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四六時中の刹那 (5)

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ママがいないので、焼かれちゃったよ。いたいよ、あついよ、こわいよ。パパとママの所に戻っていいかなあ?そう神様に尋ねたら、安心して、今度は大丈夫だからって、抱きしめてくれたよ。またふわふわの水の中で、だいちゃんといっしょにパパとママのおうちに戻るよ。でもね、すごくかわいそうな子供たちが天国の神様のもとにはまだ沢山いて、そういう子供達は愛され方がわからないから、どこにも行けないんだって。

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あの人は、この憎しみを開放しなさいという。この憎しみに縛られた自分の心を許しなさいという。私はそんな大それた事理解できないから、ずっとこんなイライラや悲しみに縛られたまま、彷徨っている。お母さんになったらあなたのことを理解できると思ってた。でもそんなこと全然出来なくて、もっともっと苦しくなった。あの男も、あんたも、私を捨てたんだ。一人暗闇で心細く、何を縋ればいいか分からなかったことを誰も知らない。それなのに私が必死で見付けた微かな光も、あんたの手に掛かればたちまち悪いものと変化してしまう。私も同じことをあんたにしてやろうって思ったのに、あんたはずっと被害者面でもう何なんだ、おめでたいねって思った。いいんでしょ、時が全てを正してくれると思っているんでしょう?そんな事ないのに、本当に自分勝手で、私何でこんなにあんたが憎いのか理解できなかった。でもね、私、愛されたかったんだよ。私、そんなあんたにさえも愛されたかった。あんたに私を選んでほしかった。だってさあ、親なら子供を選ぶんじゃないの?違ったのかな?私は自分の子供達が、かわいいよ。お母さん、再婚おめでとう、お姉ちゃんにも早く伝えなよ。あの人はきっと手放しで喜んでくれるよ、そんな人なんだ。

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8月6日はエリオットの誕生日。大混乱の戦争が終わり無防備な人々の上を台風が通過した。それは一時の安らぎを持っていた人々を襲い、再び奪い去った。戦争の恐さを、本当の恐さを私たちは知らない。だから夢物語のようにそれを眺めていたのかもね。これは夢だから、私たちには遠いこと、それが現実になる事はあり得ないって。でもね、無関心な人間が増えすぎて、このまま無関心のまま全てが逆転して、声を上げる事の出来ない人間ばかりの世の中になったら、また戦争が私たちを殺し始めるのかもしれないって、とっても不安なんだ。
エリオット、あなたの中の台風は通過して、そこに平穏はあるの?
さびしい。

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好きになったら気持ちに気付かれないように意地悪してしまう。私は女だから、女であるあの子を好きな事は神様が許してくれない。だから意地悪して、憎まれる。
小さい頃日曜学校の片隅でなかよしの女の子にキスして、母さんに半殺しにされた。私は汚くて、心が貧しくて、呪われた存在で、地獄の炎で永遠に焼かれ続けるんだって母さんは言った。地獄の炎でもあなたの罪は浄化できないのよ、と言った。ちょっと大きくなって、私は神様は全てを平等に愛してくれるのに、母さんは私を憎んで神様のせいにして、ひどいねと言った。逆上した母さんは、今度は私を精神病棟に投げ込み私は人権無視の酷い治療を受け、諸悪の根源である世の中の女を憎んだ。女がこの世に存在しなければ、私は惑わされる事がないのだと、本気で思った。でも女神のように私を包み込み、マリアのような母性で私を赦してくれる女がいた。好きになってしまった。それはそれは深い深い愛で満たされた。だけどその一線を越えるとその女は私を拒むだろう。拒んだら最後、神様に許しを請えと言うだろう。私はあなたをこんなにも愛しているのに、それを口に出せず、行動でも示せず、あなたを傷つける事でしか自分を表現できない愚か者なんです。神様から許される事よりも、人間であるあなた方に許してほしかった。消え入る炎に私は焦がされず、さよならも言わずに去る事を美とし、あなたを殺さず己を制裁する事で解決されたとしましょう。これは、一種の戦いです。終わる事の無い、人間と神様の戦いです。神様、あなたは沢山の人間を赦し過ぎる。

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想像力の豊かなぴんちゃんは時に突拍子もない事をするので私はひやひやだ。昨日眠りに就く前にベッドで読んだお話に素敵な魔女のお姉さんの素敵な雑貨屋さんが出てきたので、朝起きたらベッドからぴんちゃんの姿が消えていた。きっとあの実在しないお店を探しにでも行ったんだろう。たいへんだ。職場に電話して、少し遅れますというのは気が重い。今月もう三度目なのだ。私は受話器を置くと急いで外へ出た。運が良ければまだその辺にいるかもしれない。草原を超えると商店街がある。ぴんちゃんがお店を探すとしたら、きっとそこだろう。そこには交番もあるので一石二鳥だ。私は想像してぴんちゃんを思い浮かべる。魔女のお姉さんを探すぴんちゃんの目はキラキラで、ほっぺたはりんご色。むちむちの饅頭のような手で空を掴む。ぴんちゃん、どこ?私は頭の片隅で魔女のお姉さんと手を繋ぎはしゃいでいるぴんちゃんを遠くに見つける。本当に見つけたの?魔女のお姉さん。よかったね、と涙がこぼれる。
「…ちゃん、あっちゃん、大丈夫かえ?」
聞きなれた声。はっとして見上げると母さんがいた。
「16歳にもなって、また想像ごっこかい?早く学校行きなさい」
会えなくなったぴんちゃんに私は心を掴まれたまま、あの世界で一瞬でも生きていたことをうれしく思い、現実へ足を降ろす。

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ぶどう色のマニキュアをキリリときめた私は、ヒヤリと重い緊張感を傍らに今日も満員電車に揺られ、株式会社るーどうぃひの事務所を目指す。そこにはとまと色の口紅を光らせるしなやかなお局様や、ひすい色のアイシャドウを羽衣のように揺らす魅力的な新人がいる。私の魔法アイテムはぶどう色のマニキュアなんだけど、上司から清潔感がないね、と言われてしまった。でも私だってあの二人に仲間入りして魔法戦士になるのだと思い、今日も再びぶどう色の爪のまま事務所へやって来たのだった。案の定再び上司から注意を受けてしまい、給湯室で泣いた。
「泣かないで、ほら除光液」
とまと色のお局様が優しく拭きとってくれる。
「センパーイ、ありましたよ。これ、かわいいでしょ?いちご水の色」
そう言ってひすい色の新人が私の爪を染めてくれる。私の爪はかわいいいちご水の色に染まり、私は魔法戦士になった。
「ヴィランだと思ってたのに」

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人生の割かし早い段階で私はもうあきらめていて、生きる意味なんてそこには無いのだと知っていた。周りの理不尽にもてあそばれる事に疲れた後は、ただ単に流されていた。流されていく木偶の棒の私は只感情のない人形みたいな動ける人間でしかなかった。それはそれは単調に日々が流れていき、ある時私は死のうと思った。死ねばその苦しみから解放されると思ったのだ。苦しみ、何の?生きること、漂うこと、流されること、それはただ単に私にとって苦痛以外の何物でもなかった。生きる事自体に対しての漠然とした苦しみから解放されるには、死、しかなかったのだ。剥離していく感情を解放した後に残るのは、虚無だ。からっぽの心臓は只鼓動をやめないばかりか、孤独に訴えてくる。孤独、すなわち一人でいる事よりも、この体の中で一人取り残される事の恐ろしさよ。

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みっちゃんが池で溺れたのは、ママがちょっと近所の人に届け物をしていたからでした。鳥が池の鯉を持って行ってしまうので池にはよしずがかけられていて、みっちゃんはその中に落ちて溺れました。ママが戻った時一緒にいたはずのじゅんくんがいなかったので、隣の原っぱにでも行ったのかなあと思ったそうです。そしたら、よしずのかけられている池の中からじゃぶんと音がしたので、ママは大慌てに慌て、急いでよしずを取り外し、池に飛び込んでみっちゃんを助けたそうです。学校から帰った私が見たのは、半分青くなったみっちゃんとドライヤーで髪の毛を乾かしているヒステリックなママでした。ママはじゅんくんがみっちゃんを池に落としたと言ってききません。それからこの事はパパには絶対言ってはいけないと言われました。言ったら殺すと言われたので、絶対にパパには言いません。みっちゃんは水を沢山飲んでいたけれど、死にませんでした。私はみっちゃんが生きていてよかったなあと思いました。

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不快な海に抱きしめられて私は静かな底へ底へと沈んでいきました。底の底で見つけたのは、真っ暗闇の宝石でした。宝石は触るとうるるとしてすべすべでした。不思議な弾力があって私はその宝石を抱きしめて深い深い眠りにつきました。朝起きると私は布団の中で、ああ、また戻って来たんだなあと憂鬱になりました。酷い酷い憂鬱でした。私はまたあの底に行きたいと思い、再び眠りました。しかし母親は容赦せず、私の髪を引っ張って布団を畳み、玄関まで引きずりました。眠る事をあきらめた私には、とっておきの魔法があって私は空中に飛び出しました。そしたらどこへでも行けてしまうのですから不思議です。その不思議な空間で私が遊んでいる時、もっと不思議な事に私の体の方はしっかりと私の本来の役割をこなし、一日を終えるのです。ただ、私の方はこの世界でずっと遊んでいればいいんですけれど、そのうち戻ってこれなくなりそうで、それが今一番の不安でもあるのです。

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