ミッドライフ・クライシスについて考える

性別で区切られた世の中というものは、非常に生きにくいと思う。性のステレオタイプがまさしくそうだ。男だからこうである、女だからこう考えるべきだ、というものは全く持って意味を持たないと思う。しかし悲しいかな、ほぼ大多数がそのステレオタイプにのっとって物事を考えている世の中である。かつて私も長年一緒に暮らしてきた母の呪縛からは逃れられず、家を出て10年ほどは母の考えにのっとって事を決めたり、納得をしていた。しかし、様々な価値観の人と触れ合うごとに、自分はずいぶん狭い考えをしている人間なんだと少しずつ気づいていくのである。はじめのうちは戸惑ったり、自分の意見の絶対性を肯定したいがあまり口論になったりもした。そして少しずつではあるが、母の影響が大多数を占めていた私の思考は、様々な影響を受け、自分自身の思考へと変化してきたのだ。

初めて疑問を持ったのが、まさしく性別で区切られた世の中の不思議さや、自分のジェンダーアイデンティティーへの疑問だった。母の持っているステレオタイプの男性とは、仕事をして、お金を稼ぎ、安定した暮らしを提供してくれる。そして女性は家に居て、子供を育て、おいしいご飯を作る。結婚当初から私たちは共働きだった。私の連れは外国人なので、日本のステレオタイプとはずいぶんかけ離れた場所に居た。それはそれで、納得できた。しかし事あるごとに、母の干渉が入ってくるのだ。彼はどのくらい稼いでいるの?だとか、貯金は出来ているの?だとか、家はいつ買うの?だとか、切りがない干渉は、イライラの種だった。そんな干渉、今ならさらっとかわしてしまうが、当時は真剣に悩んで、連れが異常じゃないのかなんて考える程だった。

実は連れが最近、ミッドライフ・クライシスなんじゃなかろうかと感じている。ミッドライフ・クライシスとは、簡単に言うと中年の危機、もっと解り易くすると、中年の思春期らしい。

私が9年まえ子供を産んだ後、鬱になり引きこもり、社会と断絶された場所にずいぶん長いこと居た時期があった。仕事ももちろんできなくて、子供を育てるだけで精一杯だった。そんなとき連れは文句ひとつ言わず、昼間働き夜は大学に行き、しっかりと家庭を支えてくれた。

そんな連れは、大学卒業後仕事を徐々にやめて、最終的にはフリーランスで働き始めたのだが、収入に浮き沈みがあった。それが5年ほど前だ。ちょうど我が家には二人目が生まれ、結構家計も厳しくなっていったし、他の問題も多々あって、私は後ろ髪ひかれる思いで、子供を義母に預けて働き始めた。

そういう風にして、私は社会に再び出て行ったんだが、それと同じ時期に連れが働けなくなってしまった。仕事を探してはいるんだろうけど、なかなか仕事を仕上げられない、かと思えば他の事に集中している。何を考えているんだ、この人は?と喧嘩をしたりもしたが、結局行きついた答えは、まさに簡単であった。

どんなに私が喚こうが、足掻こうが、連れを変える事は出来ない。彼が変わろうと思うのを待つしかない。もしかしたら、変わらないかもしれない。それは、それでいい、と受け入れるしかない。だって、彼は私が長い間鬱で引きこもりの間、文句ひとつ言わず待ってくれた。

私は、事務・会計等の仕事と、レストランのサーバーの仕事を掛け持ちして家計を支えるようになった。10年前の私だったら、文句たらたら、不幸染み出しだっただろう。だけど、私の思考はずいぶんと平和的になってきたもんで、家計を支える大黒柱になっている事がすごく楽しいのだ。それは、一番最初に書いた、ジェンダーアイデンティティーの疑問に繋がるわけなのだが、私は男性的な考えも、女性的な考えも出来るのだと思う。性別はいらない、人間だ。固執してしまうから全てがややこしくなってしまい、争い事が生まれるのだ。

連れは今ビリヤードのチームに入り、新しい友達を作り、結構楽しんでいるようだ。週に二度ほどバーに繰り出していくが、私も週に二度ほど一人になる時間をもらい、好きな事をする。そして私が休みの日曜日は家族で何かをして、それ以外は、家で何かを一緒にしたりする。ちょっとの時間でも十分だと思う。一緒にテレビを見たり、料理を作ったり、音楽を聴いたり、簡単な事でいい、一緒にするのだ。そうすればきっとお互いを見つめなおせるし、一人じゃないと安心するし、連れ添っていると実感できるはずだ。

ミッドライフ・クライシスは性的衝動に走る人も多いと聞く。ややこしい話だが、私はポリアモリーなので、それはそれで仕方のない事だと思う。もしもそれが恋でないのなら割り切る事が出来るだろうし、恋だったのならきちんと隠さずに話してほしい。私の愛す連れが愛す人なら、きっと私も愛すことができると思うからだ。しかし、彼はポリアモリーではないので、同じことを私にしてくれるか疑問なんだが。まあ、連れ添う以上隠し事は極力しないに越したことはない。隠れてこそこそするから、相手は疎外感を感じて、いじめられている感じがしたり、仲間外れにされていると思い、ベッキー達みたいに大問題に発展してしまうのだ。好きな人を共有して独占する事を止めれば、この世の中はもっと平和になるんだと思う。

かくいう私も結構ミッドライフ・クライシスを楽しんでいるようだ。

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