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これを読んだら月澄狸が嫌いになるであろう記事

なんて自意識過剰で痛々しいタイトルでしょう。
それはさておき、皆様は嫌われるの怖い派ですか? 怖くない派ですか? 私はめちゃくちゃ怖いです。

よく知らない人から「前から貴方のことチラホラ見かけていました。正直言って、視界に入る度不愉快です。嫌いです」って言われるのも大打撃ですが、特に「一旦仲良くなった人から嫌われる」ことがものすごく怖いです。

そんな私の信念(?)はコレ。

「あとで嫌われるくらいなら最初に嫌われたい」

いや、できれば初対面でも何でも嫌われたくないし、嫌われるくらいなら人と出会いたくないんですが(どネガティブ)、それでいて人恋しいからたちが悪いのです。

しばらく無難な投稿を続けていて、本気の投稿をしたらいいね数やフォロワー様が減ることも多かった。

四六時中、完璧に自分の理想の人を演じて、それで嫌われるならしょうがないですが、私はすごく性格が悪いので、誰かを疲弊させたかな……とか思うと申し訳ないです。「こういう人は苦手」「苦手な人が……」みたいな話を見聞きする度に、全部自分のことを言われているような気がして、心臓バクバクです。

さて、ここまでの文章で既に十分ウザいと思うのですが、これはまだ序の口(?)です。ここからが本番です。

ってわけでリンクを貼りつつ、ウザ記事を紹介していきます。

▲noteに来てからわりと初めの方で書いた記事。私のワガママさ、感じ悪さがけっこう表れています。

私に親切にしてくださる人間、多くは「虫が苦手だけど、こちらを理解しようと歩み寄ってくださる」方だと思います。
なのに私は随分と、「理解を示してくれる」優しさを踏みにじってきたのではないか。

現在もそれが治っていないので、もうちょっと温かい物言いができないかと、考えてみたいところです。

▲考え出すと迷いが出る、私の課題的なテーマです。

誰も追い込みたくない、差別したくない、そんな理想を掲げた偽善者でしたが、年々心が薄汚れていきます。気持ちが変わった部分と変わっていない部分が混在するため、矛盾した言動もかなり多くなってしまいました。

対処と理解。受け入れと拒絶。何が健全な範囲か、何がまずいのか、分からないままに被害者意識に閉じこもり、怒りを抱えています。

話が通じそうな人の言葉にほどカチンときて、論破しようとする。話が通じない人には元々、話す気もない。会話できるとも思っていない。私の悪い癖です。話通じない人を恨んでいるのに、話通じる人に怒りをぶつけるなんて、最低な八つ当たり。

自分が被害者だと思っているうちは、自分の加害をすべて正当化する、あるいは自分のことはすべて目を瞑る。白黒ではなく……まだお互い至らないのだと、筋の通った穏やかなグレーになりたいです。
と、色でイメージ付けするのも、人種差別問題的に危うい感覚であるという。

▲先ほどと同じく、こちらも私が「カッとなる」ゾーンに陥ってしまいやすい、課題です。

生命への否定。私の主張や方向性は突き詰めると、自殺を促すような、まずい表現になってしまう気がします。しかし、生きている人が追い詰められて死ぬ、それは嫌なのです。

よだかの星に憧れる。けれど、我が身を子どもに差し出して死ぬ生き物たちが苦手。

▲初めてゴキブリ成虫と触れ合った感動を書き残した記事。

私の考え方や言動は、矛盾・過ち・無理解だらけだと思いますが、「すべての存在と共存したい」という理屈だけは、絶対間違っていないと思います。

魂の元は全部一緒だというのに、愛する人やペットがゴキブリに生まれ変わったら殺すんでしょうか。肉体なんて化けの皮、生きて死ぬ度コロコロ変わる、そんなものの為に愛を受けたり嫌われたり。永遠の愛など、信じらたものではありません。

良いものに生まれれば可愛がられ、運が悪ければ殺される、この構図に一石投じる表現を、大好物のフライドチキンかじりながら考えます。なぜ悪い人が存在するのか? なぜ動物が人を襲うのか? なぜ戦争するのか? フライドチキン食べてるうちは分からないかもしれませんね。

以上、「これを読んだら月澄狸が嫌いになるであろう記事」でした。

こんなものを書いて申し訳ないとは思うのですが、訳の分からないところで怒りがちな自分のポイントを理解しないと、感情をコントロールできない気がしました……かもしれません。

こういう話が苦手だな、このパターンに陥りがちだな、そういう自分の癖を分かっていれば、カッとなっても、同時に冷静であれるかもしれません。いわゆる「地雷」ポイントの見極めですね。

「地雷」とか「飯テロ」といった言葉、言い得て妙だとは思うのですが、本物の地雷やテロに苦しんだ人のことを思うと、軽んじているようでちょっと……。
「それマジ原爆だわ~」とか言われたらギョッとすると思うのですが、人ってどうも、自分たちがデリケートになっている部分に関してはギャンギャン指摘し、自分たちが無自覚なことに対しては「それが何か?」と開き直りますね。だからやはり、今見ている世界はどこかを基盤とした感性に偏っている、日本人だとか女性だとかライフワークだとか、それぞれの個性を通じた「こちら側」の密室から出られないのだと思います。

けれどそんな中で。

noteってすごいですよね。深くて温かいけれど、それぞれみんな、自分の世界を見極め、取捨選択しようとしている。エナジーバンパイアから離れようとしている。消耗するがままの世界にいないために。何か、そのような流れを感じます。時間もエネルギーも、現段階においては無限じゃないから、ドブにエネルギーを流し続けるような人間関係では、埒が明かないのですよね。

だから私は、いつ誰から嫌われても、文句言えないと思います。むしろ今まで本当にありがとうございましたと、感謝すべき。
なんで嫌われたかは分からなくても、嫌われるだけのことは十分にやった。

今日こそ嫌われたかもしれない、とドンヨリします。あれが苦手これが苦手と聞くと、五寸釘を打たれる藁人形の気分。打たれ弱いのです。でも自分が打っているものに関しては無意識、平気。だから私は誰かを傷つけ、疲弊させる。

こんな私のひどい記事にいただいた、真剣なコメントは宝物。時々思い返したり読み返したり。
……重いですね。けど本当にありがたかったです。

人間、嫌われたときは嫌われたとき。別に誰も悪くないと思うのです。
作品と同じ。悪い作品なんてない。下手とか上手とか、正しい正しくないとか、人間が勝手に言っているだけ。好みか、好みじゃないか。それだけです。そしてそこに根拠も理由もない。あれが好きこれが苦手なんて理屈、一秒でひっくり返る(私の場合)。

作品に「思っていた展開と違った」とガッカリされたところで、しょうがないです。良いのです。人も一緒。

嫌われても、距離を取られても、自分は相手が好きだった。ならば相手から嫌われても、こっちは好きのままで良いような。

……嫌われるだの嫌われただの、異常に気にするのも被害妄想だとは思いますが、うっすら自覚のある欠点が多すぎ、また人類の苦手アピールを毎日見聞きするもので、人間界の喧騒にビビっているのです。

「愛さなければ 淋しさなんて知らずに過ぎて行くのに」的な感じで、話したり読んだり関わらなければ、嫌われるのどうのなんて、気づきもしなかったのに、ですね。

こんなときは人間関係ほどほどにして、生き物でも探しに行きましょ。

みんな嫌われたところで死にやしません。生きてて良いのです。



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