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異国の景色から

ボダイがこの家に来て四日目の朝。空から落ちてくる水滴達が外の道を叩く音が窓の向こうから響いてくる。雨か。

雨の日は冷えるから、普段より一層布団が暖かく感じられて、ベッドから出たくない。しかし仕事があるからそうも思ってられない。どっちを取るかと言われたら、生活の為に後者を取るしか無い。重たい瞼を嫌々あげると、目の前にボダイが見えた。
ボダイは私の寝室に入り込んできていた。あの歪で長い巨体が私のすぐ脇にあった。禍々しい目は爛々と輝き、私の事を観察しているようだ。
「おはようございます…」
「オハヨウゴザイマス」
寝たままの状態だが、まずは社交辞令的な朝の挨拶を交わす。
「なにをしてるんですか」
「お前の寝顔を見ていた。気持ち良さそうに寝ていたな。寝るとはどういう…」
「ボダイ」
「…なんだ」
私がいつもより低めで強い調子の声で名前を呼ぶと、ボダイは少しだけ構えた様な声で反応をした。私を探るようでもある、が、関係ない。
「私の寝顔を観察するのはこれから禁止だ」
ゴボォとボダイの体から音がした。驚いたのだろうか。知らん。こっちも寝起きでお前の体が目の前にあったらさすがに驚く。あと起床直後の頭でその質問も答え辛い。
ボダイは大人しく部屋から出て行った。あれは…拗ねているのかもしれない。放っておこう。どうせまたすぐに私に接してくるだろう。
ボダイの足音は下の階へと向かっていった。おそらくアトリエだろう。
私は雨のせいでいつもよりもだるい体を引きずるように歩き出し、洗面台へと向かう。顔に冷たい水をかけてタオルで水気を拭きさると、目が冴えて、頭がハッキリとしてきた。
さて、朝食にするか。大量のマッシュルームを消化せねばならない。
睡眠に関するボダイの質問への解答を考えながらキッチンに向かうと、何か物音が聞こえた。こんな短期間で二度も泥棒か?治安が悪くなってきているとはきいていたが…。
そう思い入り口から中を覗き込むと、足下を小さな影が駆けていった。鼠だ。
自分の手と同じくらいの大きさだ。ドブの様な黒色の毛で体を覆っているが、パッと見でわかるほどガリガリと痩せている。
毛は酷く毛羽立ち、しっぽはぐにゃぐにゃだ。どこから入ってきたのだろうか、キッチンの掃除はこまめにしていたつもりだったから軽くショックだった。いや、雨を凌ぐ為に一時的に侵入してきたのかもしれない。
汚れた鼠は床に小さな泥の足跡を残しながらまっすぐアトリエに向かっていた。アトリエの扉はうっすらと開いており、そこから鼠は部屋の中へ入っていった。
あそこは物が多いから、下手に隠れられると後々大変だ。汚れているから掃除もしなくてはならない。
ネズミ捕りを持ってくるか?いや、それ以前にアトリエにはボダイがいる筈だ。ボダイに狩ってもらうのが手っ取り早いかもしれない。そう思い、私はアトリエに向かおうとした、その時だった。
鼠が激しく威嚇するような鳴き声が聞こえた。ボダイに威嚇しているのだろうか。ボダイを見て驚くのは人間も動物も関係なのかもしれない。続いてばたばたと暴れているような足音も聞こえる。
アトリエの扉に手を触れた瞬間、鼠の激しい攻防の音は、鈍い音とともに止んだ。
なんだ。ボダイは一体何をしているんだ?
若干暗いアトリエに入ると、ボダイが鼠を持ち上げていた。いや、「持ち上げていた」というのは誤りだろう。「突き刺していた」が正しい表現だ。
鼠はどう見ても絶命していた。体にはボダイの大きな足が突き刺さっており、四つの小さな足と尾はぶらりと力なく垂れ下がっていた。口と傷口から漏れている血はぽたぽたと床に滴り落ちている。
鼠の細かい表情等は人間の私には読み取れないが、小さな頭にくっついている小さな目は怒りと驚愕で満たされているかのようだ。
だが私が一番気になったのが、ボダイの様子だ。
何かがおかしい。力なくぶら下がる鼠を嫌悪感丸出しの目で睨みつけていた。憎悪しているといってもいいくらいだ。あの巨体と大きな目で強く睨まれたらたまらないだろう。
なにか鼠に恨みがあるのだろうかとは思わずにはいられない。いや、あの様子は違う。鼠ではなく、鼠のなにかに反応しているのか。今それに触れるのはやめた方がいいと私は本能的に悟った。
とにかく、今のボダイは少し様子がおかしい。私は静かに、なるべく平静を装って話しかけた。
「どうした、ボダイ」
私が声をかけると、ボダイはハッとしたようにこっちに視線を向けた。
「すまない。床が汚れてしまった」
その声はいつもより無感情に聞こえた。無感情すぎて、逆に違和感さえ感じる。
「いや、いい。拭けば大丈夫だ。駆除してくれてありがとう」
「クジョ、クジョ、駆除…」
ボダイはしばらく「クジョ」という言葉を繰り返していた。考え事をしている、というよりかは放心しているようにさえ見える。「駆除」という言葉が気になるのか?質問好きのボダイがなにも聞いてこない…。
私は近くにあった必要なくなった紙を数枚掴むと、ボダイの足からゆっくりと鼠の死体を引き抜いた。そしてそのまま死体を紙でくるむと、ゴミとして処理した。そのまま私はボダイを一旦アトリエに放置して、キッチンでトーストだけを口に入れる。
雑巾をもってアトリエに戻ってくる頃には、ボダイは少し落ち着きを取り戻していたようだった。壁にかけてある港の絵を鑑賞している。
いやむしろ、絵を見て落ち着こうとしているのかもしれない。
「ボダイ、さっき汚れた足を貸せ」
私がそう言葉を投げると、ボダイはこっちを向いて、少しきょとんとした様子を見せたが、無言で足を差し出した。
私はその足を取ると、撫でるように拭きながら、さっきボダイの口から出かけた質問に答えた。
「睡眠する感覚は、正直いって答え辛い。夢の内容によって気分も変わるしな。だが、寝て起きると少なからず昨日までの気分がリセットされる。
疲れた体で眠ると、起きた時は最高に気分がいい。ただし、今日みたいないつもより冷える日は暖かいベッドから出るのが辛い。睡眠とは、薬のような物かもしれないな。規則正しければ、体に良い。しかし中毒性がある、睡眠のとりすぎは悪い。なんてな。」
ボダイは私の手元を眺めていた。
「ユメ、お前はどんな夢をみるんだ」
「そうだな。一番最近ではっきり覚えているのは、行く先のわからない汽車にのって旅をする夢だな。他の夢も大体そんな感じだ。しらない町を放浪したり…」
「自分でその夢を見たいと思って見たのか?」
「そんな器用な事は、残念ながら私にはできないな。できたら、寝るのが楽しくなりそうだが」
「そうか」
調子が戻ってきたようだな。私は足を拭き終えると、床に落ちた血も拭こうとして屈んだ。
「待て、床は私が拭こう」
ボダイが申し出てきた。私は少しだけ雑巾を渡すべきか否か考えたが、任せる事にした。
「…ああ。頼む」
ボダイに床の掃除を頼んで、少しだけ汚れた手を洗いに洗面台へと向かった。

朝よりも雨が強く降り出してきた。雨粒が空から線になって落ちてくる。表では傘をさした人々の影が店の窓越しに霞んで見える。
仕事場で仕立ての作業をしていたが、中断して読書を始めた。雨のせいで客足はあまりない。軽い息抜きくらいしても良いだろう。
今読んでいるのは遠い異国の地についての本で、様々な場所の美しい景色が絵とともに紹介されている。古本屋で購入した物なので、情報は古い。
しかしそれは関係ない。こうして本から読みとる事でその場所に思いを馳せる、こういう思考の小旅行も悪くないだろう。
国境の一つや二つを超えて行ける場所なら、近い未来に足を運ぶ事は難しくないだろう。しかしさすがに大陸をわたったり、地球の裏側などになると、…悲しい事に私の生活費ではだいぶ難しいし、気力もない。
そもそもそういうのは貿易業に就いている者—環境の変化があるため、体がたくましくないとこの仕事にはふさわしくない—、または一部の貴族層、いわゆるお金持ちくらいにしかできないだろう。
いや、待てよ…。そうだ。
ふと思い立って、私はアトリエにいるボダイの元へ向かった。
ボダイはアトリエで見つけたのであろう様々なボタンたちを床に奇麗に並べて鑑賞していたが、私が声をかけると視線と意識をこちらに向けた。
「望みを言ってもいいか」
余計な前置きは必要ない。ストレートに言おう。
「なんだ」
「これを見に行きたい。可能か」
私は持っていた本の見開きのページをボダイの目の前に突き出した。
その場所はここから5つ程国境を超えた場所にある寺院のならぶ景色だった。なんと近くには大河がある。
「ふむ。可能だ。行くか」
ボダイはあっさりと答えてくれた。まるで何てことはない、簡単な事だという風だ。
「どれくらいかかるかな」
「この星の上だろう。どこだろうと迷わない限りは、その日の夜のうちでも行って帰ってくることが可能だ。滞在時間などによりもちろん変化するが」
最高じゃないか。胸が先ほどから静かに踊っていたが、ボダイの解答を聞くごとにその踊りは激しくなっていった。
「素晴らしい。ところでどうやってここまで連れて行ってくれるんだ」
「空を飛ぶ」
空、か。飛ぶと断言するなら飛行が可能なのだろう。翼でも生えてくるのだろうか?まぁそれはいい。今日は雨だし、冷えそうだから—高所は大変冷えるというのは本で学んだ–若干の厚着が必要になりそうだ。
「私を含めて、姿形は透明にさせてほしいのだが。可能か?」
空を飛んでいるところなど目撃されたら困る。
「ふむ、…わかった。やってみよう」
明日は貴重な定休日だ。ちょうどいい。事が順調に進みすぎて怖いくらいだ。
「なら、今晩頼む」
ああ、素晴らしい!

小雨の夕暮れ時。客のくる気配は感じられなかったので、店を早めに終わらせた。楽しみで仕方なかったというのもある。
外出用の厚手のコートを引っ張り出して体を包み、セットになっている帽子を被ると、私はすでに透明になっているボダイを裏口のドアから連れ出して、人気の無い、木々だけが立ち並ぶ場所まで案内した。
どのようにして空を飛ぶのだろうか?そう思っていると、私の上半身が大きすぎる手で突如鷲掴みされたような感覚がした。おそらくボダイが後ろから抱きついてきているのだろう。くすぐったいのでやめさせた。
私は手でボダイのゴツゴツとした背中の位置を確認すると、自分とボダイの体を紐で結び—このためにわざわざ紐を家まで取りにいった。事前に話しておけばよかったと思う—、足を揃えて甲羅と甲羅の間を手でしっかり掴んだ。
しばらくすると私の体からはみるみる色が失せていき、完全に消失すると、それを合図にボダイは前方に向かって歩き出し、次第に宙に浮きあがっていった。
本当に飛ぶのか。どうやって飛んでいるのだろうか、ていうか本当になんでもできるなコイツは、などと関心しているとみるみる内に目の高さが隣の木のてっぺんと同じ位置まできた。
目的地はすでに教えてあるから、ボダイが迷わない限りは無事に辿り着くだろう。
頬を伝って流れていく空気が冷たい。しかし、今はそんなものは気にならないくらいに胸の鼓動が高まっている。
しだいにボダイは進む速度と高度をあげてきた。揺れはすくないので振り落とされそうになる事はなかった。背中の私の事を考えてくれているのかもしれない。だとするなら几帳面な奴だと思う。
隣町のそのまた隣町を空を飛んで超えていく。立ち並ぶ家たちはまるで細かく装飾された積み木の列のようだ。町と町をつなぐ道は暗い影によって完全に姿を消していたが、時折そこを通る馬車の灯りが道の場所を教えてくれる。
町で一際明るいあの店はおそらく酒場なのだろうか、近くを通ればきっととても賑やかな笑い声が聞こえてきそうだが、この高さまでは人間たちの声も届かない。
しばらく野原が続いたと思っていたが、やがて国の境を守る砦のような物を見つけた。ついに国境を超えたようだ。まだ超えるべき国境は二つほどある。
見た事のない町の景色が、雲越しに降り注ぐ薄い月明かりに照らされて私の目に映り、退屈を忘れさせてくれた。いや、そんなものがなくても、空を飛んでいるという事実だけで退屈なんて消え去っている。
小雨は次第に弱まっていき、目当ての国の国境を超えたあたりで完全に消え去った。

しばらくすると、寺院が見えてきた。本に描かれていた通りの建物だ。しかし、絵で見て思っていたよりも圧倒的に大きくかった。当たり前か、実物なのだから。
空から全体の様子をまず見降ろしてみよう。
寺院の周りは強固な外壁と柵で覆われていたが、空を飛ぶ私たちにはなんの効果も果たされなかった。
建物は正面から見ると左右対称で、計算された美しい曲線で全てが構成されている。窓、壁、屋根、柱、道の至る所に様々な幾何学的な模様が、青色を基調とした数々のタイルを飾る事で描かれていた。
道の両端に並べられた木々は不自然に刈られることも、方々に伸びすぎる事も無く丸く安定した形で立っている。
寺院へ近づくほど木々の間隔と道の幅は若干狭まっており、そのわずかな仕掛けによって道を通常よりも長く感じさせられ、全体から不思議な雰囲気を自然と醸し出されていた。
月によって照らされた寺院全体はぼんやりと青白く輝き、幻想的だ。壁や柱から滴り落ちてくる先ほどまでの雨が残していった水滴たち一つ一つに月の光が反射して、まるで宝石のようだ。
ボダイは寺院の目の前に降り立った。寺院を見上げる私たちのすぐ真下にはタイルで描かれたこの宗教のシンボルマークが描かれていた。太陽と三日月を組み合わせた様なシンボルマークは白いタイルで描かれ、光を反射することで光って見える。
なんて綺麗なんだ。ただ美しい。
ほぅ、とついた暖かいため息が冷たい大気と混ざり溶かされていく。
夜中だったせいか、寺院には誰もいなかった。廊下にはいくつか灯がともされてはいたが、灯の数も本当に控えめだ。
ボダイは私を乗せたまま—透明になる効果が失われる恐れがあるためお互い体が離れる事は避けた—、寺院の中を静かにゆっくりと進んでいった。

寺院の真ん中には池があり、水面に丸い月を鏡のように映していた。池は周りを大小様々な大きさの白い石で囲まれており、真ん中にシンプルな白い柱があった。
その柱の上には、葡萄の房を両手に持ち、布を纏った女性の像が立っていた。ここで信仰されている女神だ。
像から滴り落ちる水滴が池の水面を叩き、冷たい夜の中、単調で静かな音楽を奏でている。
池を覗くと、私とボダイが映って見えた。池の中はきらきらと光っているように見えたが、さらに底を覗くように見ると様々な国のコインが沈んでいた。
コインが光を反射したから光って見えたのか。私もポケットの中を探り、手に触れた一枚のコインを投げ入れてみた。
見渡していると、この池のある空間の一角の壁にはいくつかの紙が張られているのを見つけた。
ほとんどが異国の言葉で書かれており、読むのは困難だったし、そのうえ湿気にぬれてインクが滲んでいる。かろうじて読める文字で書かれたのものを一枚見つけると、手に取って読んでみた。
だいぶ拙いが、詩のようだ。最後に「D」を意味する文字のサインがある。

大地の彼方から
その向こうから差してくる物がある
それははじまりであり、おわりである
土の子よ、君に幸あれ

大気の青空から
その向こうから降り注ぐ物がある
それは恵みであり、天罰である
人の子よ、君に幸あれ

満天の星空から
その向こうから流れくる物がある
それは望みであり、予兆である
星の子よ、君に幸あれ

どこへ還ろうとも
我らが真に別たれる日は
訪れるの反対である

「君に幸あれ、か」
「なんだ、それは」
「詩の一部だ。貴方に幸福な時が訪れますように、という意味」
「ほう」
ボダイは興味なさげに答えた。
私としてはこの詩が妙に心に引っかかった。しばらく考えていると、不意に背後の方から叫び声が聞こえた。
「ぎゃああ!向こうに何かが、何かが!」
人がいたのか。修行僧かなんかだろうか。
…ん?見つかっている?
ふと気づくと、私の体は色がついていた。しまった、さっき池を覗いた時に気づくべきだった。
ボダイの体も月明かりをあびて怪しく輝いている。自分の内側から、心臓がどくっと跳ねる音がした。つまりさすがに焦った。
「ボダイ!体が見えている」
「む、すまん」
ボダイは失態に気づくと、もう一度お互いの体から色を奪った。いつから解除されていたのだろうか。
どうやら透明になるといった能力は意識をしっかり集中させないといけないようだ。
これほど周りを芸術性の高いもので囲まれたら、美しい物が大好きなボダイはすぐに意識をあっちこっちへ移してしまうだろう。
…ああ、だから私の家では体を隠していなかったわけだ。絵に魅入りすぎたと。たぶん。なるほどな。
しばらくすると、三人の人間が慌ただしく駆けてきた。それぞれ手に槍や燭台などの武器になりそうな物を抱えている。
勿論すでに姿を隠した私たちの事は見つけられず、目撃者であろう男は酷くうろたえた。
「見た、わたしは見た。」
口から泡を吹き、視線は何かを探すようだが何も見ていなかった。ものすごく変な様子だ。
申し訳ない事をした。許してくれ。
私たちは急いで再び空への旅を始めた。
「ボダイ、次は川へいこう」
楽しい夜じゃないか。年甲斐にもなくはしゃいでしまう。

大河には空の満月がくっきりと映し出されていた。
水面に反射する光たちが、揺れる波と共に次々と表情を変える。
その上、さきほどの小雨のおかげだろうか、月の光によって虹が生まれていた。
なんて美しいんだ。夜の虹だなんて初めて見る。
私は景色に見蕩れていた。不意に、水面に私たちの影が映った。ボダイの透明化が解除されたのだ。
…かまわないだろう。大きな川のど真ん中だ。周りには船も一隻として見つからない。
「綺麗だな」
話しかけてみた。
「そうだな」
ボダイはこちらに視線を向けると、肯定を意味する言葉を返した。
川の水面近くまでボダイは降りてくると、そのまま静止した。そこからはさきほどの寺院も見える。
「私がもっとも美しいと思う物はだな」
不意にボダイが話し始めた。そういえばボダイの一人称、気づいたら「私」になっていたな。それこそ私の影響なのだろうか。
「目だ。人でも動物でも美しく生きる物どもはどいつもこいつも瞳が輝いている。私はそれが美しいと思う。シャンク、お前の目もそうだ」
「慎ましく生活をしているだけだが」
「何かを制作をしているときのお前の目だ。とても美しく輝いている。お前のそういう瞳を見る度に私は何度その目玉を抉り取りたいと思ったことか」
「おい」
今のは聞き流せないぞ!
「お前の目玉はえぐりとらない。安心しろ」
きっぱりと「しない」言ったが、私の反応に焦っているな、こいつ。
褒めれば目玉をくれるとでも思ったのだろうか。
私はボダイの頭–と呼んでいいのかわからない–の菱形の部分を無言で叩いてやった。ボダイは若干体を震わせた。
「嘘じゃない」
「わかった。で、目玉をコレクションでもしているのか?」
「今度見せようか。素晴らしいぞ。まるで宝石のような目玉たちだ」
「いや、遠慮しておこう」
大量に並べられた目玉を想像して、厚手のコートを着ているのにも関わらず少しだけ鳥肌が立った。
ボダイは私の反応に狼狽えているようだった。長い体についている大量の長い脚をせわしなく動かしている。
そんなに私の反応が意外だったのだろうか。
しかし考えてみればそうだ。ボダイは私を含め人間たちとは根本的に何もかもが違うのだ。案外こいつらにとっては、目玉集めなんか普通の趣味なのかもしれない。
しかしボダイが自分から話してくれたのだ。私も自分が美しいと思うものを上げてみよう、と思ったが…
「私が一番美しいと思う物はだな…、なんだろうか。決められないな。多すぎて」
パッとは決まらなかった。本当のことだ。さっきの寺院も、この大河の景色も、家にある絵画もどれも美しくて、私は好きだ。
「狡い解答だ」
「しょうがないだろう。本当のことだ」
座るのに疲れたのでボダイの背中の上で仰向けに転がってみた。すぐ真上に月がある。寝心地は最高に悪いが天井が夜空だなんてシャレてるじゃないか。気がつくと口から静かな笑い声が漏れていた。
それにしても、私はこんな目玉狩人と一緒に過ごしていたんだな。おかしな事だ。まぁ、私に被害が及ばないのならばいいか。
しかし、他の人間にも被害が及ばないようにしないとな。先ほど私たちを見つけた人間の様子を見てなおさらそう思った。
今なら、私からボダイに釘を刺せば良い。ボダイはすんなりと言う事を聞くだろう。私に対しては驚くほど素直な奴なのだ。今朝の鼠のことも、また後日改めて聞けば、きっと答えてくれるだろう。
恐らくなんの問題もない。

来た道を戻り、家へと帰ってきた。ほとんど歩いていないというのに、私の体はとても疲労していた。だが今のこの疲労さえ、時が経てば良い思い出の一つとなるのだろう。
ボダイはというと、外で体を震わせて体についた水気をすっかり飛ばすと、あまり疲れた様子を見せずアトリエへと向かっていった。タフな奴だ。
私はベタついた体をさっと流して寝間着に着替えると、そのまま晩御飯をとることもせずにベッドの上の毛布と布団にくるまった。始めは冷たい布団がだんだんと暖かくなっていく。
今夜は良い夢が見られそうだと思い、私は眠りについた。

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