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18才夏の、混乱と成長。

この春から県外で一人暮らしをしている息子くんが、お盆に合わせて帰って来てくれました。
久しぶりに会った息子くんの頭がピンクに!!
「なかなかやるじゃん!」

私も、もう15年以上前、県外の大学に進学し一人暮らしを始めた。
夏休みに入るか入らないかのある日。
下宿に大学から電話があった。
「学校に手紙が届いているので取りに来て下さい」
大学に手紙が届く???いくら考えても意味が分からない。

大学に届いた封書には、私に「中に入った手紙を渡して欲しい」と書いてあった。差出人の名前にうっすら聞き覚えのある名前。。。

手紙を手にして居ても立ってもいられなくなった。
怖くなった。一人で立っていられない。涙が込み上げてくる。

どんな気持ちなのかも自分で自分が分からない。
どんな顔をして良いのかもわからない。
とにかく色々な感情が一度にどっと押し寄せてきて、その感情に溺れた。
じっとしていられない。誰か私を助けて!!

大学で仲良くなった友達の家に泣きながら真っ直ぐ向かう。
一人で下宿には帰れなかった。
彼女がいてくれて本当に良かった。
今でもその時の混乱した自分を思い出すとそう思う。
『混乱する』ってこういうことか。
後にも先にもこんなに混乱したことはない。

差出人は私の産みの母。
私が実家を離れるのをずっと待っていた。
実家を離れたら連絡をしようと待っていた。
幼い私と離れて以来、私を忘れた日はないと。。。

友人宅で暫く気持ちを落ち着けて。でも一人で下宿には戻れず、そのまま実家に向かうバスに飛び乗った。
育ての母である今の母に内緒で、産みの母とやり取りをしてしまったような罪悪感が押し寄せて来て潰されそうになる。
母にこのことを伝えなくては!と思った。けれど電話では話せそうにない。直接話す!!

バスの中。1.2才くらいの子どもと母親の乗客が乗っていた。
可愛いなぁとぼんやり眺めていたら、涙がボロボロ込み上げて来た。
そう。
私が産みの母と離ればなれになったのは、このくらいの年齢。
悲しいなんて思ったことはなかったし、全く記憶もない。
物心ついた時には育ての母に愛情たっぷり可愛がって育ててもらっていた。
大好きな母。
淋しいなんて思ったことは無かった。。。

本当に私は淋しくなかったのか?悲しくなかったのか?

携帯電話なんてなかった当時。
急に帰って来た私に驚く母。
母のいつもの笑顔に気持ちが落ち着いた。
ふわふわして飛んでいきそうだった心に碇が下ろせた。
ほっとした。

産みの母から連絡が来たことを伝えると
「カッコが会いたかったら会えばいいんだよ。ママのことは心配しないでね。遠慮はいらないからね。会いに来てもらったら?」
「ママは十月十日の苦しみや、出産の痛みを経験することなく、カッコを育てられて、こんな幸せなことはないんだよ。ラッキーだったよ」
と、明るく笑顔で話してくれた母。
産みの母について初めて話した時間だった。

実家から下宿に帰って手紙の返事を書いた。
やっぱり涙が溢れる。
これはどんな感情なんだよ!と自分で自分につっこむ。
「私は幸せです。心配しなくて大丈夫です。お元気でいて下さい。」

今、親になり当時のことを振り返ると、彼女に何てひどいことをしたんだろうとも思う。「会いたい会いたい」と恋い焦がれた娘に、突き放された体験。

私の母は結婚もせず私を一生懸命育てあげてくれた。
いつもどんな辛い状況でも、『良いとこ見つけ』が上手で。
心が折れそうな状況でもいつも笑顔で私を励ましてくれた母。
実家で母の笑顔を見た瞬間、ほんの少しでも、母に淋しい思いをさせたくない!と強く感じた。「今は会う時ではない」と自分で決めた。
自分なりに考えた。
産みの母には私の弟がついているけれど、母には私しかいない。

ピンク頭の息子くん。
親元を離れ彼は何を思ったのか?

久しぶりに息子くんの為に、ご馳走を作った。
コロッケ、春巻き、ピザ、チキン南蛮・・・
食べきれない程の量だったのに、「美味しい美味しい」と食べてくれた息子くん。
買い物にも付き合ってくれた。
花火にも付き合ってくれた。
寝ている時にこっそり頭を撫でてみたけれど、嫌がらず気づかないフリをしていてくれた。

あるじを無くした真っ暗な子ども部屋を片付ける。

ピンク頭に挑戦できる息子くん
バス会社に自分で問い合わせの電話をした息子くん
アパートに帰って早々一緒にラーメンを食べていく友達がいる息子くん
大学でもずっと部活を続けて一生懸命打ち込んでいる息子くん

小さい頃から母に育ててもらった『良いところ見つけ』
この夏も息子くんの良いところ(成長)が沢山見つかった!
私も負けずに成長するぞ☆

いつか産みの母にも会えたらいいな・・・。

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