新しい生き方があるとして
新元号、新世代、新しい時代・・・
どんどん新しくなり続ける世界に身をおいている私は、このまま進んでいれば「新しい生き方」を始めるのだろうか。
もし仮に、「新しい生き方」がこれからの僕の人生のどこかにあるとして。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ電車に乗って、いつもと同じ場所に行き、いつもと同じ時間に帰る。いつもの日常の延長線上で、新しい生き方は始まるのだろうか。
正直、そうは思えない。
だからと言って何かやりたいことがあるわけでもない。それでも、漠然とした不安と世界の流れに乗っかるだけで、ただそれだけの動機で動き出しても良いのだろうか。
「良いと思う」
彼女のその言葉が、背中を押す。
でもこのままでも良いんじゃない、そういう意見もある。毎日ご飯が食べられて、たまに嬉しいことがあって、突然死ぬ可能性も低い。そこそこ幸せの人生も良いではないかと。
それでもなんとなく、なんとなくだけど、このままでいいのかなーって思ってしまう。
「分かるわーその気持ち」
彼女のその言葉が、胸を軽くする。
それに、ここまで育ててくれた親には感謝している。朝から晩まで働き、子供を大学まで通わせて。ごくごく普通の生活ではあったけれど、それがどれだけ凄いことか、自分も大人になってから身にしみてわかる。
いつになるか分からないけれど、恩返しができたらいいなと思う。
「んんん〜、素敵じゃん」
彼女のその言葉が、目頭を熱くさせる。
そしていつかは結婚して、子供が出来て。今は想像もできないけど、その時が来たら家族中心の生活になるのかもしれない。残業や休日出勤もなくして、一緒にいられる時間を大切にしているかもしれない。
「幸せになんな」
彼女のその言葉が、大切なものに気付かせる。
新しい生き方があるとして。新しい生き方を選ぶには勇気がいる。選んだ生き方が正しいかどうか、わからないから。
「生き方に正解なんてない」
彼女は言う。
彼女はいつでも無邪気な笑顔で、どんな意見にも賛成してくれて、背中を押してくれる。それだけで今日も生きていける。
本当は、新しい生き方なんてどうでもいいのかもしれない。彼女が賛成してくれて、彼女が笑顔でいてくれる。ただそれだけで良いと思える。
これが僕にとっての「あたらしい生き方」だと言っても、彼女は賛成してくれるだろうか?
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