれない。生活に酷い支障をきたすのでそれだけは絶対に避けたい。怪物が側に居ようが居まいが私は平和な日常を送りたいのだ。
ボダイは目を見開き、驚いたようにこちらを見た。大きい分、こいつの目が見開かれると迫力がある。
…何か変な事を言っただろうか。
「ボダイサン…。認識を避けるように努める。他者に存在を知られてはならない。わかった。この家の主のシャンクサンがそう言うなら、我はそう努めよう」
サン…。
「お願いします。あと、これからは、…お互いを呼び捨てで呼び合いましょうか」
先ほどの発音にとても違和感があった。
「わかった」
本当に素直だな。やりやすくて大変ありがたい。
「では改めて、よろしく。ボダイ」
「よろしく、シャンク」
ゴボゴボと、ボダイから形容しがたい奇妙な音が聞こえた。

その泥棒の男は指名手配犯だったようだ。私は警察にその泥棒についての事情を話し終えると、警察は男を連れていった。泥棒の男は最後にやっと目を覚まして何が起きているのかわからないと言った様子であたりを見回していた。哀れな奴だ。男が昨晩の事を思い出す日が来ない事を私は祈り、仕事に戻った。
依頼の品を着々と作っていく。布に型をあて、軽く跡をつけると、それに沿って裁断していく。基本的に私が作るのは男性物の服だ。
ボダイは興味津々だとでも言わんばかりの目で、私の手元をじっと見ていた。
「何をしている。何を作っている。」
心なしか声が嬉々としている。
「仕事です。服を作っています。」
私は質問に淡々と簡潔に答えた。その間ボダイは私の手元をじっと見ていた。時々、気づくと視線が私の顔を向いているときがあるが、何かあればボダイから質問してくるだろうから無視して作業をしていた。裁断が終わると一通り仮縫いをして、整えてからミシンで本縫いを始めようとする。しかしその頃にはすでに昼になっていた。
昼食にするか…。あと、買い出しにも行かないとな。疲れが若干たまったので軽く伸びをする。ボダイは私の作り上げた服に興味があるようだった。
おもむろに足…いや、腕をそろそろとのばして服に触れようとしてきたが、私はそれを叩いてやめさせた。ボダイは驚くと、渋々と腕をひっこめた。
「すまないな。大事な商品なんだ」
「ダイジなショーヒン。商品は大事。わかった」
昼食と買い物を済ませて作業を再開させると、朝は来なかった客人達が依頼の品を受け取りに来た。
ボダイはその間、アトリエにこもっていた。

夕暮れ時。店を閉めて、その日の収入等の計算をする。
…景気がいいな。小物の修理がぱらぱらと増えているのが影響しているようだ。
計算を一通り終えると私はアトリエに向かった。アトリエではボダイが部屋の物をしげしげと眺めていた。相変わらず大きい。しかし体をとぐろのようにまいてくれていたおかげで若干マシになっていた。
放っておいて趣味の物作りを始めた。仕事の息抜きに細々と簡単な物を作っている。この作業は仕事と違った楽しさがある。今制作しているのは、海辺で拾った貝を使ったイヤリングだ。白い貝を磨き、表面を滑らかにしていく。何か模様を彫ってもいいし、そのまま素材だけを活かしてもいい。
「お前は何を作っている」
ボダイはいつの間にか私のすぐ後ろに来ていたようだ。
「アクセサリー…ですよ」
私は見向きもせずにそれに答えた。
「そうか」
ボダイはそれ以上質問をこちらに投げず、作業をしている私の手をじっとみつめていた。普段は人に作業を見られるのはあまり好きではないが、不思議とボダイにみられるのは悪くなかった。人じゃないからかもしれない。
時間が、穏やかにゆったりと流れていく…。
初めは目にするのもおぞましいと思っていた怪物の姿にもだいぶ慣れてきた。
晩御飯のことは忘れていた。

次の日の朝、朝食を摂る為にキッチンに入るとボダイがいた。ボダイは数枚の食器を食卓にきれいに並べて鑑賞しているようだった。どうやら並べられたその数枚の食器が気に入ったらしい。鳥が木に止まっている様子を描いたものや幾何学的模様を描いたもの、その他美しい模様を描いたものもあれば飾り気の無い真っ白な陶器など様々だ。
そんなことよりも、ボダイの巨体がキッチン…アトリエの半分ほどの広さ…の空間の大半を占めていて、とても狭い。しかし食材が置いてある棚まではなんとか隙間があるので、そこを通って私はキッチンへと入っていった。
鑑賞に夢中になっているボダイの事は気にせずにトーストに野菜とボイルされた鳥の焼き肉とチーズを挟んだものを作って、食卓に置いて食事を始めた。今晩は暖かいスープを飲みたいな…。
「お前はなにか望み等をもっていないのか?」
今晩の献立を考えていると、突然質問を向けられた。
「望み?」
「ようは願い事だ。己の力では達成が困難な望み。」
これまた突然すぎる、寝起きの頭では考え辛い内容だな。
「言ったら叶えてくれるのか?」
「できる範囲内ならなんでも。まずは言ってみろ」
ボダイはしれっと答えてみせた。
「じゃあ」
「うむ」
「マッシュルームを沢山食べたい」
頭にパッと浮かんだ内容をそのまま喋った。率直な望みだ。今晩はマッシュルームを使ったスープ。悪くないじゃないか。
「マッシュ、ルーム」
「茸ですよ。二百個ほど食べたいですね」
これは冗談。
「わかった。任せろ」
ボダイの体からゴボゴボと、奇妙な音が聞こえた。ずっと思っていたのだがこいつの声はどこから発せられているのだろうか。朝食を勧めたりもしたが、ボダイに口はあるのだろうか。見たところそのようなものは見かけられないが。
奇妙な音が止むと、ボダイの体から徐々に色が消えていった。巨体に隠されていたキッチンの壁が透けて見える。透明になれるのか。なるほど、道理で美術館では姿も形も見えない訳だ。
鍵をかけて閉めてあったはずの窓が、ひとりでに開くと、ズルズルと何かが窓を通って外へ出るような音がした。おそらくボダイが窓からでたのだろう。明らかにこの家の窓はボダイの体の幅と比べると小さいのだが、窓は外れる事も傷つく事もなかった。…あんな事ができるのか。あの体は硬そうにみえて意外と柔軟なのかもしれない。
見ていれば見ているほど謎な生物だ。
ところで、本当に二百個のマッシュルームを採って帰ってくるのだろうか。
なんでもいいが、窓は開けたら閉めてほしい。帰ってきたら言おう。

ボダイが出かけたことで、家が少し広くなったように感じられた。もともと大きくないこの家にあんな巨体の者が住み着いたら狭く感じるのは当たり前だろう。
ボダイのいなくなった建物の店の部分で依頼されたブリキの小箱の修理をこなしていると、美術館で警備員をしている知人の男が訪れた。男からの仕事内容はシャツの縫い直しと…雑談。
「大量の足音だけどよ、一昨日くらいから、ぱたりと聞こえなくなったぜ」
だろうな。
「よかったではないか」
「いきなりすぎて不気味だぜ。もしかして、あの足音の主は美術館以外の場所に移ったんじゃぁないかと思ってな」
ここにいるとは口が裂けても言いたくはない。
「美術館からいなくなったのなら、もうお前の仕事ではあるまい」
「そうだけどよ。気にならねーか?」
「ならない。なんだ?警備員はやめてハンターにでもなるつもりなのか?」
ならない、というのは素直な感想だ。
「それはないけどさ」
「ならばとっとと忘れて仕事に専念すべきだ」
私としては是非ともそうしてもらいたい。
「お前ってブレないなぁ」
「話がすんだなら、悪いが帰ってくれないか。私は本来仕立て屋のはずなのだが、小物の修理が日に日に増えて忙しくて適わんのだ。お前のシャツも、少し遅れるかもしれない。すまないな。」
「かまわねえけどよ。…その修理を頼む客って大半が女だったりしないか」
「よくわかったな。…何故だ?」
そうだ。少し前までは老若男女問わず色んな客が出入りしてくれていたが、このごろは女性が多い。私は男物の服を主に扱っているので、あまり女性の客は訪れなかった。女性からの依頼は仕立てではなく、主に小物修理だ。
「なぜってそりゃ、そういうことだろ」
男はにやにやしながら私を指差した。言わんとしていることがよくわからなかったが、ろくな事じゃない気がしたので無視した。先日依頼された服を渡すと、男は笑って去っていった。
そして夕方になると食卓の上に大量のマッシュルームが置かれていた。
「ちょうど200個だ」
「ありがとう…ございます」
まさか本当にやらかすとは思わなかった。二百個…。食卓の上のマッシュルームたちはご丁寧に洗ってくれたらしく、泥などの汚れは全くついていなかった。ボダイなりの心遣いだろうか。だとしたら手間が省けてありがたい。

「ボダイ、お前はどこから此所までやってきたのだ?」
その日の夜。アトリエでブリキの小物を修理しながら、ふとわいた疑問を投げかけてみた。
ボダイは私を眺めながら答えた。
「私はとても遠くからやってきた」
「宇宙から?」
こう答えた理由としては、およそこいつはこの星の生物とは思えなかったからだ。
「宇宙。そうだな。近い。しかし、違う。…おおよそ距離などでは表せない。時空の彼方と同類は言う。」
ボダイの目はどこか遠くを見つめていた。
同類。会ったときも言っていたが、ボダイのような奴は他にもゴロゴロいたりするのだろうか。
「どんな場所なのだ。聞かせてくれ」
小物を修理する手をなるべく止めずに、私は耳を傾けた。
「そうだな…。暗い。光は天からだけではなく様々な方面から私を照らしていた。いつでも周りにはこの星の空気とは違い、粘り気のあるものが充満していた。私はその場所で何をするでもなく、ただ漂い続けていた。この星で例えるなら、沼だ。しかし沼よりももっと毒で溢れている。この星の生物たちをそこへ連れて行ったら、溶けるだろうな。蒸発するかもしれない。いや、枯れるかも。うむ。沼というより、肥だめの方が合っているかもしれない」
「体洗ってきましたか」
「ぬかりない…。お前は本当に面白い…」
面白い?そう思われていたのか。
「続けてくれ。お前の話のほうが遥かに面白い」
「そうだな…そこにいた私は、ある時不意にどこかに出た。そこにどうやって辿り着いたかはさっぱりだった。おそらく何らかの影響で空間に歪みが現れ、そこを通ったのだろう。その空間は虹色に輝いていた。周りを煌めいたものが舞っていたな。雨のようだったが、似て非なる物だったのだろう。液体ではなく個体だった。今となっては結局それらがなんだったのかは解らないのだが。解りたくもないな…戻る気はないのだから。あの空間は少し辛かった…。同類が空間を渡る術を教えてくれなかったら、いつまでもあそこにいたのだろうな。」
次から次へと聞いた事もないような話が耳に入ってくる。ボダイはとんだ大冒険してきた訳だ。
「お前の同類とはどういう奴らなのだ?姿形は全くお前と似ているのか?」
「いや、私に形が似ている者には出会った事が無いな。そうだな。その同類は例えるなら、幾何学模様の集合体だったな。フラクタルという言葉があるだろう。そんな感じだ。わかるかな?他にも骨の固まりのような同類もいた。同類?…おそらく同類」
「なるほど千差万別、と。」
怖いもの見たさなのだろうか、会ってみたいなと思った。しかし、それはボダイのような性格であったらの話だ。姿形が違えば当然中身も大きく異なるだろう。ボダイよりも歪な物などいるのだろうか。むしろ惚れ惚れするほど美しい物だっているのかもしれない。まるで想像ができなかった。そもそもこいつ自体が理解の範疇を超える次元の生物なのだ。想像してすぐに形が思い浮かぶような奴らではなかろう。
こんな奇妙な出会いは、私にはボダイだけで充分だ。
「ところでシャンク、私はいつまでここにいてもいいのだろうか」
ボダイが話の腰を折って質問をしてきた。心なしか、その声は私を探ってくる様な感情が込められている気がした。
そういえば考えた事無かったな…。
巨体の生物が招かれた訳でもなく勝手に侵入してきて、すっかりこの家に住み着いてしまっている様子なのだが、追い出す事を強要しなかったな。邪魔ではない。むしろ暇つぶしに会話ができる。観察していると時々面白い。人間と違って気を使う必要もない。臭いはないし、餌もいらない。散歩もいらない。面倒事を起こす気配もない。図体は大きいけれど邪魔ではない。
答えは一つだな。
「特に問題を起こさない限りは。お好きにどうぞ」
ブリキの小物を磨きながら答えた。きれいに磨かれた箇所が光を反射してきらりと光った。
「そうか」
ボダイの体からゴボゴボと音がした。これはボダイの笑い声なのかもしれない。いま、こいつは笑っているのか。いや、喜んでいるのか。楽しんでいるのか?正確にはわからないが、まぁそんな感じなのだろう。
ところで、眠くなってきたな。
この作業が終わったら、茸料理を食べて、歯磨きと風呂をすませて…。
後は寝るとしよう。


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