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大人になって手放したもの、手に入れたもの

夜が肌寒くなってきたので、お風呂を沸かすようになった。
夏場はシャワーだけだったから、何ヶ月ぶりの湯船。
じわーっと温かさが染みてくる。
お湯の温かさが染みるのと入れ替わるように
体中の疲れが抜けていくような気がする。
この心地よさは何物にも代え難い。

毎年、秋が訪れる頃に繰り返されるこの体験。
その時必ず思い出す物語がある。
子どもの頃に読んだ絵本に登場するのは
王様と身分の低い男。
前後の話はすっかり忘れてしまったが、
それまで体を洗うことしか知らなかった王様に
男が湯船の存在を教える。
王様はすっかり気に入って・・・という話だった。

子どもの頃は「お風呂に入ったくらいで・・・」と思っていたが、
大人になるにつれて、熱いお湯に浸かる心地よさを知ると
王様の気持ちが理解できるようになった。

大人になって知った感覚、なんて山のようにある。
お寿司におけるわさびの重要性、とか、
苦いだけじゃないコーヒーの奥深い香りの世界、とか。
メロディーばかり聴いていた音楽は、いつの間にか
詞の世界観を重要視するようになっていたし、
悲しい時以外にも涙が流れることを知った。

でも、逆はどうなんだろう。

子どもの頃には持っていて当たり前だった感覚が
大人になるにつれてどんどん失われているんじゃないか、
という不安は確かにあって、時々顔をのぞかせる。

例えば、
きれいな落ち葉を見つけると拾い集めてしまうことや、
空に浮かぶ真っ白な雲に乗ったらどこまで行けるんだろう、と思うこと、
土の入った瓶にたくさんのアリを入れたら、
本で見たようなアリの巣を作ってくれる、と信じてしまうこと、
暗くなるまで遊んで、ふと我に返った時にものすごく不安になったこと、
遠くから母の呼ぶ声がして、夕飯の匂いのする我が家に帰り着いた時の
なんとも言えない安堵感や、
ちょっと夜更かししたくて頑張るのにどうしても眠気に勝てない夜のこと。

全部、今でも頭では理解できるけど、あの頃とは違う。
もう、同じ感覚を手に入れることはできないのだろう。

大人になって手に入れたことと失ったこと、
どっちが良くてどっちが悪い、とは言えないと思う。
でも、私はやっぱりどっちも持っていたかったな、と思ってしまう。

どっちも手にしてしまったら、どっちも中途半端になったのかな。
それでもいいから、やっぱりどっちも持ちたかった。

どっちも持ってる自分を見てみたかった。

と毎年、熱い湯船に浸かりながら思う。






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