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まめこ
2024年1月31日 15:07
結局祖母は間に合わなかった。連絡付かずで父が亡くなったあと叔母に祖母のいる家まで連れていってもらった。朝方でやけに静かだった。隠してあった勝手口の鍵を手に取り鍵を開けた。落ち着いているような焦っているような変な感情だった。「おばあちゃん、…お父さんが死んじゃった…」祖母は慌てるふうもなく、出掛ける準備をし出した。「夢見とった。○○(父の名)が遠くに行く
2024年1月24日 17:01
…なんか騒がしい…パタパタパタ、と…誰かが走ってる…?「…どうしよう…、お父さん…」消え入りそうな震えた母の声で一気に覚醒した。ここは病室。私は父の病室で寝ていた。「〇〇さーん!」カチャカチャとなにやら音が聞こえる中女の人がうちの苗字を呼ぶ。時々、鼻をすする音がする。お父さんが危ないんだ、と感じた。なぜかその時、私は寝たふりを続けた。そして、ひたす
2024年1月19日 13:39
私が中学1年生の秋。その頃父はもう以前の父ではなかった。釣りをすることもパチンコに行くことも麻雀をすることも旅行に行くことも、それどころか会話をする事も笑い合うこともできなかった。病院の個室のベッドの上で天井を見つめるか寝ていることがほとんどだった。急にそうなったわけではない。徐々に、徐々にそうなっていった。癌が脳に進出してきたためだった。基
2024年1月16日 21:55
あれは私が幼稚園年長の頃の2月。もしかしたら私の記憶違いかもしれないけど、寒い、たくさんの雪があったそんな時だった。父は癌だと診断された。幼稚園児の私が癌というもを理解できてるわけもなく、でもお父さんは病気なんだと言う事は理解出来ていたと思う。当時、父は33才。母は27才だった。その頃、たぶんまだ癌は若い人がなるのは稀だった。「まだ若いのに」「ムスメち
2024年1月16日 07:56
私の父は40才でこの世を去った。私が13才になる手前。怒ったら怖いけど、私に甘々な優しい父だった。釣りが好きで船を持っていて何度か私も乗せて貰った。パチンコが好きで私も連れて行かれ店の周りで1人で遊んでいた記憶がある。今なら考えられないけど。麻雀も好きだった。行きつけの雀荘もあってなんとなくそこに行った記憶もある。動物好きな父はなんでも拾ってきてしま