日本とデンマークの教育から考える"しあわせの形"
日本とデンマークの教育から考える"しあわせの形"
というワークショップ&対談に参加。
デンマークに在住の講師お2人が、実際のデンマークの教育や子育てについてお話ししてくださいました。
日本とデンマークの教育の、何が良いか悪いかではなく、何が「違う」のかという視点だったのが、とても素敵でした。
良いか悪いかだけでジャッジしない。
これは何事においても大切なことだと思います。
国が違えば文化や歴史も違う。
同じ国に住んでいても人それぞれ。
良い悪いではなく
まずは違うことを知る。
知って、そこからどうするか。
今、私にできることは何か。
そんなふうに前向きに考えられる会でした。
デンマークでは対話を大切にしていて、とにかく言葉で伝え合うんだそう。
一方的に先生が子どもへ話すのではなく、子どもたちが自分の意見を言える余白を残しておく。
何かが起こった時も、1対1で対話して解決していく。
また、「なぜそれをするのか」を、子どもが質問することを重要視していて、
例えば「天気がいいから、今から外に出て絵を描くよ!」と言われれば「はーい」と黙って従うのではなく、「なぜ外に行くんですか?」「なんのために絵を描くんですか?」というような感じ。
だから、教育者に求められるレベルも高いのだそう。
子どもの「なぜそれをするのか?」に向き合うという点に、「それを家でやるとなると大変...」という意見も。
これに対して講師の方々からの返答は、
「そもそも、なぜ?に答えなければならないという認識ではなく、天気がいいからどうしたい?私は外に出たいけどあなたは?という感覚」だと。
なるほど!!!
また、そもそもデンマークでは、子どもがいるという理由で職場に気をつかうような雰囲気があまりないということも、親の心の余裕という面に関係しているようです。
日本でも、いろんな制度によって、子育てしやすいようにという取り組みは進んでいるものの、この「雰囲気」って制度で簡単にどうにかなることじゃないもんな〜。
デンマークは、小学校なら生徒28人以下に対して先生2人の配置とのこと。
日本の小学校は40人に対して1人。2021年から段階的に35人学級になっているそうですが、それでもまだまだ多い気がするというのが、正直な感想。
私が働いていた幼稚園はマンモス園で、1クラス30人以上に対して先生2人でしたが、子どもの数多かったな〜と思います。
配置基準は満たしているものの、そもそも2人いようが全体に目を向けなければいけないのだから、多いと目が行き届きにくくなるのは当然のこと。
先生2人で子どもを半分に分けて見ているわけではないので、だったらクラスごとわけて1クラス15人を1人で見る方がいい、と私は思ってしまう...。
教師や保育士の人手不足問題は、よく言われていますが、その対策として挙がっているのは「給与を増やすこと」。
確かに、給与が増えたらありがたい。
じゃあ、実際に給与が増えたとして、保育士としてまた復職したいか、と聞かれると、私は「問題はそこだけじゃないんだよなー」と思ってしまう。
たった1年半で、保育の現場を離れたいと思った1番の理由は、給与ではない。
働く上での環境って、お金だけで解決できることではない。
デンマークの話を聞いて「なぜこんなに教育者の質を高くできるんだろう」という疑問が浮かんだのですが、
「お互いさま」や「言葉でのコミュニケーションを重視する」という文化、「知的財産を重視すること」や「どうやったら未来の自分たちの国をよりよくできるかに関心が高いこと」などが影響しているようです。
また、「いい点を取らなきゃ」とか「いい大学にいかなきゃ」みたいな、「競争」がないんだそう。
なんと、デンマークは小学校から大学まで教育費は誰でも無償!
ただし、税金はかなり納めなければならないそうで、社会に出てから返済しているような感じなんだとか。
今日の参加者の方々の感想もとても印象的でした。
ある方は、
「日本でも、アクティブラーニングなど、ただ子どもが聞くだけではない学習スタイルは取り入れられているけど、先生によってはアクティブラーニングを取り入れることが目的になっていて、子どもたちがアクティブに活動するところに焦点が置かれていないと感じた。」とおっしゃっていました。
目的は何なのか?って大事ですよね。
取り入れりゃいいってもんじゃない。
先生によりけりというのは、日本に限った話ではないけれど、
道徳的なことを重視している日本では、全体の空気を読んだり、社会的にどう振る舞うべきか、みたいなところを重んじるところがあるのが、
言葉でのコミュニケーションを大事にしているデンマークとの大きな違いのようです。
また別の方の感想では、
「普段、リハビリの仕事をしていて、高齢者の方と関わることが多く、患者さんのご家族が、もっと旅行に行っとけばよかったとか、もっと話しておけばよかったというような、後悔を話されることが多い。今までチャンスはいくらでもあっただろうに、最期が近いと知ってからそういう後悔を口にされる。でもそれは、幸せとは何かを考えたり話したりする機会が、子どもの頃から少なすぎるからなんじゃないかと思った。もっと、自分にとっての幸せについて話せる機会があるといいなと思う。」とおっしゃっていました。
この感想を聞いて、
『家で死のう!緩和ケア医による「死に方」の教科書』-萬田緑平
という本が頭に浮かびました。
この本は、私が死生観について考えきっかけになった本です。
この本の中の「死に方は生き方だ」という言葉が、ずーっと心に残っています。
死の話ってタブー感があったり、死=怖い、不安、避けたい、悪、みたいなマイナスなイメージが強いけれど、
どう死ぬかはどう生きてきたかの先にあるもので、だったら私は死が暗くて悲しいものになるより、「あぁいい人生だった」と幸せを感じられる、穏やかで温かいものになってほしい、と本を読んだ時に思いました。
今日改めて、日々の積み重ねの大切さを感じました。
最後に、今日参加してみての感想を話す時間があったのですが、
この話を聞いて、それぞれ感じたことがあって、それをそれぞれが声にする時間。
私も自分の意見を聞いてもらえました。
肯定するでも、否定するでもなく、自分の意見をそのまま受け止めてもらえる感覚。
まさにこの機会こそが子どもたちだけに限らず、今の日本でもっと必要な場ではないかと感じました。
「これ言ったら、え?って思われるかな...」とか
「こういうふうに感じるのっておかしいのかな...」とか
そんなことを気にせずに安心して話せる場。
本音を受け止めてもらえた時の安心感ってすごく大きい。
「いろんな考え方や感じ方があっていい」
そのままの自分でいいって感じられる場って、心も体も緩んでいく。
今やっている活動にも、
今日のこの感覚を活かしていきたいな。
そういう機会を増やしていきたいな。
知ったことをどう落とし込んで、どう活かして行動するか。
今日のワークショップのタイトルにもある、"しあわせの形"を考える時間でした。
今日のほかほかの気持ちを忘れないうちに、書き留めました。
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