マルセイ事件の記録より|酒の短編07
「……ほんの出来心だったんです。酔っ払っていたのであまり覚えていませんが、まさかあんなことになっていたなんて」
赤い目をした男は視線を合わせることなく、小さな声で犯行を認めた。
「眠れなかったから、寝酒に一杯ウィスキーを飲ろうとしただけなんです。本当です。妻が隣で気持ち良さそうに寝ていましたし、スマホを見てたら起こしてしまうと思ったので。布団を抜け出したのは、たぶん、午前0時頃だったんじゃないでしょうか」
罪の意識からか、それまでの沈黙が嘘のように供述を始める。
「もともと一杯で終わる予定でした。けれど思いのほかウィスキーが美味しくて、ブラックニッカ、父親が晩酌に飲んでいたお酒です。もうすぐ父の日ですし、きっと懐かしい気持ちもあったんだと思います。二杯、三杯と飲んでいるうちに、何だか口寂しくなってきて」
視線を右上にずらし話す男、嘘をついている可能性もある。
「そんな時に冷蔵庫を開けたら、あれがあったんです。マルセイバターサンド。ええ、彼女が買ってきたものです。近所のサミットストアで北海道フェアをやっていたらしく、5個入りでした。最後の一箱だったと聞いています」
話しているうちに記憶が蘇ってきたのか、どんどん饒舌になっていく。
「やっぱりレーズンバターとウィスキーの組合せは最高ですね。最初はハイボールでした。だけどロックの方が合うなと思って。夕飯が早い時間だったからお腹も空いていましたし、最近太ってきたからあんまりお酒も、甘いものも食べさせてもらえなくて、ストレスが溜まっていたのかもしれません」
男はうっとりした眼差しで、身勝手な動機とその残忍な手口を語りだした。
「一口食べたらもう、ダメでした。頭ではいけないことだと分かっているのに手が止まらなくて。何度もやめようと、これで最後にしようと思ったんですが、気づいたら……」
「それで、私の買ってきたバターサンドを全部食べたという訳だ」
「はい」
「しかもグラスもゴミも片付けず、そのままソファで寝てしまったと」
「はい」
「もしかして歯も磨いてない?」
「はい」
「有罪です」
記録では、男はその場で逮捕され、家庭内裁判で全家事一週間の判決を言い渡されたそうである。なお民事では、有楽町にある北海道どさんこプラザにて「マルセイバターサンド(10個入り)」と「ストロベリーチョコ」を買ってくることで示談が成立したとのことであった。
家庭内の事件、その多くは食べ物が原因である。
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今回はこちら、ピリカさんの企画に参加させて頂きました。
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