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楽に生きる②無遠慮でデリカシーのないジジィの発言で学んだこと

タイトルにジジィと少々荒っぽい言葉を使っているので最初に説明。
この記事では、デリカシーがある方を「おじさま」
そうでない方を「ジジィ」と呼ばせていただきます。
ジジィという文字だけ見て「儒教の教えに反している。けしからん!」なんて怒っちゃう立派なあなたは今回スルーしてくださいな。
そして、人を傷つけるようなことを言う人は無遠慮という枠を超えて言葉の暴力という分類になるので、今回はそういったハラスメントジジィは省きます。
そうではなく純粋に無遠慮でデリカシーのないジジィの発言で私が学んだことを書いていきたいと思いますのでお付き合いくださいませ。

ジジィはなんでこんなに失言するのか


私が学んだことの前に、ジジィのことを分析したい。

ジジィはジジィで固まる。ゆえに失言をする。これが私なりの推測だ。

昭和初期のジジィたちは基本、デリカシーに欠けている。
ジジィがまだ少年だったころにデリカシーという概念がなかったせいで、どんな発言が無遠慮でデリカシーがないかが本当にわからないのだ。

努力して身に着けた方は「おじさま」として平成生まれともよい関係が築けているが、ジジィは永遠に息子の嫁や会社の新人と仲良くなれない。
若い人だけでなく、ジジィは自分の妻とも会話ができなくなる。
女の人はわりと自分の娘や友達の娘から素直に「その発言は嫌」とか指摘されるから、自分の常識になかったこともどんどん吸収する。(もちろんそうじゃないババァもいるけど)
一方ジジィは、子育てに参加せず、ずっと会社で過ごしちゃったもんだから娘も指摘してくれない。
ジジィになった夫から発せられるデリカシーのない発言なんて誰が聞きたいだろうか。妻たちが夫に対して塩対応する姿が目に浮かぶ。
会社を退職しても家庭で会話が通じる相手がいないもんだから、結局ジジィ同士でつるんで麻雀でもしながら「同じ常識を持つもの」だけで固まり、ガラパゴス化していくのだ。

政治家の失言も同じ原理

政治家もきっと同じ感じだと踏んでいる。
政界にはジジィばっかいるからジジィとしかしゃべらないし、変にパワーもっちゃてるから「それ無遠慮ですよ」なんて誰も教えてくれなくて、ますますジジィがジジィになる。
そしてジジィ界の常識でテレビの前でもしゃべっちゃうもんだから、それが世間では失言扱いになるのだ。
でも結局ジジィ同士で「何がいけないんでしょうねぇ」「本当にねぇ」なんて言ってすぐ傷のなめ合いしちゃうから全然反省せず、同じことが繰り返されるのだろう。
政治家の失言はジジィのなれ合いから生まれる。間違いない。

『知恵遅れだと思って育てろ』


私の子供は2月に生まれた。
新生児期間は実家に里帰りし、慣れない赤ちゃんのお世話に必死だった。
とにかく新生児は儚い。自分が油断したらすぐ死ぬんじゃないかと本気で思っていた。
さらには慣れない育児でぎっくり腰になったり乳腺炎になったりと踏んだり蹴ったり。気力で乗り切る日々だった。
そんな中、両親の存在は頼もしかった。
全面バックアップしてくれる母。
どんだけ夜中に泣いてもそれを喜ぶ父。
孫へそそぐ愛情は、そのまま娘である私へと向けられているように感じ、睡眠不足でも満たされた日々だった。
そしてとうとう実家を出る日。
父が運転する車の中で信じられないこと言葉を聞く事になる。

『知恵遅れだと思って育てないかんぞ。』

聞いた瞬間「???」
頭の中がパニックになった。
平均分娩時間、平均身長、平均体重で生まれたかわいい赤ちゃん。
どこに問題があるの?どういう事??
父は運転していて気が付かない。言葉を続ける。

『早生まれで、1周遅れと同じだでな。』

早生まれだから何?何なの??
我が子を侮辱されたと感じて猛烈な怒りがわいてくる。
しかし、父の毎日泣いている赤ちゃんを見ながら「よし、もっと泣いてやれ!」と言っていたニコニコ顔が頭に浮かぶ。
父が赤ちゃんを傷つけるようなことをいうわけがない。頭をフル回転させる。

『小学生まではなんもできん子と思っとかんと』

ここでやっとわかった。父が本当に言いたかったこと。
それは

『早生まれだと4月のお誕生日の子と比べたら体も小さい。できることも遅く感じるかもしれない。でもそんなことを気にしていてはいけないよ。人と比べず、ゆっくり子育てしなさい。』

ということだったのだ!!!

うちの父はジジィだった。
ジジィだからこそ、大切なメッセージなのに何のためらいもなくジジィ語で娘に話しかけてしまった。
下手するともう二度と孫に会えなかったかもしれないほどの無遠慮さとデリカシーのなさだ。
父がジジィだったせいで、父の愛情が伝わらなかったかもしれない。
そう考えると、なんて恐ろしいのだろう。

デリカシーのない発言のその奥


ジジィの発言を聞くと
「なぜこんなこと言われなきゃいけないんだ」
「いったい何を考えているんだ」
と不快な気持ちになり、二度とこのジジィと関わりたくないと思うだろう。
でも、そのとげとげした言葉の奥に、相手の本当に気持ちが紛れ込んでいるかもしれない。

父という名のジジィから渡された超無遠慮でデリカシーのない発言。
額面通りに受け取っていたら、私は父の愛情に気が付かなかったかもしれない。

この一件以来、デリカシーのない言葉の、その奥に潜んでいるジジィたちの「本当に伝えたいこと」を探すようにした。

結婚すると伝えたら「これでせっせと働かなくて済むね」と言ったジジィ。
電車のホームで泣く子を見て「そんなに泣いていかん」と一喝するジジィ。
子どもの高熱で病院にいったら「裸にして涼しい部屋で転がしとけばいい」と薬を出さなかったジジィ。

ジジィたちの言葉の真意は

「体が弱いし、これからは無理せず旦那さんに甘えられるね。」
「そんなにわがまま言って、お母さんが困ってるよ。」
「子供はよく熱を出すけど、心配しなくていいよ。」

どのジジィも、本当は優しいのだ。
なのに、相手を怒らせてしまう言葉しか出てこない。
だって、ジジィだから・・・。

ジジィの発言から考えるヨガ哲学


許せない発言の背景を見る。ジジィから学んだことだ。
これは、ヨガの経典に出てくる「クシャマー(許容する、許す)」にかなり通じるので最後に説明したい。
単純にジジィを許せ、という話ではない。

ジジィも私の世界の一部にいるのだから、排除するのではなく許容する。
受け入れて、自分の捉え方を変えていく。
そうすることで自分が自由になれるという考え方だ。

あなたの周りにもジジィがたくさんいるでしょう。
最初に書いた通り、あなたを傷つけるハラスメントジジィは徹底的に排除したほうがいいが、純粋なジジィはクシャマーの精神で、言葉の奥を探してみてほしい。
きっとイライラが半減するはずだ。
あなたが楽に、そして自由に生きるために、ジジィをクシャマーしよう。



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