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母に謝ってくれたお医者さん

母の介護と旅立ち、そして向こうの世界とこちらの世界の架け橋㉒

家の近くを歩いていると、いつの間にか風景が変わっていることがあります。
母が長年お世話になっていた街のお医者さんがあったところも変わっていました。

その先生は母とあまり年齢が変わらないくらいの方で、数年前に引退され、自宅兼病院だったところから引っ越しされたようです。

母が背骨の圧迫骨折で近所の整形外科に入院した時に、退院したら内科を受診してくださいと言われ、近所で見つけた街のお医者さんです。

母は過去の経験からひどい病院嫌いになっていたので(整形外科にはなんとか通ってくれてましたけど)、ちゃんと行ってくれるのか心配していました。

でも通い始めたらその心配は一気に解消されました。

その年配の先生は本当に穏やかな優しい人でした。
診察室に入るといつものんびりとした口調で、どうですか?と言って母や私の話をちゃんと聴いてくれました。
どこか遠出をした話などすると、それは良かったですねと母の話に付き合ってくれたりするので、いつの間にか先生と会うことが楽しみになっていたようです。

受付の方も平均年齢が高めで、いつも細やかな気配りで助けてくれました。
母がお気に入りの服を着ていた時など、今日の服すごく素敵ですねとか言って下さったりするので、母は受付の人に会うのもすごく楽しみだったようです。

母の状態で気になる症状が出た時に電話すると、それに合わせた薬を用意してくれて、仕事終わりで何時になってもいいから取にいらっしゃいと言ってくれたり、血液検査の結果が良くなると、いいですね~薬も減らしましょうと言ってくださったり、良くない項目には悪くはなってなくて変わらずだから良しとしましょう、などと言って母を安心させてくれたりと、いつも親身になってくれました。

近所の人達にも、あの先生はいつも丁寧だし、薬も本当に少なくできるように考えてくれると評判でした。

その先生について一番心に残っていること、それは先生が母に謝ってくれたことです。

ある時母の呼吸の仕方が少し違っていることに気が付きました。
本人に聞いても特に何も言わないのですが、診察に行くと話をする前に先生もすぐに気が付いて下さってレントゲン検査をしてくれました。
そして検査で肺の機能が落ちて、呼吸がしずらい状況になっていることがわかったんです。
母は若いころ肺の病気にかかったことがあり、その影響もあったようです。

その時の私は結果を聞いて、早く治療してもらわなくちゃと焦ってしまっていました。
どこか大きな病院ですぐに治療すれば良くなりますか?
入院とかした方がいいですか?
そんなことを必死で質問していたことを覚えています。

そんな私に先生は普段とは違った厳しい表情で、
お母さんは入院や大きな病院での検査や治療はもうしたくないって言ってたんですよ。
それでもどうしても大きな病院での治療を希望されるのだったら、紹介状は書きますが、まずはお母さんの気持ちが大切です。
と、言われたんです。

先生は通い始めた頃の母の話をしっかりと覚えていてくださったんです。

その言葉にハッとさせられて、ようやく冷静になれました。

そうだった、これは私の事じゃなくて母のことだった。
決めるのは母本人だ。
先生の言葉で大事なことを思い出せたんです。
もちろん母も、もう検査も入院も嫌だと。

私が落ち着きを取り戻せた様子を見てか、先生は母の病状と今の肺の状態を回復させることは難しいことなどをきちんと説明してくれました。

肺の機能が落ちてるってことは、息苦しくてあまり動けなくなってしまうってこと・・・
話しを聞いて再び不安になっている私に、先生はまたいつものように優しい表情で言ってくれました。

大丈夫です。
お母さんが今までと変わらない生活ができるようにしますから。

そして母の方に椅子を近付けて、真っすぐに母の顔を見ながら話しかけてくれました。

ごめんね、肺の状態が良くないことに早く気が付いてあげられなくて。
すぐに息苦しさをなくして、安心して生活できるようにしますね。

先生は母に謝ってくれたのです。
一番身近にいた私でさえ全く気が付かなかったのに・・・

この先生に出会えて本当に良かったと、あらためてそう思いました。
いつだって母の話をちゃんと聴いて、いつだって安心できるように親身になって考えてくださるこの先生に出会わせていただけた幸運に心から感謝しました。

その後先生はすぐに在宅酸素の手配をしてくれました。
鼻にチューブを付けることにうっとおしさや抵抗感があったらどうしようかと心配していましたが、意外にも母はすぐに慣れてくれたようでした。
寝ている時も気にならないし、外出の際に酸素ボンベのカートを引っ張って歩くことも気にならないと言うので一安心。
そしていつの間にか、酸素チューブは自分の身体の一部だし、酸素ボンベは大事なお出かけのお供だとまで言ってくれるようになりました。

酸素を付けてからの母はびっくりするくらい歩けるようになり、楽しみも増えたようです。
でも、それまでは動く時に息苦しさがあったけど言わなかったんだということにも気が付き、母に申し訳なさでいっぱいになりました。

とにかく先生のおかげで母の楽しみも寿命も増えたのです。

今も先生への感謝は言葉では言い表せないくらいです。

先生、本当に本当にありがとうございました。
どうかいつまでもお元気でいてください。









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