見出し画像

〝らしさ〟なんて〝自分らしさ〟だけでいい

学校や会社に通うとか恋愛するとか、人が当たり前にしていることが苦手な人生だ。当たり前ができないと、自己肯定感も低くなる。〝やらない〟のと〝できない〟はまったく別物だからね。

「なぜできないんだろう?」というのは私の人生の課題で、最近やっと言語化できるようになった。気がする。

要するに〝〇〇らしさ〟を強要される環境が苦痛なのだ。

学校だと無意味な校則を守り、先生の言うことを聞く〝学生らしさ〟が正解。
校則違反になる丈のスカートをはき、先生に「その校則がおかしい」と言ってしまう私は〝非常識で悪い生徒〟だと罵られ、「先生の前でだけスカート折ってごまかしちゃえばいいんだよ」と知恵の働く子が〝いい学生〟となる。その子も先生のことなんて内心バカにしてるのに。表向きいい子にしてればそれでいいという価値観。

会社のような組織でも、なんとなくの〝らしさ〟が求められる。後輩らしさ、先輩らしさ、明るくおバカな子らしさ、しっかり者らしさ。1度そのイメージがつくと、悪気なくその役割を求められ続け、いつもと違うと「らしくないね」と言われてしまう。

恋愛で求められるのは〝彼女らしさ〟〝彼氏らしさ〟。なんのすり合わせもしてないのに、付き合ったその日から「付き合ってるならこれくらいしてくれるよね」「付き合ってるなら連絡の頻度はこれくらいだよね」という誰が決めたかわからない〝らしさ〟に惑わされる。

家事全般は自分の役目だと気を張る彼女も、経済的に支えていくべきだと背負う彼氏も、それがお互い話し合って決めたことならステキなことだけど、世の中一般的にそうだから、というだけで縛られるのは不幸でしかない。2人の付き合い方は2人で一から作っていきたいのに。探り合うんじゃなくて、向かい合って、笑いながら話し合って。

そんなの気にせず型破りでいられればいいんだろうけど、好きな人が求める〝らしさ〟にはついつい飲まれてしまう。喜んでもらいたいし、好かれたい。嫌われたくない。
そしてその内、自分じゃないいびつな誰かになってしまって、その気持ち悪さから逃げだすことになる。

〝らしさ〟なんて、自分らしさだけでいい。お互いが自分の〝らしさ〟を押し付けず、心地よくいられる関係性、距離感を見つけていけたらいい。

そして、もやもやしてることは言葉で伝える。それがいちばん大事。
伝わった言葉の数だけ、目の前の人との関係性はよくなっていくと信じて。

青臭い話だけど、平成最後の日に、これまでの反省を込めて。


最後まで読んでくれてありがとうございます! 夏は引きこもりたい派です。冬だって引きこもりたい派です。