日々、いろいろな人と関わる中で他責にする人、自責で考えられる人がいるなと感じる。
他責にする人は、やりたいと自分から言って新しいことに取り組んだ時、あたかもそのことに取り組まされたことで、家族の時間が取れなくなったとか、もっと大変になったとか言ってきたりする。
(自分で選んだのに。笑)
でも、本当にそうなのかな?
確かに、目の前のことだけを見てみると、やることが増えた分、今まで使っていた時間が減ってしまうのは当たり前。
だから、そのせいで問題が起きたようにとらえてしまう。
ただ、それは準備が足りなかったけではないかな?
もしくは、元々起きていた問題が目に見える形で出てきただけだったりしないかな?
新しいことに取り組んだことで家族の時間が取れなくなった。
では、新しいことに取り組む間、どう対処するか考えて準備した?
それまでは本当に家族が過ごしたい時間を確保できていたの?
恐らく、そういった準備をしていなかったり、それまでもあった問題を見過ごしていただけ、ということが多いのではないかな?
「こうなりたい」という理想の未来があって、現状はその未来とのギャップがある。
そのギャップを埋めるためには、何かを変えなければいけない。
何も変えることなく、理想の未来に行けることはない。
『同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、それを狂気という。』とアインシュタインも言っています。
何かを変えるということは、今まで通りではいかないということ。
それなのに、今までのことは変えずに、理想の未来に行こうとすることは不可能なんです。
冷静に考えればわかることなのに、なぜそのことを素直に受け入れようとせずに、変わったこと、問題が起きたことに対して不満をいい、他責にするのだろう。
問題や解決策は全て自分の中にあるんです。
新しいことに取り組んだことで見えてきた問題は、「お知らせ」。
その「お知らせ」を有難く受け止め、”どうしたらいいかな?”という質問を自分に投げかけよう。
他責の人は”どうしたこうなったんだろう?”と、犯人探しをしていない?
もちろん、原因を明確にすることも必要。
ただ、その前にできることはある。
理想の未来に行きたい?
まずは、どんな未来に行きたいのか、言語化することから始めましょう。
一緒にお話しすることで言語化のお手伝いができるかもしれません。
こちらの公式ラインから1:1でメッセージのやり取りができますので、登録してみてくださいね。
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