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沙汰DAY

第6回 阿波しらさぎ文学賞(徳島文学協会、徳島新聞社主催) 
最終候補作品です。期間限定公開。
縦書き版(画像)は、ガーッとスクロールすると出現します。


腹に響く太い音が、六つ鳴った。

一つ目で夢が切れ、二つ目で目を覚ます。六つ鳴り終わる前に起き出して、小便のあと掛け布を畳む。朝の身支度を済ませ、呼ばれるのを待っていた。身支度といっても、汲み置きの水に手、口を漱ぎ、己の髪を確かめるだけだ。撫でさする指の腹に短い毛が刺さる。ぐずぐずしていると怒声が飛ぶ。小窓からの声に、跳ねるように返事をし、号令のかかるまでそのまま立っている。暗いばかりの部屋には、朝も夜もない。

流された先は、地図には載らぬ島だった。

砂ばかりの島に、人々は畑を拓き、種を撒き、水を絶やさなかった。取り囲む海には渦潮が魚を連れて来た。背の高い木には、ほの甘い果汁をたたえた実がついて、それをとる蟹が海からあがってきたりする。砂浜に着く、本土からの漂着物には島人が群がった。地上を行く人々は簡素な麻の貫頭衣に、編み上げた草履を履いていた。地面に擦りつくほど髪をぞろびかせ、男女の別はなかった。重さを競うかのようなあたまは、まっとうな成人のあかしであった。毛髪を束ねるのは、からだの十分でない半人前の子ばかりで、大人はみな髪を打ち振り、昼も夜も働いていた。自ら流れ住まわれた上皇様の末裔を名乗る者たちが、この地を統べているらしい。うつくしい砂浜は、男の目にもただうつくしく映った。

出迎えたのは二人の刑吏だった。島暮らしは天国であるよ、と一人が言った。地階へ続く扉を開けると、天井の低い、明るいだけの部屋の隅で、男は身に着けていたものをすべて剥がされ、ぬるい湯にくぐらされた。

「222、前に」

刑吏らは濡れたままの耳の穴、鼻の穴を見、舌の裏側を確かめ、吐くまで喉奥を覗き込んだ。かわるがわるに点検し、もう胃液しか吐けぬ男が、黄色いものを出しながら肩で息をすると迷惑そうな顔をした。おさまるのを離れて待ち、それから、後ろ手に留めた金具を外し、両手を上げさせ、脇を確かめ、前倒しにして、足を開かせ、睾丸を確かめ、尻を見た。尻穴に光が差し、風が入った。風が強く当たると恥ずかしいような声が出て、おそろしいほど身体が冷えた。海に朽ちてしまった方が良かったのでは、ともう一人が笑った。よし、とシリコン製の口枷を装着させると、紙で出来たような薄いつなぎを着せ、今度は正面で手錠をかけた。服は肉になじみ、布ずれもなく男を快適に保った。驚く暇もなく、さらに明るい隣室へ促されると、眩しさに目を開けられていられない。

「お裁き様、到着しました222です」

白く強すぎる光に、部屋には影がない。進むべき方向のわからぬまま、幾度も瞬き、細めた眼で立ちすくむ。前に、と言われるまま右足を出し、左足を出す。ほのあたたかい床はなめらかで、ちりひとつない。金物を叩くような声で、お裁き様が問うた。

「罪状は」

「殺人」

右の者が書面を読み上げ、左の者が復唱した。棒立ちの222は、まぶしさをこらえ両脇の刑吏を交互に見た。お裁き様は黙ってうなずき、「異議あらば明日までに申し立てるべし」と瞼を下ろして、判子を押した。かぶりを振って反意を示すが、口枷の男には一切を承認したものとして牢舎へ移されることが決まった。舎での取り決めを刑吏が順に述べていくが、男の耳には届かなかった

「人魚は人ではないだろう」

枷を解かれた途端に、男が声を張り上げた。

 

漂着するまで、男は筏に括られていた。日が昇り沈み、雨雲が来て去って、乾いて荒れた。十四日間ほど海を漂い、からがら辿り着いた。同行の者たちは乾ききり、或いは波にのまれて絶えた。男も干からびかけていた。水の上にあって、枯れ朽ちてしまうようなことが信じられなかった。尾鰭と足とを替えてくれと迫る人魚を、夜ごと、やみくもに打ち払った。海上で命を落とす、或いは、問答無用で斬首されたいにしえをおもえば、こうして生き延びていられるのは幸せなのかもしれなかった。

明くる日の広間は、御言葉を待つ者たちでひしめいていた。水蛇を模したひじ掛けの椅子に掛けた御姿を人々は拝んだ。男も拝んだ。慈悲深きお裁き様はそれぞれに一つだけ質問を許された。

「刑期は」

「髪次第」

「髪?」

伸ばした髪が地に着けば釈放、と刑吏が申し添えた。

手に掛けたのは人魚であった。そもそも人など殺していない。男は必死で訴えた。絶対に働きたくない男が遊んで暮らすには、人魚の肝が必要だった。決して苦しめたわけではない。斬らなければ、引きずり込まれていた。渦にのまれてしまえば、なせることなど何もない。続く言葉を無視して、お裁き様が刃物を取った。

「なおれ」

仰ぎ見るより先に、太い刃がするどく光った。

額を割られる。

振りかぶるその腕に、身を縮めた。222は床に半身をつけ、跳ねる心臓を必死に宥める。お裁き様は握った刃物で、伏せた男の頭を刈った。冷たいものが頭皮を走り、声にならない叫びに顔が歪んだ。すべてを切り裂く勢いで乱暴に撫でた。撫でられたところからひりついてまだらに熱くなった。頭を動かせぬよう刑吏が肩を抑えて顎をつかんでいた。見上げたお裁き様は、気高くうつくしかった。いっそ首ごと掻き切ってくれと懇願すれば、口枷がねじ込まれた。刑吏が乱暴に肩を引いて、男はまた別の部屋に移された。

 

放られた場所にも灯りはなかった。

じきに慣れると言い捨て、刑吏は去った。闇に立ち、男には天井の高さもわからなかった。扉の隙間からわずかに差し込む白が、ただひとつの手がかりだった。見通しのきかぬ空間に、目を開けていることにどれほどの意味があるのかと両眼を見開いた。あてなく壁を触り、部屋の広さを確かめた。壁に手を沿わせ、足元を二度、三度踏みしめながら、引けた腰を立て直した。暗さには慣れるどころか不安が募った。すり足で、十五歩行かぬうちに突き当たった。目を閉じた方が、ずっと落ち着いていられた。閉じたまま方向を変え、同じだけ歩いた。四方、なのか、角はもっとあるのか、方向なるものがわからない。隙間から漏れ来る光に縋った。指の腹を壁面にあて、確かめた。人魚の半身のざらりにも似て、手を引っ込めた。その指で己の頭を撫でてみれば、剃られたばかりの肌が痛い。

「食事だ」

薄く光が差し、枷が外された。

あてがわれた皿のぼそぼそとしたかたまりを一口かじり、壁にぶつけた。髪が地に着いたら、の言葉を反芻し、暗い部屋にひっくり返った。

お裁き様の髪は地を這っていた。黒く太いものを後ろにまとめ、荒縄のようにぎちと縛ってあった。御髪は結界そのものかもしれなかった。刑吏も皆、長くたっぷり蓄えていた。赤色も茶色も、それぞれがゆうに床につき、脂に光る髪は別の生き物にも見えた。同じだけ長くすることには気が遠くなった。やがて空腹に耐えかねて、這いつくばって食えるものを探した。ざらとした指がやけに塩辛い。

 

逃げ出そうとするたびに連れ戻され、黒の部屋に閉じ込められた。鞭を受け、また枷を嵌められた。脱獄の機を伺うが、しかし、ここから出たところで身を隠せる場所などありはしなかった。船もなく、仲間もなかった。髪の足らぬ者はすぐに見つかり捕まった。逃げおおせたところで、砂浜で日干し、或いは流されて魚の餌にでもなるのが関の山であった。島周辺の波は高く、日に幾度も大きな渦が起きた。渦にかきまぜられた豊穣な海に魚はずんずん育ったが、時に、荒ぶる渦は船も人も沈ませた。

蟻巣を模した地階にはいくつもの部屋があった。最も大きな場所には、巨大装置が据えられていた。回り舞台を思わせる装置は、斜めに組まれた丸太の、一本に四人、都合十六人が棒にしがみついていた。等間隔に配されたのは囚人であった。剥き出しの腕は盛り上がり、踏み込む腿ははちきれそうであった。一押しするたびに、やっとさあの声が響いた。

「222、配置に」

前に進め、押し出せと刑吏が命じ、囚人たちは渾身の力を込め丸太を押した。一抱えもある丸太の櫓は、全体重をかけてようやくわずかに動く。これを終日、課せられた。何のためかと男は問うが誰も答えようとしてはくれない。

「……渦であるよ」

 老いた者がひとり、すれ違いざまにつぶやいた。

「うず?」

振り返ればそれぞれに頭を抑え込まれ、意味を確かめることは出来ない。あらぬ方向に首の曲がった老人は頭髪を欠き、髭をなびかせていた。髭でも良いのかと叫んだ男は抑え込まれた。咎めを受ければ、御前に引きずられよう。塞がれた耳には、なおれと正したお裁き様の御声が蘇る。

 

やっとさあ、やっと、やっと。

 

装置の中央は海に繋がるクランクで、軸には水を送る羽根車が仕掛けてあった。回転する軸によって、車が海水をかき混ぜ、渦をつくる。丸太の巨大な櫓を押し、進む。囚われの者たちは掛け声の他、言葉を交わすこともない。合図を送りあわなければ息が合わず櫓は動かない。人の力で、渦が起こる。鳴門がうなる。囚人たちは、視線と頷きを交わし、櫓を押した。砂地の焼ける熱い日も、地下から凍るような日も、太陽の届かぬ場所で押し続けた。足裏は擦り減り、血がにじんだ。腕ずくも効かない。知恵もわかない。第一、働きたくもない。こき使われるくらいなら死んだ方がましであった。甲高い御声を耳の中に残したまま、剃られた頭に生え始めた髪を撫で、不平を垂れながら麦飯とぬるい汁でながらえてしまう。ここを出るのに必要なのは、計画よりも毛髪の育成であった。念入りに揉み、ほぐしもした。鏡もなく、明かりもない部屋で、日に何回も確かめた。剃られた地肌の、髪に覆われていくさまを指で日々点検し、ふいにあらわれたやわらかな毛に、むかし食ったヤマモモをおもった。血筋の者には毛を持たぬ者もあった。生えてこなくなることは恐ろしく、抜けてしまうことが怖くなった。頭皮を揉み、丈夫そうなところを軽く引き、慌てて戻す。人魚たちも、ずいぶん長い髪をしていた。声もなく、逃げ惑うものを絡めとり、歯の立たぬその髪にいらだち、肉を斬り捨てた。伸ばし続ける我が毛髪を、人魚がむしりにくる夢に怯える。

 

互いの髪の長さを目で確かめて、牽制するような、羨むような視線を投げ合った。肩までの者もあれば、膝にかかる者もあった。長い髪には羨望のまなざしが注がれた。お裁き様がお立ち寄りになり、やっとさあを唱和した。丸太を押す。海水が動く。続けざまに水を移動させると腰が痛み、腕は腫れたようになる。しかし、与えられた役割のあること、果たすことには充足感があった。砂浜に足を焼かれ、肩を水に壊されながら、肉の辛さのあるうちは、時の流れを感じられた。内から熱いものが脈打ち、移り変わる。呻いているうちに、痛みが、境界をなくし、やがて消滅する。

「222」

「……」

飛んだ拳に、頬の内が切れた。

痛みにうずくまり、長く目を閉じているとまた殴られた。声にならなかった。返事を命ぜられても、喉が開かない。黙り続けていると、舌は団子になるものらしい。もつれた舌をほどこうとすれば、他人の声に恋しさが募り、滑り込む罵声にさえ勃起した。食事は、会話もなく挿し込まれ、冷えた汁物に吸いつく唇はさまざまを取りこぼしていく。まるめた麦飯のほかに噛み応えのあるものはめったにない。何を供されてもさして噛まずとも飲めるくらいにやわらかくしてあって、口に含めばすべてが同じ味になる。伸びた髭にこびりつけば、不味い飯のにおいがいつまでも消えない。頼りない肉体で、今日も呼び出しを待ち、櫓を押した。前に、或いは斜め前に、やや前かがみに、櫓を押す者たちの背中を眺めていると、肉の奥が疼く。反応する茎がいじらしく、しなびたそれを片手で握り、もう片方の手に自分の尻を叩いて、掴んだ。甘い呻きを刑吏が取り押さえ、また黒の部屋に追いやられた。頭蓋には、いつからか、お裁き様の御声が響き続けている。やっとさあ、やっとさあ。張り出したものをざらりの壁にすりつけて、海に流してやりたいとおもいながら、いじましく果てた。髪はもうじき尻に届く。男は、今一度あの御声を真正面から浴びたい。打たれてもいい。斬られてもいい。お裁き様が望まれるなら、水を運ぶこと、砂をかくこと、房を補修すること、食事の支度をすること、器を片付けること、屠殺すること、皮を剥ぐこと、穴を掘ること、燃やすこと、洗濯をすること、どのような労働でも引き受けたい。踊れない踊りでも、今なら、死に物狂いで踊ってみせる。尻も振るし、皿だって腹だって回してみせる。海の水も、かき混ぜてやろうとおもう。渦にして、御裁き様に喜んでいただく。これ以上の幸福はない。おもいを滾らせ茎を握り直すが、きらめきは二度も三度も呼び覚ませるものではなかった。樋をまたぎ腰を落とし、ことわりに任せる。尻からひり出すもの、尿道から放たれるもの、何をも生まぬこの体の放出する万事が愛しく、狭く暗い宇宙に再び光を見た気になる。斬られそこねた日をおもい返し、伸び来る髪をいざむしり取る。



阿波しらさぎ文学賞大賞 坂崎かおるさん「渦とコリオリ」、徳島新聞賞幸田羊助さん「聖域」には改めまして、おめでとうございます!

前回に続き、最終候補として残していただけたことが大変うれしく、しかしその、前回(中川マルカ「やくそくの箱」)は、自動改札機無し県として、今回は、流刑地として描きまして、その、全然、県のPR的なあれにはなりづらいっていうか、大丈夫かな、っていうか、選考に携わってくださった方、本作を引き上げてくださった方々の懐の深さに感じ入る次第です。自由に書かせてくださる機会に、また徳島のゆたかな文化の土壌に、改めて感謝申し上げます。

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(御裁き様|Image Creatorで生成)

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