意味が分かると怖い話 inガラスの仮面

「鬼滅の刃」最終回を見届けてしまってハマる漫画を失った娘のために、子供の頃から集めていて、実家にしまったままになっていた「ガラスの仮面」40巻分を久しぶりに引っ張り出してきました(続刊も集めていたのですが、あまりに話が進まな過ぎてどうでもよくなった)。

今まで幾度となく読み返してきては毎回止まらなくなるという経験をし、今現在もその真っ最中なのですが年齢を経て新しい視点をいつの間にか得ていたのか、子供時代には感じえなかった印象を持っていました。


「通り雨」。

原作を読んだ方ならご承知の通り、主人公マヤが挑戦した一人芝居のパントマイム劇です。劇中ではこの物語、「平凡な物語」「つまらないホームドラマ」とマヤ以外の登場人物からさんざんにディスられるのですがマヤの熱演によりドラマチックかつ感動的な舞台となるものの、マヤの名演がなくとも話のプロットだけで「全然平凡な物語じゃない」のです。

あらすじはこんな感じ。

温かい家庭に暮らす平凡な高校生の少女が、ある時父親の不倫現場を目撃してしまい、家族の幸せを守るために不倫相手の女性のもとへ乗り込んでいき、父親と家族への愛を涙ながらに訴えて父親のことを諦めさせる。そして、「今までのことは通り雨だったのよ、これで何もかも元通り」と、いつもと変わらぬ顔で帰宅して、終わり。

いや普通に平凡なシチュエーションじゃないからこれ。

ですがそれ以前に、この話は全て丸く収まってハッピーエンドの体をなしていますが、大人になった今これを読んだ私はその裏に潜む本当の地獄を感じてひそかに震えたのでした。


まず主人公の女の子(佐藤ひろみ)は17歳の高校生。家族は両親ときょうだい2人。学校でも友達に囲まれて幸せな毎日。年相応のふっつーの子です。

その普通の子が、「父親の不倫現場」に居合わせてしまう怖さ。

それまでさんざん「幸せな家庭の姿」を描写しまくっていたから衝撃が半端ない。相手は同じ会社のOL。それも4年前から関係を持っていたこと、目撃した現場で話し合われていたのが「家族を捨てて私と一緒になって」的な内容の上、父親がそれに応じているという、一番誰にも知られたくない状況を一番知られたくない相手であろう実の子供が物陰から見ているという鬼シチュエーション。ていうか子供の通学圏内でそういう話するなよ…。

当然、佐藤ひろみの受けた衝撃がすさまじく、かといって家族の誰にもこんな話はできず、悩みに悩んだ結果彼女のとった行動は「不倫相手の女性の家に直接乗り込む」ことで、劇中劇としてもこのシーンが最大のクライマックスとして描かれています。

必死の訴えが通じたのか相手の女性は「決心がついた。地元に戻ってお見合いをする。あなたのお父さんとはもう別れる」と佐藤ひろみに約束し、それを聞いたひろみもようやく胸をなでおろして「今までのことはきっと通り雨みたいなもの。お父さんの心の中にも通り雨が降ったのよ」と一人納得します。って4年降り続いた通り雨ですが。それもう通り雨とは言わず天変地異。

実際、一見幸せな家庭である佐藤家にとって見えない形の天変地異は4年も前に起きてるわけですよね。

ストーリーは佐藤ひろみの独白かつ視点のみで進んでいるので、悪いのはとにかく相手の女性。自分の父親にも相当落ち度があるなんて17歳の彼女には思いもつかないわけです。4年の恋愛期間は決して短くないし、しかも不倫。自分にも家族がいながら相手の時間を4年間も不毛なものにしてきた男ですよ。

しかし佐藤ひろみには父親のとったそんな無責任な行動の重さまではわからない。ただただ、愛する家族と父親を失うことのみを恐れています。

さらに恐ろしいのは相手の女性の「お父さんと別れて地元に帰る」という発言を無邪気に信じ込んでしまうところでした。

ついさっきまで「家族と別れて自分を選んで欲しい」と詰め寄っていた女性ですよ。しかも佐藤ひろみよりおそらく10歳くらいは年上でしょう。4年間も妻子ある男性との関係を続けていた強かな女性にして人生経験も上をいく相手です。本当に改心して清算する決意を固めてくれてたらいいのですが、その場しのぎの言い逃れで体よくかわされていたとしたら佐藤ひろみの幼さと純粋さは実はいとも簡単に無碍にされているという可能性もあり、別の意味での哀れさすら感じました。そんな大事なこと、一筆書かせてハンコの一つも押させないとただの口約束で終わっちゃうでしょうが。ああでも目の前のことでいっぱいいっぱいの17歳にそこまで気が回らないよなぁ…

にもかかわらず佐藤ひろみの哀しさはここにとどまらず、エンディングのシーンでえげつないほど追い打ちをかけてきます。

一連の事件を解決できたと思っている彼女は今までのことは「通り雨」として水に流し、平凡だけど穏やかな今まで通りの幸せが戻ってきたと信じて帰宅し、この物語は幕を閉じます。これだけ見えれば確かにハッピーエンドと言えるでしょう。

ですが彼女は17歳にして「父親が4年間不倫し、挙句自分たちを捨てる寸前だった」という重すぎる事実を墓まで持っていかねばならなくなったのです。物語での彼女は事件を解決できた達成感で清々しさをたたえた表情でしたが、ひろみはこの後父親と一体どんな関係を作っていくのでしょうか。考えただけで暗澹たる気持ちになってきます。

そもそも、父親はちゃんと家に帰ってきたのでしょうか。もしかしたら帰ってこない可能性もあるわけです。

おそらく今後、彼女が抱えた秘密の重さがボディブローのようにひろみの心にのしかかっていくのではないでしょうか。普段は何事もなく、すべて忘れたつもりでいてもふとしたきっかけなどで脳裏をよぎる…そんな体験を繰り返すうちに、決して知られたくない秘密を抱えた父子はいつしか互いの間に「何かはわからないけど二度と越えられない溝」の存在があることに気が付いて、ゆっくりと、しかし確実に距離は離れていってしまいそうな気がします。精神的にも物理的にも。

もう、今までの平和だった佐藤家は過去のものになってしまったのです。終わりの始まりを迎えてしまったことに全く気が付いていない佐藤ひろみのラストの屈託ない「ただいまー!」のセリフが、ひどく哀しく聞こえたのは私だけでしょうか。


この物語はあくまで「ガラスの仮面」という作品内で語られる劇中劇ですから、物語の細部において言及されることはありません。ですが、作者の美中すずえ先生は「劇中劇のネタにストックしておいた漫画のプロットをずいぶん使った」と発言しておられることから「通り雨」ももしかしたら一つの独立した作品として発表するつもりだったのかもしれません。

もしそうだとしたらこの作品、ハッピーエンドとして締められたのでしょうか。私の考えですが、美内先生はホラー作品にも強い方なので、私が今回「通り雨」で感じたように「一見平和にまとまったように見えて、実は釈然としないモヤモヤした怖さを残したまま終わる心理ホラー」として描かれた作品だったのかもしれません。












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